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ただ今、人生の仕切り直し中のケアマネ
プロフィール
HN:
かたつむり
性別:
女性
自己紹介:
心と身体を壊し、まだ人生の仕切り直し中のケアマネ。

保有資格:社会福祉士・介護福祉士・介護支援専門員。ついでに日商簿記2級・全商簿記1級
(Twitter@renrinoeda2)
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父の決断、父の思い

今日も、父の通院に一緒に行った。

呼吸器の検査をした後に、主治医の診察を受けた。

父も私も『覚悟』はしていた。
一縷の望みもない事はわかっていた。
主治医は、外科手術も危険だと言った。
手術を受けることで、命を縮めてしまう可能性が高いと。

4年前の肺の手術の時に、
生きるためのギリギリの限界まで切除しているのだ。
無理なことはわかっていた。
それでも、先生は模索してくれたのだ。
万が一の可能性を。
でも、父の肺の機能は思った以上に悪かったのだ。

先生は、抗がん剤治療の話を切り出した。
もし、相談を考えているのなら
呼吸器内科へつなげると。
でも、先日、先生は、
抗がん剤治療では完治はしないと話していた。
かえって抗がん剤が父の身体に
ダメージを与える危険のほうが大きいと。


父は言った。
『完治しないのに抗がん剤治療で何カ月も費やすのであれば
その時間を、自分のやりたいことに使いたい。
だから、治療はしない』と。


先生は、それがいいと思うと言った。
「もし、抗がん剤治療を受けたいと思ったら、いつでも言ってください」
とも、言ってはいたが・・・。
先生なりに、思うところがあったのだろう。
でも、医師の立場では、安易なことは今は言えない時代だ。
余命宣告だって、昔のように簡単には言えない。


父は、4年前に肺がんが見つかった時に、
「悪いことも全て知りたい。
 自分の人生だから自分で決めたい。」
そういっていた。
だから、父には全てをその場で確認をしながら説明して、
父自身で判断してもらった。


父の人生だから、父が望む選択をしてほしい。
常にそう思っていた。


診察後はそのまま医療連携室へ行った。
移行する地域の病院を見つけるために。
すぐに結論を出す必要はないが、
今の病院は、緩和ケア病棟はない。
だから、今後進行が進んで入院を希望した場合に
受け入れてくれる病院を見つけなけらばならない。
でも、当然ながら、その場で結論はでない。

父は、『最後になったら病院でいい』と、言っていた。
理由は、母が大変だから。
つまり、父は、最後は家にいたいということだ。
母を心配して言わないのだ。


だから、今朝、病院に行く前に父に行った。
「この病気のことで、お母さんや私に遠慮をする必要なないよ。
 もし、万が一最後となった時に、家にいたいと思っているのなら
 遠慮なく言ってほしい」と。
その場では黙っていた。


でも、病院の相談員さんの話を聴いて、
思うところがあったのだろう。

家にかえっきてから、
「お母さんには悪いけど、ギリギリまで家にいたい。
 お母さんが限界になったら、その時は病院へ行く」と。
ようやく、本当の気持ちを言ってくれた。


私が仕事を辞めることができない以上、
どうしても母の負担が大きくなる。
でも、母は、祖母(父の母)の末期がんの狂気じみた夜間せん妄を
何度も病院に泊まりこんで経験している。
だから、母が覚悟を決めてくれたら、
最後まで自宅で行けると思っている。
あとは、私がどれだけ両親が安心して自宅で過ごせる
『ケアプラン』を電卓をたたきながら作れるかどうかだ。


父に残された時間がどれだけあるのかは、
誰にもわからない。
思った以上に長生きするかもしれない。
それを知っているのは神仏のみ。


これからも釣り三昧で、父らしく生きてほしい。

そして、父も母も『後悔』だけはしないでほしい。

その為に、私も努力をしたいとおもいます。




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諦めるのではなく『選択』をした父

今日も父の病院へ一緒に行ってきました。


自宅に戻ってきてからは、私は、仕事の電話対応でドタバタしてました。
ケアマネの仕事に『休み』はありません。



父の、間質性肺炎の検査結果ですが、思った以上に悪く、
放射線治療医は
『放射線治療は出来ない。外科手術より危険』とのことでした。

今の父は、生活上何ら問題なく見た目はとても元気です。

でも、主治医(呼吸器外科医)曰く
『間質性肺炎は一気に悪化する』とのことでした。

実は、私が担当していたご利用者様も、
持病の膠原病の影響で間質性肺炎で亡くなっているので
(自宅で呼吸困難で倒れているのをお孫様と私が発見し、
 私が救急車要請して対応しました)
その恐ろしさはわかっているつもりではおります。


来週、呼吸器そのものの検査をして、
外科手術の可能性を再度見直すことになりました。
でも、主治医からは
 「もし、転移の癌だとしたら、外科手術をしても、
 すでに他にも転移している可能性があります。
 頑張って手術を受けても
 数カ月後に別のところに癌が見つかる可能性があります。
 そのことも踏まえて『手術をするかどうか』を考えてください」
 とのことでした。


もし、外科手術が無理なら、呼吸器内科を受診し、抗がん剤治療の検討となります。
でも、主治医は
「抗がん剤では、延命はできたとしても、完治は出来ないです」
と、言ってました。
 
 
実は、父はすでに『治療はしない』と、ほぼ結論を出してます。
父としては、
苦しい治療を受けても治らないのであれば、
手術をしても、その後の生活に制約を受けるのであれば、
『自然に任せて、今の生活を一日でも長く続けたい』ようです。


父は、決してあきらめたのではなく、
自ら『選択』をしたのだと私は思っています。

今、治療の方向性を再度模索してくださっている、
諸先生方の話を聴いたうえで、
父が最終判断をすると思いますが、
私は『父の選択』に『従う』のみです。


このような厳しい現実を突きつけられても
決して取り乱すことなく、
きちんと自身で考えて選択をしてくれる父。
そして、家族の前でいつもと変わらずにいようとしている父。
ただ、ひたすら毎日、父の凄さに脱帽しています。


今日、父に言いました。
 「お父さんは、自分で今後のことを選択してくれるから、
 娘として、とてもありがたい」と。
父は「この先はどうなるか、わからんぞ」と、
笑ってましたが・・・。


ただ生きているのではなく、
父が父らしく、一日でも長く毎日を楽しく過ごしてほしいと願っています。
その為の父の『治療をしない』という選択であれば、
私は、娘として、前向きに受け入れようと思っています。


父の意志の強さは、よくわかっているつもりです。
積極的な治療をしなくても、
父は、決して『生きること』そのものを諦めることはないと思います。


明日、父は釣りへ行くそうです。
このような平凡な日々が一日でも長く続いてほしいと願っています。



『平凡は決して当たり前ではない』という事を、
私も身をもって知っていますから・・・。




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働きながらキーパーソンをする難しさ

昨日、社長から言われた。


「残業をしないでほしい」と。


私の身体が心配だとか言っていたが、
よくよく話を聴いていると『労働基準監督署』の指導が入ると
困るからというのが本音だ。
「『労基署』が厳しくなった」と、言ったので。
ちなみに、ウチの会社は『残業代』は出ない。
 
 
『父の肺に影がある』と言われた時点で、
『介護保険の認定調査員』という仕事は降ろさせてもらった。
調査を受ける側もご家族が、都合をつけて時間を割いてくれている事もあり
父の病院の予定が入ってしまっても、調査日の変更ができないからだ。

ケアマネージャーとして担当させていただいている方は
いまのところ引き続き担当させていただくことにした。
ちなみに今は35名の方を担当させていただいている。
ケアマネ業界は、『担当件数でお給料が決まる』のが常識だからだ。
担当件数が減ると、給料も減るので、
これから父のことでお金がかかるから、
担当件数は維持しないといけないのだ、減給になるから。


12月から、出来る限り前倒しで、かなり無理なスケジュールを組んで、
ご利用者様宅へ定期訪問に行っている。
父のことで、急きょ病院へ行くこと等になった場合のことを考えて、
早め早めに訪問した。
それに、利用者様によっては『サービス担当者会議』というものを開く月がある。
私の場合は、この会議はいつも月に10件以上は行なっている。
15件になる月も少なくない。
これは、ケアマネージャーがいないとできない会議だ。

そのようなことから
あとから、父のことで対応しなけらばならないことが増えてしまった場合、
その結果、行わなければいけない業務ができなかった大変なので、
残業してでも、前倒しで訪問していた。


でも、残業をするなと言われたら、
父の対応ができなくなる。

今までは、父の付き添いで休んだ分を
土曜日に振り替えて出勤していた。
『それでもいい』と、社長は言ってくれていた。
でも、先日『原則土曜日出勤はダメ』とも言われた。
だから、いずれは土曜日の振替出勤もできなくなるだろう。


会社は家族の介護などには非協力的なのは知っている。
介護業界に入る前は、一般企業で経理事務をしていた。
簡単に有給もとれないのも知っている。
だから、介護の為に仕事を辞めていく人が多いのだ。
企業の実情を知っているから、
ケアマネとして私は、担当している方には出来るだけ、
仕事をしながら介護をしているご家族には、
仕事への支障が少しで少なくなるように、
その辺を考えて、努力して対応をしているつもりだ。


4年前に、父が肺がんを発症した際は
私は介護職として施設に勤務していた。
当時の施設長は、私の立場をご理解くださり、
同僚も協力してくれて
父の受診日等が決まると、
その都度シフト変更をしてくれて、
どうしても夜勤の交代の都合がつかなかった1度以外は
手術が終わるまでの3か月間、
ほぼ毎週だった父の病院の付き添いも、入院時の術前説明も
手術の立ち会いもできた。
おかげで、キーパーソンの役割を果たすことができた。
今でも『当時の施設長や同僚』に感謝している。

その施設長は
『困った時はお互いさま、いつ自分達が
 かたつむりさんと同じ立場になるかわからないからね』
と、当たり前のように言っていた。

両親には
「ここまで配慮してもらえる職場はないからね、施設長に感謝して。」
と、しつこいくらいに話した。


今の職場は、最初に書いた通りです。
「お父さんのことを最優先にしてね」
そう社長は言った。
でも、だんだんと話が変わってきた。
これが、現状なのだろう・・・そう思った。
『ケアマネージャーの会社』でもこうなのだ。


正直、これからどうすればいいのか、悩んでいる。


私が仕事を辞めたら、ウチは生活できない。

でも、病院でのやりとりは、両親だけでは、無理なのだ。

それに父は、もう良くなることはない。
父の状態が、悪化した場合、
もっと病院へ行くことが多くなるかもしれない。
今まで以上に私の付き添いが必要になるだろう。

でも、私の他に、キーパーソンができる家族はいないし
両親と一緒に話を聴ける者も私以外にいないのだ。


どうすればいいのか、途方にくれている。


利用者様や患者様、そのご家族が
こうして追い詰められていくのだと、
自分がその『立場』になって、
この厳しい現実がようやくわかった。




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厳しい宣告

昨日、父の病院へ行ってきました。

先生の説明はこうだった。

病理検査では、癌細胞は確認できなかったとのこと。
癌と思われる部分の一部をとっても、その部分の全部が癌ではなく、癌の部分とそうでない部分が混ざっているとのこと。
だから、『とる場所が外れた(たまたま癌細胞のないところをとってしまった)』可能性がある。

しかし 、癌細胞が確認できなくても、『腫瘍マーカー』『レントゲン』『CT』『PET検査』の全てが癌の疑いがとても高いという結果がでている現実がある。

先生曰く
「物的証拠(病理検査の結果)がなくても、状況証拠(その他の検査の結果)がそろっている」

つまり、絶対とは言い切れないし、良性の可能性もあるが、癌である可能性はとても高い。
ということ。


癌だと思うが、癌細胞の種類が特定できなかった、ということ。


まさか、こんな『説明』をされるとは思わなかった。


肺の白い影が、PET検査で赤くなったところの正体が特定できないなんて。


でも、先生は転移の癌であることを前提に今後の話をした。


外科手術は、もうこれ以上は切除は出来ない。


抗がん剤治療は、効果が出る可能性は30%。
父の82歳という年齢と癌細胞以外にも影響する身体全体へのダメージを考えると、リスクのほうが高いとのこと。
たくさんある癌細胞の種類の内、『なんの種類の癌』なのかわからないのだから、先生も薬の選択は難しいはず。

放射線治療は、父の肺の一部が間質性肺炎になっているので、肺に放射線を当てると、間質性肺炎が悪化する可能性が高いので、やはり、リスクのほうが高いとのこと。


つまり、打つ手がない、ということだ。



とりあえず、間質性肺炎の検査をするため、血液検査と、肺活量の詳細な検査をすることになった。

その結果を聴いてから放射線治療医の診察を受けて、放射線治療が受けられるかの可能性を、直接その医師と話し合うことになった。


厳しい現実。


もし、癌であれば、積極的治療を受けない選択をした場合、どのくらいの進行で、父に残された時間がどのくらいなのかは、癌細胞の種類の特定ができていない以上、先生方も何も提示ができないのだ。


でも、父の中では、ある程度決めてはいるようだ。


『治療はしない』と。



家に帰って、夕方、あえて父に訊いた。


か「『セカンドオピニオン』って知っている?」

父「あれだろ、他の病院でも診てもらうってやつだろ。」

か「そう。お父ちゃん、それ、したい?」

父「いや、しない。あの病院は日本の癌治療の病院の中心だろう、あそこでできなければ、どこへ行ってもダメだ。大学病院は、俺はいやだ」



今の病院は、国の公的な病院だから、比較的差額ベッド代などは安い。

しかし、大学病院では、それよりも高いだろう。我が家では払い続けられない。

それに、父は大学病院に対して、いい印象を持っていない。はっきり言って悪いイメージを持っている。


父は、今の病院の提示した内容を信じて、自分の結論を出すことにしたのだ。



父がそこまで決めているのなら、私は、父が決断したことを尊重し、自分ができることを精一杯するまで。
 
父には、自分の妹(叔母)や母の妹(叔母)など、『親戚にはこのことは言うな』と、口止めされた。 

しかし、先日、叔母(母の妹)には、電話がかかってきたときに、成り行きで叔母に話すことになってしまったので、父に隠れて、叔母に今日の報告をした。
先日、叔母に父のことを話したら、『後悔のないように』と、言われた。
叔母は、自分の父親(私の祖父)に、もっとやさしくしてあげればよかったと後悔しているのだ。

でも、当時まだ小学生~高校生だった私がみていた、亡き叔父やそして叔母の献身的な祖父母を介護する姿は、今でも『見事だった』と思っている。

だから私は言った。
「私は、おじいちゃんとおばあちゃんをあれだけ看ていた、叔父ちゃんと叔母ちゃんを今でもすごいと思っている。この仕事(ケアマネ)について、尚更思っている」と。


私には、叔父や叔母のようには、絶対にできない。


それでも、やれるだけのことはやろうと思っている。


もし、父が高いリスクを背負ってでも放射線治療をするというのなら、それを尊重し、間質性肺炎の悪化を想定内にして、今後のことを考える。


そして、積極的治療をしないと決めたら、その時も父の選択を尊重して、父が毎日父らしく穏やかに過ごせるように、出来る限りのことはしたい。


父に残された時間が、どれだけあるのかわからない。


でも、父が最後まで父らしく過ごせるように、
もし、終末期になった時に、父が穏やかに過ごせるように、
精一杯のことをしたい。


それが、娘として、精一杯できる、最初で最後の『親孝行』になるから。


今日は、父は、釣り堀へ行くそうだ。

父には、今日もこれからも、好きなことをして楽しんで欲しい。

それが、私の願いです。



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『理想』と『現実』

正月用に買ったお酒『久保田』。

先ほどの夕食の時にようやく父と呑めました。

父は『旨い』と言って呑んでくれていました。

思い切って奮発して『碧寿の久保田』を買ってよかったです。

明日は、父の病理検査の結果を両親と一緒に聴きに行きます。

たぶん、具体的な治療の話も出るかと思います。

その前に、父とお酒が呑めて良かったです。





話は本題にはいります。


昨日、ウチの社長が怒って帰ってきました。

話を聴くと、クレームによるケアマネ交代の依頼があって受けた新規の方のことでした。

今まで担当していたケアマネに会って、今までどのような支援をしていたのか訊いてきたそうです。

計画書を見せてもらったら、普通じゃ考えられない内容でした。

日中ははびっしり支援が入っており、しかも自費ヘルパーがてんこ盛り。

これだけ自費サービスを使っていたら、有料老人ホームに入居できるのでは???と、思うくらいの内容でした。

でも、夜間帯は何の支援も入っていないのです。

ちなみに、独居でほぼ寝たきりの方だそうです。


で、社長と話していたのは、前任ケアマネだけではなく、そのうえの総括のかたも同席していて、いろいろ言っていたそうですが、社長は「あの人(総括の人)は、介護保険を知らない人だ」と言っていました。


社長は、「ケアマネなのだから、専門職として、会社や統括している人に、意見を言って、公正中立なプランを立てるべきだ」等の、発言を私にしていました。

社長の言うことは、確かに『正論』です。

でも、それだけでは、やっていけないのが『世の中』でもあります。

私は社長に、
「確かに社長の言う通りです。でも、ケアマネといえど、『雇われ』の身。上の人に意見を言って、自分のケアマネとしての正論を通すのは、とてもエネルギーがいることです。それに、上に反論したら、『じゃあ、お前(事業所を)辞めろ』と言われるだけですよ。現実的には難しい部分がありますよ。」
と、言ってみました。

しかし、社長は
「専門職なんだから、それはするべき。それをしないから、ケアマネは専門職としての地位が確立できない。」
と、言ってました。


ケアマネだって、自身の生活がかかっています。
幾ら正論を通そうとしても、職場を退職に追い込まれてしまっては、その後の生活ができません。

『理想』を通したくても、自分の生活も守らないといけない。
家族がいればなおさらです。

私だって、父のことがあるので、もうこれからは安易に転職はできません。
親元にいる利点はもうありません。
今後は徐々に私の給料が我が家の生活費にまわっていくことになるでしょう。

社長のように起業できる条件がそろう人は、ひと握りです。

少なくとも、もう私にはそれはできません。
自分には、もう両親の生活と人生がかかっています。


ケアマネとしてあるべき『姿』や『理念』。
それを目指すべきなのは、当たり前ではある。

しかし、事業所(会社)は赤字のままでは潰れます。
株式会社であれば、利益をある程度出さないと、何かあった時の余力が持てません。
差し引きゼロでいいという、経営者は少数でしょう。
そのため、介護支援事業所のあるべき姿からかけ離れてしまう事業所も出てくるのは、今の制度では防げないと思います。

ケアマネは、自分が所属している事業所(会社)の『思惑』で、
自身の『理想』と自分が置かれている『現実』の現実で板挟みになり、
苦しんでいる人は多いのではないか・・・そう思いました。


私も、社長に、『そのやり方ではいけない』といろいろ言われています。
たとえば、『モニタリング訪問は1時間以内』とか。
でも、私としては、1時間では、
ご利用者様やご家族の『本音』は聴くことは出来ないと思っています。


自分が『理想』とする『ケアマネ』を目指せるかどうかは、
所属している事業所次第なのかもしれません。


ふと、そんなことを思いました。




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『更年期障害』???

身体の絶不調は続いています。


とりあえず、4日の父の検査には付き添うことができました。
看護師さんの説明を父が理解しきれず、
私が父がわかりやす言葉に替えたり、質
問にも父は、全然違うことを答えてしまい、
私がかわりに応えることも何度かありました。
更には、父の『頑固ジジイのわがまま炸裂』で、
父を言い聞かせるのに大変でした。
母が「あんたが来てくれてよかったわ~、私じゃ、絶対できないわよ。」を
繰り返し言ってました。


そんなわけで、4日の父の付き添いを病み上がりでして、
父のわがままに振り回されて無理をしたので、
かなり疲れましたので、
5日の仕事は、ペースを落としてやるつもりでした。


ところが、昨年末に社長が電話を受けた私あての電話で
どう考えても『緊急対応』の用件を、
机にメモを残した状態で置いてあり、
私に全く連絡がなかったので、
その対応に追われて、かなり無理をすることになり、
結果ぶり返してしまいました。


そんな状態で、先週仕事をしていたら、
7日の土曜日の訪問が終わり事務所に戻ったら、
気分が悪くなってしまい、事務所からタクシーで帰り、
そのまま寝込んでしまいました。
日曜日の8日は一日寝こんでました。


でも、熱が上がることはなく、
異常な暑さと発汗とが続き、
起き上がるのも辛いくらいの倦怠感で身体が鉛のような状態でした。


これってもしかして・・・と、思い、友人・知人にメールなどで訊き、
母にも訊いたら

「それ『更年期障害』よ!」

と、言いきられました。

思い返せば、
昨年の梅雨時から、胸の苦しさと息苦しさに何度も襲われ、
動悸もして、頭がクラクラしてしまったり、
涼しくなっているのに、やたら汗をかいて、タオルが手放せない状態でした。
頭痛も、薬を飲んでも効かなくて
食欲も落ちて、ウ○○ー○○ゼリーとかしか受け付けない時もあったり・・・と、
(今も食欲ないですが・・・)
そんなことを、思い出したら・・『更年期障害』かもしれないと、そう思ったら、
ずっと続いて治らなかった『体調不良』も納得できました。


医師の診断を受けたわけではないですが、
相談しているのは、皆さま『更年期障害』を体験された方々。
その方たちの話なので、まず間違いないだろうと思ってます。


これから長期戦で父のキーパーソンをしなくてはならないときに、
このタイミングでどうして『更年期障害』になるのかな~と、
正直、頭を抱えました。


昨日や今朝は、かなり辛かったのですが、
今は辛うじて落ち着いています。
母が、心配してくれて、
「今日は帰りは職場からタクシーで帰ってこい!」と
帰りのタクシー代をくれたので、ありがたく使わせてもらいました。
母の『更年期障害』とても重くて、大変だったのを
当時高校生でしたが痛烈におぼえています。
普段寝込まない母が、
頭痛と嘔吐で、何度も寝込んでいました。
それでも、必死に仕事に行っていたことも覚えています。


これから、この『更年期障害』と
どう付き合っていけばいいのだろうか・・・?
仕事をしながらこれをどうやって『先輩方』は乗り切ったのか?
色々な方に相談しながら、
自分なりの付き合い方を見つけていかなくては・・・と、思ってます。


今、ご利用者様の奥様方の中で訊きやすい方に、
いろいろ教えていただいています。
幸い気さくな方が多いので、色々指南してくださいます。
ここは『人生の師』である奥様方から教えて頂こうと思っています。


そんな年ごろになってしまったのか・・・と、
現実を突きつけられた、そんな心境です。


とりあえず明日は、仕事が終わるのが19時過ぎるのが確定で、
午前中は訪問がないため(役所に書類を届ける用事はありますが)
勤務時間調整で10時出勤にしました。


無茶はもうできない・・・と、しみじみと思いました。


仕事を持ち帰ってますが、
とりあえず、今日はもう寝ます。
大丈夫そうだったら、明日早起きして、
少し仕事しようと思います。


こんな状態なので、今年に入ってから
まだお風呂に入ってません(^^;
身体が気持ち悪いですが、
またぶり返したら怖くて入れません。


とりあえず寝ます。

では、おやすみなさい。



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やってしまった『寝正月』

遅くなりましたが、
あけましておめでとうございます。

今年も、また叫び続けたいと思います。
どうかよろしくお願いいたします。


今年の正月は、家族でゆっくりと過ごし、
元旦に父と酒を呑む・・・はずでした。


しかし、新年早々、私が寝込んでしまいました。


年末から風邪をひいていて、
毎年母と行く、元旦の初詣も迷ったのですが、
父の『お守り』をどうしても買いたくて無理して行ったら、
帰ってくる途中で悪化して、
自宅に着いてからそのまま寝込んでしまいました。

あまりにひどい頭痛で耐え切れずに
整形外科で処方されたロキソニン(鎮痛剤+解熱剤)を
今日の朝まで飲んでいたためか、
熱は微熱程度でしたが
咳・鼻水もひどく、寒気と発汗を繰り返して
倦怠感もひどすぎて、食欲もなく
今日の昼まで、動けませんでした。

今日の昼ご飯を食べたころから、身体が動くようになり、
オタク友達の助言も受けて、ひたすら水分補給をしつつ、
ネットで休日診療をしている病院を調べたら、
近所で今日当番医をしている病院を見つけたので、
急いで受診してきました。
医者は「高熱じゃないから、普通の風邪だ」
と、言いましたが、『仕事』のことや『父』のこともあるので、
「仕事がケアマネージャーなので、
 可能であればインフルエンザの検査をしてください」
と、無理やり検査をしてもらい、
結果『陰性』でしたので、とりあえずひと安心して
薬をもらって帰ってきました。
でも、この医者の偉そうな態度と
高熱でもマスクをしていない患者に「マスクをするように」と言わない
受付のねーちゃんたちに、腹が立ちました。
「二度と行くもんか!」と、正直思いました。


そんなわけで、父の大事な『正月』を
台無しにしてしまいました。
とてつもなく自己嫌悪に落ちてます。


『私の快気祝いの酒』は
私の体調が戻るまで待ってくれると
父が言ってくれました。
お父さん、ごめんなさい(T T)


父は、『大丈夫だ』と言ってますが、
私のほうが大事をとって、
食事は自分の部屋でひとりで食べてます。
部屋を出るときは、マスクをしてます。
父に風邪をうつさない為にです。
もっとも、父自身が無防備で、
マスクをしないで外に出かけてますが(^^;
今日も遠方に釣りに行ったようで
帰り車中で酒を呑んできたようで
ご機嫌で帰ってきました。
そんな姿を見て、とても幸せに思いました。


こうして、父が釣りに行ける日が
一日も長く続いてほしいです。


明日が、父の気管支内視鏡検査なので
どうにか明日の検査に付き添えるように
必死で体調を戻しているところです。
本当は早く横になったほうがいいのでしょうが、
まる2日ほとんど横になっていたので、
起きていても大丈夫なように、
その面でも身体を整えないといけませんので、
午後からは、あえて起きています。


仕事の追い上げどころではなくなってしまい、
それよりも、父が『普通』に過ごせる『最後の正月』を
台無しにしてしまいました。
どうして、このタイミングで寝込んだのか、悔しいですが、
仕事の面を考えれば、正月でよかったのかもしれないと
とても複雑な気分です。
ただ、5日からの仕事も、
訪問は、ある程度治るまでは、極力控えようと思ってます。
体力のないご利用者様に、
こんな厄介な風邪をうつしたらたいへんなことになるので。
今月の担当者会議は確か11件はあったはずなので
今週訪問できないのは結構つらいんですけどね。


今、検温したら37.3度。夕方よりも0.2度上がりましたが、
まあ、この時間でこの体温ならば
明日の付き添いは、どうにかなりそうです。
もちろん、マスクは外せませんけれど。


とりあえず、明日の父の検査の付き添いができるよう
体調の回復に努力したいと思います。


改めまして
今年もよろしくお願いいたします。


かたつむり




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大みそかの『晩御飯』

仕事の追い上げを年内に終わらせるという『目標』は
達成どころか、逆に『仕事の山』が
高くなっているような気がします。


年越しは、なかば徹夜で仕事をするつもりでしたが、
仕事が『休み』に入ったとたんに『鼻風邪』を引きまして、
BOXティッシュが手放せない状態で、
あっという間にひと箱消費しました。
母親からは『徹夜禁止令』が今、発令されました(^^;



今、晩御飯を食べたところです。
我が家、というかウチの両親は、夕方5時に夕食を食べます。
だから、姉も私も休みの時は両親の時間に合わせてます。

家族4人でしゃぶしゃぶを食べながら
たわいのないおしゃべりをしてました。

当たり前の『夕食』の時間。

こうして、家族4人で普通に食事ができるのは
あとどれだけの回数があるのだろうか。


悲観的は発言が多いのは、自分でも自覚している。


しかし、癌細胞にだけ反応する『PET検査』を父は受けている。
稀に、炎症にも反応してしまうことがあるという。
でも、『本当に稀だと』先日の医師は言っていた。
その検査の画像を父と一緒にみた。
癌の部分は赤く光る画像。
父の画像は右肺に3か所赤く光っていた。
その大きさは、3か所とも、決して小さくはなかった。

3つとも炎症ということは、ないだろう。
そして、その赤い部分のそれぞれの大きさ。
医師から具体的な大きさの説明はなかったが、
素人から見ても、3つとも小さくはなかった。


家族4人で鍋をつつく夕食。
その時間がとても幸せに感じた。

私は、この1年は所用で休日でも外で夕食をとることが多かった。

こんなことになるのなら、
ちゃんと、土日の休みの時くらい、
両親と姉と一緒に夕食をとるようにしていればよかった。
今更だけど、後悔している。

あと、どれくらい、
父と一緒に『普通』に夕食を食べられるのかわからない。
でも、せめてこれからでも、
休みの時は、家で両親と姉と一緒に晩御飯を食べようと思った。



来年は、父にとって、私達家族とって、特別な1年になります。

病魔との闘いに臨む父を、父を支える母を
精一杯、娘として、両親を支えていきたいと思います。



ご利用者様とそのご家族の笑顔と『ありがとう』の言葉に支えられて、
この一年、自分なりに懸命に、仕事に取り組んできました。


『ご利用者様とそのご家族の生活と人生を守り支える』


ケアマネとしては大それた考えかもしれない、
でもこの『信念』は曲げたくない。

ケアプランを作成し、ケアマネジメントをするのが
ケアマネージャーの仕事。

でも、何のためにケアプランを作成し、ケアマネジメントするのか、
その根底の『もの』がなければ、形だけのものなる。

だから、私は
『ご利用者様とそのご家族の生活と人生を守り支える』ことを、
ケアマネージャーとしての自分の信念として
そして、ケアマネージャーである前に、ひとりの人間として
これからも、ご利用者様とそのご家族と
真摯に向き合っていきたいと思います。
そして、精一杯
ケアマネージャーの仕事に取り組んでいきたいと思います。


これからも、己を磨き、己を顧みて
少しでもかたつむり個人として成長し
それを、ケアマネージャーの仕事に活かせるように
精進していきたいと思います。



今年の正月から始めた、この『毒吐き』ブロク。
お付き合いくださりありがとうございました。
今年の拍手等の返事ができないままでの年越しで
本当に申し訳ありません。
皆様のコメントに何度も励ましていただきました。
本当に感謝しています。


来年も、自分の『想い』を、叫び続けたいと思いますので、
また、遊びに来てやってください。


皆さま、どうか、良い年をお迎えください。


かたつむり



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拍手[1回]

ケアマネとして『大切なこと』

「お父さん、良くなるといいわね。」

私は、職場の会議で、父の検査結果と再発と思われる癌の発病、今後の検査と診察の予定を報告しました。
そして、父はもう、外科手術ができないこと、化学療法しかできないであろうことも伝えました。

その私の話を『聴いていた』同僚が発したのが、「お父さん、良くなるといいわね。」でした。


怒りでその場で、同僚を殴り倒したかったです。


私の説明を聴いていれば、ケアマネであれば、
父の『この先』のことはわかるはずです。
『良くなることは、まずない』と。
でも、同僚は、
前日に父の癌告知を一緒に聴いて、
必死の思いで仕事に来ている私にこの言葉を言ったのです。

思いやりのかけらもない、配慮のない浅はかな発言です。


「アンタに『ケアマネ』をやる資格はないっ!!」

そう罵倒してやりたかった。

でも、その言葉は、必死で飲みこんだ。


その代わり、PCメールにこんな非難の文章を書いた。

  「お父さん、よくなるといいですね」
  と、おっしゃった、その意図がわかりませんが、 
  この言葉は、今の私が『一番聴きなくない言葉』です。
  父は、もう良くならないのです。
  闘病生活を続けながら、でも、悪くなっていくだけす。

  私の説明を聴いていたのなら、わかるはずです。

  ケアマネージャーであるのなら、尚更です。
 
  親の命の期限を突きつけれて、でも必死に立っている人間に対して、
  傷つける『安易な言葉』を言うのはやめてください。

  自分の発する言葉に、責任を持ってください。


と、書きました。

 「アンタに『ケアマネ』をやる資格はないっ!!」

そう書きたかったけれど、それは堪えました。

この文章で気がつかなければ、言うかもしれませんが・・・。



普段からこのような発言をするということは、
ご利用者様とそのご家族の前でも、
間違いなく、人を傷つける言葉を言っているはずです。

普段出来ないことが、仕事で出来るはずがありません。


ケアマネの『自己研鑽』で一番大切なことをは
知識を増やすことでも、援助技術を磨くことでもありません。

ひとりの人間として『己を磨き・己を顧みて・己自身を成長させる』ことです。

それが、ケアマネとしての土台となります。

その土台の上に、福祉専門職としての『知識や技術』を積み重ねるのです。

今日『食べる物を手に入れる苦労』を知らない、
平和な時代だけしか知らない世代の専門職が、
命の危険と背中わせの戦争を経験し、
日々生きることに精一杯だった年代の方たちの支援をするのです。

普段が甘ったるい考え方をしている人間が、
専門職として何ができるのでしょうか。


浅い考えしかもたず、偉そうに先輩風をふかしている
『主任ケアマネ』を何人も見てきました。


これだから、ケアマネの『専門職』としての社会的な地位が認められないのです。
これだから、『ケアマネ不要論』がでるのです。


それを、誰もわかっていないのです。


ケアプランも大切です。支援の体制を整えることももちろん大切です。
 でも、ご利用者が家族が、一番求めているものは、
『私達の苦しさを、理解してくれる人の存在』
だと、私は思っています。
その想いをケアマネが受けとめてこそ、
本人とご家族が希望する
ケアプランにや支援体制に近づけことができるのだと私は思っています。


そうでなければ、表面上は整った、でも、薄っぺらい
ケアマネの『自己満足』なケアプランになるだけです。
 
 
自分の父に命の期限があると突きつけられ
自分にも『父親の介護』をする日が近い将来まちがいなく来る現実、
そして、自分が、残りの人生をかけて病気と闘う父のキーパーソンとなる現実、
これらを、必死に受け入れようとしているときに
同僚から心無い言葉を言われて、
改めて、そう思いました。


『特定の人を非難する内容は書かない』と、決めた想いは変わっていません。
でも、今回、自分にふりかかったことは、個人の問題だけではなく、
『ケアマネのあり方』にも通ずるものがあると思い、
あえて書かせていただきました。



非難はあるとおもいますが、
自分が間違ったことを書いたとは思っておりません。

私を非難する前に、
『貴方』は自分が人に対してどう接しているのか。
相手のことをしっかりと考えているのか。
自分の言動に責任もっておこなっているのか。
専門職として確固たる『信念』をもって、ご利用者様とそのご家族と向き合っているのか。

『それを、しっかりと考えてから、私を非難してください。』


たとえ、非難されても
この文章は訂正するつもりはありません。
そのくらい、自分の言葉に責任をもって書きました。



拍手やコメントをくださったかた、
ありがとうございました。
コメントのお礼のお返事は 後日書かせていただきます。
ご了承くださいますようお願いいたします。
(本当に、本当に、いつもごめんなさいっ)


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拍手[2回]

告知

父の検査結果と両親と一緒に聴いた。


「9割、ほぼ間違いなく癌でしょう」
医師の言葉は、予想通りのものだった。
事実上の『がん告知』
見せられた『画像』は、
私が想像していたものより『大きかった』。


100%ではないのは、細胞検査がまだしていないからだ。
だから、年明け4日に気管支内視鏡で組織をとり最終検査をする。
でも、それは癌かどうかを調べるのではなく、
『癌細胞の種類を特定する』ためのもの。
その結果を受けて今後の治療法が決まる。


ただ、過去の2回と決定的に違うのは、
もう外科手術ができないということ。
父は、肺をこれ以上切除できないのだ。


これが意味するものは、
よほど父の体質にある抗がん剤治療でもない限り
『完治はない』ということ。


覚悟はしていた。

父から『肺に影がある』と聴かされた日から。

でも、今、何も手につかない。
思考が働かない。
今日、自宅でしようと思っていた仕事がある。
やらなくてはいけないことがある。

でも何一つできないのだ。


自分がこんなに動揺するとは思わなかった。


いや、あの時から、
心の準備をしていたから、この程度で済んだのだ。


母は、先生の話を聴いてかなり動揺していた。
父は私に
「4日の検査はお前は来なくていい」といった。
医師は、家族の付き添いが必要と言ったので、
父は「お母さんがいるから大丈夫だ」と、
私に再度言った。
でも、私は母に、
「お父さんはこういってるけど、
 (私が来なくても)お母さんは大丈夫?」
と、訊いたら、
「私には良くわからない」
と首を横に振った。

だから、私は4日の検査にも行くことにした。
母一人で付き添いは出来ないと思ったから。

それでも、私が母に前もって、
「お母さんと私が動揺しては、
 お父さんが治療に集中できないよ」
と言ったから、母なりに心の準備をしたのだろう。
だから、母の動揺も、この程度で済んだのだ。


事前に打てる手は打っておいてよかった。
両親の為にも、自分の為にも。


明日は仕事。
今年の勤務は明日と明後日。
残るモニタリングは2件。
あとは認定調査の立ち合い1件
担当者会議が1件

先週までにできる仕事は、済ませておいて良かった。

あとは、正月休みに事務処理の追い上げを再びする。


家族4人で普通に過ごせる正月はあと何回あるのだろうか、
今度の正月が、もしかしたら、
父と過ごす最後の『普通の正月』になるかもしれない。

また、『平凡なこと』がひとつ失われようとしている。
そのことに、愕然としている自分がいる。

でも、このままでいるわけにはいかない。
父の為にも、自分の為にも。


これから父と過ごす毎日を大切にするために
明日から、いつもの自分に戻れるよう、
今日一日で自分の気持ちを落ちつかせようと思う。


ご利用者様のもとに訪問しながら
介護は他人事ではないと思ってた。
いつか自分もその立場になるのだ、
娘として・・・。
常にそう思っていた。


そして、私にも
『そのとき』が来たということなのだ。
自分の置かれた状況を『受け入れる』ことが
これほど苦しいことだとは思わなかった。
ご利用者様とそのご家族も
きっと『これ』を乗り越えてきたのだろう。


だからこそ、明日から、また
ご利用者様とそのご家族と笑って話せるように、
私も、今の現実を『受容』できるように努力したい。




拍手やコメントをくださったかた、
ありがとうございました。
コメントのお礼のお返事は 後日書かせていただきます。
ご了承くださいますようお願いいたします。
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