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父の件が、一応ひと山越えたので、
『この休みは思いっきり遅れている仕事にとりくむぞ!!』と、
結構な量の仕事を持ち帰ったのですが、
昨日は、母と某量販店に買い物に行ってしまい、
今日は、早く起きて仕事するつもりが、目覚ましもダメ、母の『朝ご飯よ¡!』の声でも起きられず、ようやく起きられたのが8時過ぎてました・・・。
父に、「ようやく起きたか」と笑われました。
そんなわけで、仕事は全く進んでいません。
ちなみに、今日はちゃんと音楽教室に行きました。
18日にミニ発表会があるとのことで、しっかり申し込んでおきました。
曲は、昨年の秋の発表会で演奏しようと思っていた、kiroroの『未来へ』にしました。
一応仕上がっているのでどうにかなると思います。
父の癌が再発して、親のありがたみを改めて感じている今、この曲を演奏するのも、何かの縁かもしれません。
しかし、自分の身体が、
思った以上に疲れがたまっているんだな~と、思いました。
この3か月、自分の心と身体に鞭打って、父の事の対応をしていました。
仕事を休む事をせず、父の病院の付き添いで休んだ分は休日出勤して。
たった3か月でしたが、私の心身は限界まで来ていました。
でも、父に悟られまいと、必死に隠したつもりでした。
でも、そんなことは、きっと父は、すべてわかっているのでしょう。
両親から『感謝の言葉』を欲しいと思ったことはありません。
ただ、父が笑って過ごしていてほしい、それだけを願っています。
幸い、父の癌の進行は、今のところみられていませんし、
父は元気に好きなへらぶな釣りに行ってます。
とりあえず、小休止ができる『幸せ』をかみしめています。
私が『命』というものを、本当に意味で意識したのは、30歳代のはじめでした。
私が最初の勤めた会社は、大手の企業でしたので、高卒でも同期がそれなりに多くいました。
そのなかで、業務上でもかかわりが多かった同期の人がいました。
私は、3年で最初の職場を退職していたので、退職後は、彼女とは年賀状のやり取りで近況報告をするくらいになっていました。
でも、彼女の結婚式に招待してもらい、久しぶりの再会を喜びました。
そして、結婚してから数年後の年賀状に『2月に子供が生まれます』と、書いてありました。
だから、その翌年の年賀状に『お母さん業は大変だと思いますが、頑張ってください』と、書きました。
しかし、彼女から年賀状がきませんでした。
毎年年賀状を送ってくれた彼女から・・・。
なにかあったの・・・?
当然、そう思いました。
そして、2月に1通のはがきが届きました。
それは、彼女のご主人からでした。
彼女は、前年に亡くなっていました。
しかも、出産月に・・・。
詳細は書いてありませんでした。
でも、命日が出産月ということが、何を意味するかは解りました。
目に映る文字が、信じられませんでした。
一体何が起きたのか、
何が彼女の命を奪ったのか、
子どもの命はどうなったのか、
知りたいことが沢山ありました。
彼女の仏前に手を合わせたい・・・と、思いました。
でも、それらに対して私が行動を起こしても、
それは、私だけの自己満足でしかなく、
私が何かをすれば、ご主人やご両親などの彼女の親族や。かつての同僚たちの哀しみの傷を抉るだけだと思いました。
だから、私からは、何もしませんでした。
あえて、ご主人にも返信をしませんでした。
これでよかったかどうかは、今でもわかりませんが、
私がご主人に返信をすることで、もし、傷心のご主人の哀しみを煽るようなことになるの可能性があるのならそれは回避したいと思いました。
返信しなかったことで、『不義理な奴だ』と私がののしられるのなら、そのほうがいいと思いました。
妻として幸せな日々を送り、母になる喜びをかみしめていたであろう、彼女が、産み月に命を落とした、この現実。
こんな残酷なことがあるのか・・・と、この世に神仏はいないのか、そう思いました。
彼女の『死』が、私の人生観を変えました。
人の命はいつ終わるかわからない。
だからこそ、その日その日を大切に生きなければいけない、
やりたいこと、チャレンジしたいことは、出来る環境にあるのならするべきだ。
来年があるのが当たり前ではないのだ。
そう思うようになりました。
父の命と向き合いながら、彼女の笑顔を思い出して、
あらためて、『今日』という時間を大切にしようと、思いました。
彼岸にいる彼女が笑顔でいることを祈って・・・。
拍手やコメントをくださったかた、
ありがとうございました。
コメントのお礼のお返事は 後日書かせていただきます。
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今日は土曜日ですが、
明後日に父の病院の付き添いで休みをとっているため、
今日もまた仕事です。
ただ、今までの病院の受診が月一回になり、
移行するクリニックは、受診後に出勤できる場所にあるので、
今までのような、無謀な生活はだいぶ改善されると思います。
私の担当している方で、ある老々夫妻がいます。
夫が私の担当利用者様で、介護者は実質奥様だけ。
息子さんが一人いますが、障害者のため介護は難しい状態です。
ご主人は多くの病気をお持ちで、
私が1年前に他事業所から交代で引き継いだ時は、
実質引きこもりで、ADLも介助がないと歩行できず、
更に困ったことに『認知症が無いのに』
自身の身体のことを理解しておらず、一人で歩こうとして転倒してしまうのです。
そんなわけで、奥様はご主人から24時間目が離せない状態でした。
奥様の介護休養の時間をつくりたくて、ショートステイの提案をするも
本人が嫌がりました。
しかし、このままでは、奥様も倒れてしまうし、
ご主人のADLも低下して、寝たきりになるは時間の問題でした。
ですから、ご主人に
「奥様に頼りっぱなしで毎日生活していたら、奥さんが倒れます。
そうしたら、ご主人はこの家で生活できませんよ。
それに、このまま、家だけで過ごす生活をしていたら
ご主人歩けなくなりますよ。
そうしたら、やっぱり家で暮らせませんよ。
これからも家で暮らしたいのなら、
ご主人も努力してください!!」
と、あえて説教して、とりあえす、デイサービスに行くようなりました。
週1回ですが・・・。
それでも、2年半受診以外は外へ出なかった人なので、
大きな進歩でした。
でも、奥様の身体が限界に来ていましたので、
ショートステイの利用の話を進めはじめました。
ただ、病気が多い為、ショートステイ側も
医師からの注意事項を知りたいとのことで、
病院側とも連絡取り、情報提供もしました。
そうやって話をすすめていたところ・・・。
ご主人が人工透析になってしまいした。
もともと、末期の慢性腎不全だったので、
いつかはそうなるだろうとは
ご夫妻も私も思っていました。
しかし、私の勉強不足が、そこで露見してしまいました。
透析クリニックは院内の介助をしないとのことなのです。
「うちでは介助ができないので、家族がヘルパーが対応してください」
と言われました。
奥様は当然追い込まれます。
院内は介護保険のヘルパーは使えません。
社長に助言を求めたら、
「『あれもやった、これも調べた、いろいろやったけどだめだった。』そのうえでないと介護保険課は、相談に乗ってくれない」
とのことでした。
そのため、私は、地域の他の透析クリニックや病院に電話をしまくり、送迎と院内介助の対応をしているか問い合わせました。
しかし、どこもダメでした。
次に、ご主人が身体障碍者手帳2級を持っているので、障碍者支援で対応できないかも訊きましたが、介護保険同様、院内介助は無理との返答でした。
いろいろ調べてはいたのですが、父のこともあり、
最近仕事の対応が遅くなってしまっていたので、思うように動けずに、
自分で自分にイライラしていました。
とにかく、いろいろ調べたけど、どれもダメだったので、
夫妻の状況と調べた内容を文書にして、万全の態勢で介護保険課に掛け合う準備をしました。
ですが、その日の午後に介護保険課に掛け合うつもりでいた日の午前中でした。
奥様から電話がありました。
蚊のなくような声で。
「かたつむりさん、もう辛い。主人がもう透析に行きたくないと言っている。透析に行かないでこのまま死にたいと言っている。私もどうしたらいいか考えられない、もう死にたい」
そう言いました。
マズい!!
とっさに思いました。
楽天家なご主人と、気丈な奥様の言った言葉です。
奥様は、以前から
「かたつむりさん、私もう無理よ!」とは何度も言ってました、笑いながら。
社長に怒られるのはわかっていましたが、
訪問時はいつも2~3時間滞在し、奥様と話す時間をしっかり持つようにしていました。
奥様のはけ口をつくるために・・・。
サービスの手配と開始が、多くの持病の為にどうしても遅れてしまうので、
支援体制が整うまで、
せめて、私に愚痴をぶつけてほしいと思っていました。
やっと、デイサービスとショートステイの併用利用が見えてきたときの
人工透析。
デイサービスは利用継続できていますが、
話を進めていた、ショートステイは白紙になりました。
ショートステイ利用中の透析時は家族の送迎対応が最低条件です。
これでは、家族の介護休養にはならないのです。
ご夫妻にとっては、地獄のどん底に突き落とされたも同然でした。
私は奥様に電話口で、
「病院内のヘルーパ―に関して、調べるべきことは全てしたから、詳細を書いた書類も作ったので、今日の午後1番に介護保険課にかけあってくる!絶対にヘルパーを入れる許可をとってくるから!」
そう言いきりました。
介護保険課が『無理です』といったら、
「そうしたら、このご夫妻は間違いなく心中しますよ!!それでもいいんですか!!」
そこまで言うつもりでいたのです。
元々ケンカ覚悟で行くつもりでした。
午後、介護保険課に行って事情を説明したら、
病院内のヘルパー介助が、
今回の件は『特例で認められるものに該当する』とのことでした。
『ケアマネがきちんと、条件に充てはまる状況を記録に残して、ケアマネが必要と判断すれば大丈夫です。今、私(=介護保険課職員)にしてくださった説明をそのまま記録に残せば大丈夫です』とのことでした。
奥様に急いで電話をしました、
『透析クリニックでヘルパーが使えると、介護保険課から言われた』ことを伝えたら、奥様は喜んでくれました。
後日、自宅に伺い、私の家の事情とはいえ、対応が遅れたことを謝罪して頭を下げました。
奥様は、『かたつむりさんもお父さんのことで大変なんだから、わかっているわよ。でも、本当に、かたつむりさんありがとう。』
そう言ってくださいました。
どこのヘルパー会社にするかは、
本来ならばヘルパー会社を数社提示して、
ご夫妻に選んでいただくのが筋なのですが、
時間がないので、私が一番信頼しているヘルーパ―会社にお願いしました。
週3日すべて対応していただける見通しになり、事後報告で手配をしたことを奥様に合わせて伝えました。
担当者会議が、ご夫妻の都合で来月になってしまいましたが、奥様が、
「あと少し頑張れば、ヘルパーさんがやってくれると思えば、大丈夫よ」
と、言って下さいました、
私といつものように長話をしたあと、
「久しぶりに、声を出して笑ったわ。かたつむりさん、ほんとうにありがとう」
そう、笑顔でおっしゃってくださいました。
間にあってよかった・・・。
本当に、そう思いました。
そして、奥様が私に『死にたい』と言って下さったことに、心から感謝しました。
奥様がその言葉を、『本当の気持ち』を言って下さらなかったら、私は、お二人がそこまで追いつめられていることに、気づけなかったのです。
本当は、その言葉を聴かなくても、気づくべきなのが『ケアマネージャー』なのです。
そのことに気づけなかった私は、ケアマネとして『決定的な失敗』をしたのだということも、充分自覚しています。
今、自分で自分に腹が立っています。
でも、とにかく、ご夫妻に少しでも光が見えたことに、少しだけ安堵しました。
依頼したヘルパー会社は、私が初心者のときに受けた困難ケースを一緒に支援した会社です。
その方の対応で、私は、包括その他から『かたつむりさんはケアマネとして何もしていない』と責められ続けられました。自分なりに考えがあっての行動なのに、非難されて、とてもつらかったです。
そんな中で、このヘルパー会社は、最初から
『私は、担当ケアマネであるかたつむりさんの支援の方針にしたがって、一緒に支援していきます』
と言ってくれた、唯一の会社でした。
そして、色々を助言をいただきながら、最後まで支援をすることができました。
このとき『地域ケア会議』で、私は包括と実質対立し、結果、私の意見を正論で通しました。
『安全な場所にいて、責任も取らずに、非難だけする輩に、文句は言わせない』
そう思って、望んだ『地域ケア会議』でした。
包括・各支援事業所・行政など色々な方が見えてましたが、誰も私の言葉に反論しませんでした。
私がケアマネになって4カ月目のことでした。
そこから、みな、手のひらを返すように私を非難しなくなりましたが、一番苦しい時に味方してくれたのは、そのヘルパー会社だけでした。
その会社だからこそ、このご夫妻の支援を依頼しました。
今後の、自宅での身体介助や生活支援を見すえての依頼です。
小さな異変にもきっと気がついてくれるはずです。
私が信頼する『サービス提供責任者』のお兄さんは、私の『無茶な依頼』を心良く引き受けてくださいました。
「かたつむりさんからの依頼ですから」と。
私は、危うくご夫妻を『殺してしまう』ところでした。
今回のことで、ケアマネージャーの仕事は、
利用者様のそのご家族の命にかかわる仕事なのだど、現実的に実感しました。
今回の失敗を肝に銘じて、これからも精進したいと思います。
拍手やコメントをくださったかた、
ありがとうございました。
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私は、介護の仕事をはじめてすぐに、邪魔だからと、腰まで伸ばしていた髪を、ショートカットにしました。
今日、15年ぶりに『ポニーテール』にしています。
昨年夏に頸椎ヘルニアになり、美容院に行くのを控えていました。
しかし、そのあとに父の癌再発で、美容院に行く時間がなくなりました。
一時的に行っても、次にいつ行けるかわからない状態ですから、髪はしばらくこのままにしておきます。
今は介護職ではないので、髪が長いことで仕事に支障はありませんので。
今日は、音楽教室も休んで、自宅で事務仕事をひたすらする予定でした。
でも、具合が悪くなり、先ほどまで精神安定剤を飲んで寝ていました。
だから、ほとんど仕事は進んでません。
これから、どこまでできるか・・・。
今週は、父の件で土曜日に振替出勤しているので、6日間連勤です。
だから、あまり、無理は出来ません。
もともと書類作成の仕事が溜まっていたところへ父の癌の再発で、
色々と動きまわならければならず、
土曜日出勤が続き、
疲れすぎて仕事のペースが落ちて
更に、複数の利用者様の状態変化でプラン変更が多くて、
更に書類の山が大きくなりました。
正直、疲労感がとても強いです。
仕事から帰って、家の自分の部屋に入ると、動けません。
両親の前では、普通にふるまおうと必死です。
両親に余計な心配を負い目を持ってほしくないから。
だから、動けなくなるのは自分の部屋に入ってからです。
姉が、何もやってくれないので、私一人で全てを背負わなければなりません。
姉も、独身で私同様に親元にいます。
でも、今回の父の事に関しても、何もしません。
姉は昔から両親のことは何もしません。
だから、最初からあてにしていません。
姉は偉そうなことは言いますが、動きません。
だから、あえて、私からは何も言わないことにしました。
何もしてくれない人に、話すだけ時間の無駄。
本当に父の状況を知りたいのなら、自分から訊いてくるはずです。
でも、自分からは訊いてきません。
助け合える家族がいない苦しさを、身をもって感じています。
介護が必要になったら、母が頑張ってくれるでしょう。
でも、我が家は、決して介護力が強い家ではないと、私自身は思っています。
『父の気丈さ』に、これからも助けられるのだろうと思います。
昨日、同僚に『そんなに大変ならば、担当件数を減らせばいい』と、簡単に言われました。
私は『35件をキープしないと、給料が下がります、そうしたら、我が家の家計が直撃ですから』
といいました。そうしたら同僚は、
『そう、それじゃ、仕方ないわね』と、簡単に言って終わりでした。
たったそれだけの会話ですが、これは私の『地雷』でした。
養ってくれる旦那がいる『お気楽身分の同僚』には、その言葉がどれだけ相手に不快感を持たせるものか、わかるはずがない。
彼女は、無責任にいろいろ言ってくれるので、腹が立ちます。
前に「お父さん良くなるといいわね」と安易に言ってくれた同僚です。
実は、この同僚その後も、90%癌だと医師に言われた後にも
「まだ、結果が出たわけではないから、希望をもって、医師の言うことをきいて」
を言ってきました。
希望のかけらすらない状態でしたから、聞き流しましたけど。
しかし結果は『治療が不可能』という、予想以上の最悪の結果でした。
彼女は、自分は私に言った言葉をどう思っているのか・・・。
間違いなく、自分の言った言葉など忘れているでしょうけどね。
こんな思いやりのかけらもない人間が、ケアマネをしているんですから、
『ケアマネ不要論』も出るんです。
こんなケアマネ達ならば、私も『いらない』と思います。
今まで、私は、介護している方や、キーパーソンの方の心身状態には、とても注意してみてきたつもりでした。
みなさん「大丈夫」と言ってますが、本当は大丈夫ではないんです。
隠してるんです。
堪えているんです。
満身創痍なのに・・・。
だから、私は、時間をとって、主介護者やキーパーソンの方と話をするようにしています。
話の内容は様々です。世間話だったり、昔話だっり。
私も、自分自身のプライベートの話をします。自分のことや、両親のこと、相手が負担にならない内容でなけれな、自分の家族のことも話します。
私が『自分』を見せなければ、相手だって『自分』を見せるわけがない。
私は公私ともに、そう思って相手と向かい合ってます。
自分をさらけ出さない人間に、相手は本音は言ってくれません。
少なくとも、私は言いません。
『ケアマネ』という肩書で、根掘り葉掘り聞こうとするのは、単なる『傲慢』です。
だから、私は、緊急性がない限りは、まず、自分を出して、相手が、本音を見せてくれるのを待ちます。
そうすると、皆さん、いろいろ話をしてくれるようになって、限界のところで介護をしていることを打ち明けてくれるのです。
その本音をご自身の口から言える状況をつくることが大切なのです。
はけ口がなければ、必ず倒れます。
だから、いつも私は言ってました。
『介護されている方の健康も大切です。ご自身の為にも、介護を受けているご家族の為にも。介護されている方が倒れてしまったら、介護されている方も、家で生活ができなくなります。だかた、ご自身の為にも、ご家族の為にも、介護されている貴方自身のことも大切にしてください』と。
でも。その言葉すら、傲慢であったことが、自分がその立場に立って、良くわかりました。
今の私は、父の事を第一優先にしています。
自分のことは、二の次です。
でも、仕事は、今まで通りしなければならない。
私は、先ほどの同僚のように『旦那に養ってもらえるから、自分に無理のない範囲で仕事をする』という、楽な立場にはいません。
もう、『親元で生活をしている、独身のお気楽身分』は、とっくに終わっているのです。
家の家計も、両親の人生も、全て私が背負っているのです。
だから、今の私は、自分の病院受診もまともに行けません。
頸椎ヘルニアの受診すらも、まともにいけないのです.
首だから、大切な場所だから受診しなければいけないのは、もちろん承知の上です。
そう、主介護者やキーパーソンのというは、自分のことを後回しにしないとできないのが『現実』なのです。
それを、身をもって日々感じています。
キーパーソンは、自分のことを削らないと、できないのです。
楽しみにしていた、音楽教室を休まなければいけないほど。
土曜日出勤をしているので、自分の病院に行くことができないほど。
『自分を削らないと』できないのです。
ケアマネージャーとしての『知識』としては、持っていたとしても、その立場に置かれている方の、『真の現実』は見えないものでした。
少なくとも私は、みようと努力しましたが。見えていませんでした。
父のキーパーソンになって、そのことを痛烈に感じています。
より、一層、自身の専門職としての言動には気を付けなければいけない。
そのことを、あらためて、痛感している毎日です。
では、仕事に戻ります。
拍手やコメントをくださったかた、
ありがとうございました。
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今日は父の、転院先のクリニック(受診と訪問診療)の相談員さんの訪問面談があったので、休みを頂いていた。
でも、なんだかんだと、仕事の電話対応をしていたので、今日も休んだ気がしなかった。
土曜日にご利用者様を『追い出した』病院へ、
病院側の事情を訊くために、朝一番で電話した。
一方だけの話だけでは、わからないことが多い。
ソーシャルワーカーさんの話によると、
退院の直接のきっかけは、帰宅願望が強すぎての行動が原因ではあった。
しかし、病院側での薬の調整自体はすでに済んでおり、
現時点では有料老人ホームの入所手続きが完了するまでの『社会的入院』の状態に変わっていた。
だから、他の精神科の病院への転院は不可能なので、退院となるしかなかったようだ。
病院側も退院後の一時的な受け入れ先を探した。
たまたま近所の有料老人ホームの介護保険外のショートステイが2週間空いていたので、
そちらに移っていただき、その有料老人ホームと病院が連携をとっているので、
そこにいる間なら病院もフォローするとのこと。
話を聴いていて、病院側も『強制退院』とはしたものの、
ちゃんとその後のフォローはしてくれているので、
病院の対応としては、『ベター』だとは、『ケアマネとしての私』は思っている。
しかし、『家族』としては『追い出された』としか思えないだろう。
だから、ソーシャルワーカーさんには、
ケアマネとしては、理解できる対応であると言ったうえで、
『ご家族は、今回の退院の件をマイナスに感じている様子だし、
病院側の説明を理解している様子が無いので、
その辺の再度の説明とフォローをお願いします』と依頼し、
ソーシャルワーカーさんも了解してくださった。
とりあえずこちらは、今のところは、大丈夫そうだ。
緊急搬送された、おばあちゃまは、
娘さんが来れない為、親戚の方が明日来てくださることになり
明日病院を退院して、自宅へ戻ることになっている。
おばあちゃまは、「今日帰る!」と騒いでいるようで、
夕方病院から私のところへ連絡が来た。
娘さんにこの状況と、夜間一人で動き出した時の危険性をつたえておきたいとのこと。
しかし、連絡が取れないので困っているそうで、
私からも連絡をとり、病院へ連絡をしてもらうようにすると伝えた。
その際に、本人と娘さんが電話で話をできるようにして、
娘さんから本人に説得してもらえるようにしてほしいと依頼した。
「これから夕食の対応や夜間勤務であることは承知の上で頼んでいる
でも、娘さんから話してもらうことが一番納得するはず」と伝え、
出来る限りの対応しますとの返答を頂いた。
すぐに、娘さんと連絡をとり、
今ならお母様と電話でお話ができるかもしれないと伝えたら
すぐに病院にかけるとのこと。
その後、私に何も連絡がないということは、
どうにか落ち着いたのだろう。
退院のことは、その親類のかたにお任せすればいいので、
こちらも、とり急ぎのことはなくなった。
娘さんが、本人のところへ近々来るそうなので、
その時に根本的にプランの見直しをしなければいけないし、
娘さんの、『ケアマネと介護保険の間違いすぎた認識』を改めてもらう為に、
説明を一からしなければならない。
母子そろって、頑固者なので、考えるだけでも『恐ろしい』。
とにかく、今日も、父の面談中も何件も電話がかかってきて、
その後も何件も電話がかかってきた。
平日だから仕方がないが、
父の面談で結構神経を使っていたので、かなり疲れた。
父の面談自体はとてもスムーズに進んだ。
すでに、今通院している病院から情報が届いているとのことで、
あまりの速さに正直驚いた。
ソーシャルワーカーさんも感じの良い方なので、何かと相談しやすそうだ。
訪問診療になった際の説明を聴いた両親は、
緊急時も24時間病院と連絡が取れる状態で、
何らかの形で対応してくれることを知り、とても安心したようだ。
一応事前に私からも緊急時対応のことは両親に説明はしたが、
病院側から説明を受けたほうが、両親も安心できたのだろう。
主治医も決まったので、いつでも受診できる体制になった。
午前中のみの外来なので、
父の受診の付き添い後に出勤できる距離のクリニックなので、
仕事も、午後から訪問を安心していれられる。
ここのクリニックの受診に関しては、
休日の振替出勤はしなくても済みそうだ。
あまり、毎週土曜日出勤を続けすぎるのは、やはり良くないだろう。
会社が、本当に労基署に指導を受けてしまうことになるのは、私も本意ではない。
だから、そろそろ、土曜日出勤をしなくてもいい方法を見つけなければいけない。
少なくとも、父が『本当の終末期』に入るまでは・・・。
とにかく、仕事の電話対応と、父の諸対応で、
家で腰を据えてとりかかろうとした『事務仕事』は、
ほとんどできませんでした(T T)
どうやって、たまりすぎた事務処理を追い上げたらいいのか、頭を抱えています。
とりあえす、明日の仕事の段取りを練りたいと思います。
先ほどから、左手の薬指と小指が痺れています。
あまり整形外科の受診にいけないので、
首からきているのかもしれません。
父の事を優先して、自分のことを後回しにしている部分があるので、
自分の病院受診がなかなかできません。
こうやって、キーパーソンのかたは、体調を崩してくのだな・・・と、
自分がその『立場』になってみて、少しだけわかりました。
拍手やコメントをくださったかた、
ありがとうございました。
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