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ただ今、人生の仕切り直し中のケアマネ
プロフィール
HN:
かたつむり
性別:
女性
自己紹介:
心と身体を壊し、まだ人生の仕切り直し中のケアマネ。

保有資格:社会福祉士・介護福祉士・介護支援専門員。ついでに日商簿記2級・全商簿記1級
(Twitter@renrinoeda2)
P R
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突き付けられた現実『孤独死の一歩手前』で・・

ただいま、事務所におります。

出勤ではありません。

自分の棚の掃除・整理に来ています。

いままで社長と二人で仕事をしてきましたが、ぽつぽつと職員が増え始めて、現在は4名でやっております。
また、来月に一人入る予定です。
ちなみに、また社長の『お仲間』。
お仲間同士で集まって仕事をするのもいいですが、価値観の近いもの同士で仕事をしても、新たな刺激もないだろうし、社長に『異論を』いう人もいないだろうから、社員の構成としてはどうなのかな?と個人的には思ってます。

『『イエスマン』ばかりを集めては、会社は潰れる』と、何度も社長に言ってきました。

苦言をいう職員を切ってしまっては、会社は潰れる。

豊臣秀吉は、苦言を言う『弟:秀長』がいたことが、天下をとれた理由の一つだと私は『勝手に思って』います。
そして、秀長が死んでから、豊臣家は傾いていたと、歴史の素人の私は、『勝手に解釈』しています。

私は『経営者』ではありませんが、会社経営も当てはまると思っています。


この話は、また、機会をみて、書きたいと思っています。



そんなわけで、私は、今まで広々と使っていた『棚』のスペースを空けなけばらなくなりました。
今まで、整理整頓などしている余裕もなかったので、時間をつくってやらなけらば・・・と、思ってましたが、そんな時間が取れるくらいなら、仕事が溜るはずがありません。
ですから、片付けと整理の為だけに職場に来ています。

シュレッダーをかけているのですが、業務用ではないので、大量やるといったん止まってしまうので、その合間に打ってます。




前おきがながくなりましたが・・・。



昨日、新規のかたの訪問に行ってきました。


ある訪問介護事業所の社長からの依頼です。


電話に出てその社長から、開口一番言われました。


『かたつむりちゃん、新規受けてくれない、お願い。かたつむりちゃんにお願いしたいの。』


この社長は、私が、初心者の時に持った困難ケースを一緒に支援した訪問介護事業所(=ヘルパー会社)の社長です。
 この会社の社長やサ責さん(=サービス提供責任者)やヘルパーさんたちには、本当に助けていただきました。
今でも感謝していますし、『この会社に依頼をすれば絶対大丈夫』と、私的にはとても信頼している会社です。
ですから、社長には頭が上がらないわけです。
 

当然引き受けました。


この社長に依頼したのは、最近までうちの事務所と同じ地域で別の訪問介護事業所のサ責をしてたかた(Aさん)でした。


Aさん同席で、昨日初回訪問に行ってきました。

そこはB団地でした。

B団地は、生活保護世帯や高齢世帯が極端に多いときいていました。

高度経済成長期に立てたままの団地は、エレベータがありません。

数年前までB団地に住んでいいた、別のご利用者様の奥様は、
「あそこの団地の人たちは経済的に苦しくて、具合が悪くなっても病院に行けないのよ。行くときは救急車になって、もう戻ってこれなくで、病院でみんな死ぬの」
と、言ってました。
 

昨年末に、そこの地域を管轄している、包括支援センター(以下:包括)の管理者(今は異動で別の方に替わっています)さんから訊かれました。
「かたつむりさんのところは、B地域は、対応してくれるかな?」と。
この包括の管理者さんとは、私自身が仕事でいろいろとつながりを持っていました。

 実は包括の担当エリアが変わり、最近、その包括がB地域の担当になったばかりでした。
 
たぶんその団地のことを言っているのだろうと思いました。
困難ケースも多いだろう、とは思いました。
でも、うちの会社に来るケースは、なぜか『楽』なケースは一件もありません。

だから、

「その先の地域も私は行ってますので、地域的には大丈夫です。新規の受け入れの判断は社長になりますが。」

と、答えたら、数日後にすぐ、うちの事務所に依頼が来ました。



そんな団地なので、『楽なケースではない』と、すぐに思いました。



物が散乱した部屋で、取り急ぎ依頼した自費ベッドで、ご利用者様(C様)は横になっていました。

Aさんは
「私が入ったときは、『ゴミ屋敷』だったの。私がここまで片付けたのよ」
と、言ってました。

Cさんは、独居。独身。
20年以上前にお母さまを亡くされてから、ずっと独りで暮らしてきました。
兄弟とは音信不通。事実上の絶縁状態。
持病がありましたが、年金が少ないため、Cさんは、自転車置き場の仕事を仕事をしていたそうです。
Aさんはそこに自転車を置いていて、二人は『顔見知り』でしたが、互いの名前も知らなったそうです。

Aさんの話しでは、年が明けてから持病が悪化して、動けなくなり、トイレに行けず、食事もとれず、寒さの中で、汚れた布団の上で動けずにいて、衰弱してしまっていたそうです。

近所の人が、Cさんの異変に気付いたそうですが、どこに助けを求めたらいいのかわからなかったそうです。

そこで、Aさんが『介護の仕事をしている』ことを思い出して、Aさんの連絡先を探して、助けを求めたのだそうです。

役所でもなく・福祉事務所でもなく・包括支援センターでもなく、いち訪問介護事業所の職員に・・・。

Aさん曰く
「最初はだれのことを言っているのかわからなかった。来て顔を見て分かった。だってお互いに名前もしらなかったから。」

とのこと。

そして、

「私が来たときは、『孤独死』寸前の状態だったの。もう少し遅かったらどうなっていたか・・・こうやって、みんな『孤独死』になっていくのね。」


行政や包括支援センターは何をやっているのか・・・と、思いつつ、介護業界で仕事をしている者として、『現実』をまた突き付けられて、衝撃を受けました。

Aさんが包括へ行き、すべて手続きをして、介護申請をして、ケアマネ頼める段階まで持ってきたそうです。

一個人の、他人であるAさんが・・・。

Cさんは言いました。


「どこに助けを求めたらいいのか、わからなかった」


これが現実。


困ったときの相談場所が、高齢者に広まっていないのです。


私はCさんに言いました。


「Cさん、Aさんが『神様』に見えるでしょう。」と。


Cさんは、思いを込めた表情で言いました。


「ええ、本当にAさんは『神様』よ。Aさんには本当に感謝しているわ。Aさんがいなかったら、私はあのまま死んでいたわ・・・」と。



これが、高齢者を取り巻く現実。




Cさんの支援内容については、Aさんがすでに考えていて、それを私が、ケアマネとして実行してほしいとの事。
Aさんの提案に、もちろん私は異論はなく、そのままでプランを立てることにしました。



今の、高齢者を取り巻く現実を突きつけられて、自分の甘さを痛感しました。


そして、また、初心にかえって、『高齢者を取り巻く現実』を見つめて、ケアマネとして、仕事に精進したいと、思いました。




では、片づけに戻ります。




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『緩和ケア病棟』の登録手続き

今日は、有給休暇で仕事を休み、父の受診につきそった。

悪友が勤めている、某病院の緩和ケア病棟の申し込み手続きの為の外来。
この外来は、今日の一回で済む。
次に来るときは、入院するとき。


診察ではなく、先生との面談だった。
竹を割ったような、女医さんで、個人的には好きなタイプの医師だ。

そこの緩和ケア病棟は、入院の申し込みの依頼をしても、2~3週間待ちとのこと。
だから、他の入院できる病院も確保してほしいとのこと。

登録はしていただけることにはなったが、簡単には入院できるわけでないようだ。
それだけ、そこの病院の緩和ケア病棟を必要としている患者さんが多いという事。
そして、しっかりとした『緩和ケア』ができる病院がないということだ。


緩和ケアの先生には、自分がケアマネージャーをやっていることは言わないつもりだった。
私の職業がわかると互いにやりにくい場合があるからだ。
でも、私の話から、先生は何かを感じたんだろう。


「娘さん、もしかして『ケアマネ』ですか?」


私は、笑って頷いた。
やっぱり、隠せないらしい。


緩和ケア病棟の入院申し込みをしても、すぐには入れないとのことだが、
幸い、今後、主となっていくクリニックは、がんの緩和ケアに特化したクリニック。
その辺は、クリニックの先生方のお任せしても大丈夫だろう。
その為に、そこのクリニックにしたのだ。
更に幸いなことに、ソーシャルワーカーさんもしっかりしている人だ。
臨機応変の対応は出来るクリニックだと感じている。

そして、更に幸いなことに、父の癌の進行が幸いに見られていないので、今日の手続きが終われば、いったん小休止できると思う。



正直、この数か月の対応だけで、かなり疲れた。

今日も、病院から帰ってきたら、午後はずっと寝ていた。




当面は、自分の遅れている『仕事の山』と、本格的に格闘したいと思っているが、今その余力が残っているのか、ちょっと心配。



父の事で、今の私が、今できることは全てやったので、とりあえず、ひと段落ついて、少々気が抜けている。

そうなれることも、『幸せなこと』だとも思っている。



叔母(母の妹)に父の事を電話で経過報告をした。
叔母は、父のことはもちろんだが、母のことを心配していた。
叔母にとって母は、『姉以上の、母親のような存在』なのだ。
だから叔母に『お母さんのこと、頼むよ』と言われた。
私は『(母のことは)様子をみながら、ちゃんとやっていくから。』と叔母に言った。


母と叔母の仲の良さが、うらやましいと思う。



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その日その日を大切にしたい

父の件が、一応ひと山越えたので、
『この休みは思いっきり遅れている仕事にとりくむぞ!!』と、
結構な量の仕事を持ち帰ったのですが、
昨日は、母と某量販店に買い物に行ってしまい、
今日は、早く起きて仕事するつもりが、目覚ましもダメ、母の『朝ご飯よ¡!』の声でも起きられず、ようやく起きられたのが8時過ぎてました・・・。
父に、「ようやく起きたか」と笑われました。


そんなわけで、仕事は全く進んでいません。

ちなみに、今日はちゃんと音楽教室に行きました。
18日にミニ発表会があるとのことで、しっかり申し込んでおきました。
曲は、昨年の秋の発表会で演奏しようと思っていた、kiroroの『未来へ』にしました。
一応仕上がっているのでどうにかなると思います。
父の癌が再発して、親のありがたみを改めて感じている今、この曲を演奏するのも、何かの縁かもしれません。
 
しかし、自分の身体が、
思った以上に疲れがたまっているんだな~と、思いました。
この3か月、自分の心と身体に鞭打って、父の事の対応をしていました。
仕事を休む事をせず、父の病院の付き添いで休んだ分は休日出勤して。
たった3か月でしたが、私の心身は限界まで来ていました。
でも、父に悟られまいと、必死に隠したつもりでした。


でも、そんなことは、きっと父は、すべてわかっているのでしょう。


両親から『感謝の言葉』を欲しいと思ったことはありません。

ただ、父が笑って過ごしていてほしい、それだけを願っています。

幸い、父の癌の進行は、今のところみられていませんし、
父は元気に好きなへらぶな釣りに行ってます。


とりあえず、小休止ができる『幸せ』をかみしめています。




私が『命』というものを、本当に意味で意識したのは、30歳代のはじめでした。


私が最初の勤めた会社は、大手の企業でしたので、高卒でも同期がそれなりに多くいました。
そのなかで、業務上でもかかわりが多かった同期の人がいました。

私は、3年で最初の職場を退職していたので、退職後は、彼女とは年賀状のやり取りで近況報告をするくらいになっていました。
でも、彼女の結婚式に招待してもらい、久しぶりの再会を喜びました。

そして、結婚してから数年後の年賀状に『2月に子供が生まれます』と、書いてありました。

だから、その翌年の年賀状に『お母さん業は大変だと思いますが、頑張ってください』と、書きました。
しかし、彼女から年賀状がきませんでした。
毎年年賀状を送ってくれた彼女から・・・。


なにかあったの・・・?


当然、そう思いました。



そして、2月に1通のはがきが届きました。
それは、彼女のご主人からでした。


彼女は、前年に亡くなっていました。
しかも、出産月に・・・。
詳細は書いてありませんでした。
でも、命日が出産月ということが、何を意味するかは解りました。
 
 
目に映る文字が、信じられませんでした。


一体何が起きたのか、
何が彼女の命を奪ったのか、
子どもの命はどうなったのか、
知りたいことが沢山ありました。
彼女の仏前に手を合わせたい・・・と、思いました。


でも、それらに対して私が行動を起こしても、
それは、私だけの自己満足でしかなく、
私が何かをすれば、ご主人やご両親などの彼女の親族や。かつての同僚たちの哀しみの傷を抉るだけだと思いました。

だから、私からは、何もしませんでした。

あえて、ご主人にも返信をしませんでした。

これでよかったかどうかは、今でもわかりませんが、
私がご主人に返信をすることで、もし、傷心のご主人の哀しみを煽るようなことになるの可能性があるのならそれは回避したいと思いました。
返信しなかったことで、『不義理な奴だ』と私がののしられるのなら、そのほうがいいと思いました。

妻として幸せな日々を送り、母になる喜びをかみしめていたであろう、彼女が、産み月に命を落とした、この現実。


こんな残酷なことがあるのか・・・と、この世に神仏はいないのか、そう思いました。



彼女の『死』が、私の人生観を変えました。


人の命はいつ終わるかわからない。

だからこそ、その日その日を大切に生きなければいけない、

やりたいこと、チャレンジしたいことは、出来る環境にあるのならするべきだ。

来年があるのが当たり前ではないのだ。



そう思うようになりました。



父の命と向き合いながら、彼女の笑顔を思い出して、
あらためて、『今日』という時間を大切にしようと、思いました。



彼岸にいる彼女が笑顔でいることを祈って・・・。



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『ひと山』越えたと思います。

今日は父の病院受診へ行ってきました。
今まで通っていた病院です。

血液検査と胸部レントゲンを撮り、
その後に診察でした。

先生曰く、
『11月に影が見つかった時の映像を比較しても、特に変化は見られないから、当面は2か月ごとの経過観察の受診で行きましょう』
とのことでした。

当面は、今週から新たに受診するクリニックで、主に診てもらいつつ、必要な検査がある時は今までの病院でおこなうというかたちで、『両病院間での役割を分担する』ことになる、との先生の説明でした。


先生が『家族がここまで、しっかりと病院をみつけてくることは、なかなかないんですよ』と言ってました。

これができたのは、私がケアマネだから、ということではないと思ってます。

たまたま、『私が末期がん患者の訪問診療をおこなっているクリニックの院長の講演会を聴く機会』があり、『私の悪友が緩和ケア病棟の看護師をしている』という、恵まれた偶然が重なったから、私でも整えられたのだと思います。

私は、先生に言いました。
「転院先の病院には妥協はしたくなかったんです。在宅介護に限界が来た時に、しっかりと緩和ケアを受けられる病院も確保したかったんです。今、出来る手は全て打っておきたかったんです。父が心おきなく釣りを楽しめるように。」
先生も、「そうだね」と笑っていました。



父の心情は、私にも解りません。
家族の前で、弱音はいたことは一度もないひとです。

父は、中卒で、学歴はありません。
でも、頭は良いひとだと思います。
父は職人です。
職人は、親方や先輩から仕事を教えてもらえません。
少なくとも父の時代はそうだったようです。
親方や先輩の仕事をみて、やり方をぬすんで仕事を身につけていくのです。
自身の『腕』と職人の『勘』だけで、仕事をしてきたのです。
頭が良くなければ、出来ない仕事です。
父には、決断力も判断力にも『迷い』がありません。

『自分の病気のことは全て知りたい、余命宣告があったらそれも聴きたい。俺の人生だから、最後まで自分で決める』
父はそう言いきりました。

今回の再発がわかってからも、私が父に提案したことがいくつかありましたが、最終判断は全て父がしました。
転院の病院もすべて父に説明して、父の了解の上で進めました。
 
私が父の病院に同行することになったのは5年前の肺がんの発病からです。
父が自分から、私に言いました。
「俺だけでは先生の説明を理解できない、すまないが一緒に来てくれ。」
自分の出来る事、出来ないことを、しっかり判断できるのです。
加齢のため、自身で出来なくなっていくことがあることを、しっかり受容できるのです。
まあ、あまりに頑固すぎて家族を困らせると事だけは、どうしても変わりませんが・・・。

そんな父なので、私は、キーパーソンの娘としては、とても助かりました。


それでも、この3か月はとても疲れました。
毎週月曜日に父の病院ともに行き、その振替で、火~土曜日は仕事で、休みは日曜日だけでした。
正月の3が日に寝込み、それが治りきらないまま、4日は父の検査に付き添い、5日からは仕事に行きました。
われながら、調子が悪くなりながらも、よく身体が持ったと思います。


今、父の体調は落ち着いており、
受診もメインは今までの病院からクリニックに移行しても、今まで通っていた病院も当面2か月ごとの経過観察と必要時精密検査というかたちでのバックアップという、連携をとってもらえることになりました。
来月には、悪友が勤務している病院の緩和ケア外来に行き、入院が必要になった時の手続きをします。ここは外来は1回だけで終わります。あとは入院がひっようになった時にお世話になります。先日、悪友が先生に「私の友人のお父さんがきますので、よろしくお願いします」と口添えしてくれたそうです。悪友に改めて感謝です。



とりあえず、一つの山は越えたと思います。

今、私が出来る事はすべてやりました。

後は、父の生命力と父の『生きていたい』という強い思いに懸けるだけです。



父が大好きなへらぶな釣りを、一日でも長く続けられることを、願っています。


平穏な生活が一日でも長く続けられることを、祈っています。




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『間一髪』の出来事。

今日は土曜日ですが、
明後日に父の病院の付き添いで休みをとっているため、
今日もまた仕事です。
ただ、今までの病院の受診が月一回になり、
移行するクリニックは、受診後に出勤できる場所にあるので、
今までのような、無謀な生活はだいぶ改善されると思います。


私の担当している方で、ある老々夫妻がいます。
夫が私の担当利用者様で、介護者は実質奥様だけ。
息子さんが一人いますが、障害者のため介護は難しい状態です。


ご主人は多くの病気をお持ちで、
私が1年前に他事業所から交代で引き継いだ時は、
実質引きこもりで、ADLも介助がないと歩行できず、
更に困ったことに『認知症が無いのに』
自身の身体のことを理解しておらず、一人で歩こうとして転倒してしまうのです。
そんなわけで、奥様はご主人から24時間目が離せない状態でした。
奥様の介護休養の時間をつくりたくて、ショートステイの提案をするも
本人が嫌がりました。
しかし、このままでは、奥様も倒れてしまうし、
ご主人のADLも低下して、寝たきりになるは時間の問題でした。

ですから、ご主人に
「奥様に頼りっぱなしで毎日生活していたら、奥さんが倒れます。
 そうしたら、ご主人はこの家で生活できませんよ。
 それに、このまま、家だけで過ごす生活をしていたら
 ご主人歩けなくなりますよ。
 そうしたら、やっぱり家で暮らせませんよ。
 これからも家で暮らしたいのなら、
 ご主人も努力してください!!」
と、あえて説教して、とりあえす、デイサービスに行くようなりました。
週1回ですが・・・。
それでも、2年半受診以外は外へ出なかった人なので、
大きな進歩でした。


でも、奥様の身体が限界に来ていましたので、
ショートステイの利用の話を進めはじめました。
ただ、病気が多い為、ショートステイ側も
医師からの注意事項を知りたいとのことで、
病院側とも連絡取り、情報提供もしました。
そうやって話をすすめていたところ・・・。
 

ご主人が人工透析になってしまいした。


もともと、末期の慢性腎不全だったので、
いつかはそうなるだろうとは
ご夫妻も私も思っていました。


しかし、私の勉強不足が、そこで露見してしまいました。


透析クリニックは院内の介助をしないとのことなのです。
「うちでは介助ができないので、家族がヘルパーが対応してください」
と言われました。
奥様は当然追い込まれます。
院内は介護保険のヘルパーは使えません。
社長に助言を求めたら、
「『あれもやった、これも調べた、いろいろやったけどだめだった。』そのうえでないと介護保険課は、相談に乗ってくれない」
とのことでした。

そのため、私は、地域の他の透析クリニックや病院に電話をしまくり、送迎と院内介助の対応をしているか問い合わせました。
しかし、どこもダメでした。
次に、ご主人が身体障碍者手帳2級を持っているので、障碍者支援で対応できないかも訊きましたが、介護保険同様、院内介助は無理との返答でした。


いろいろ調べてはいたのですが、父のこともあり、
最近仕事の対応が遅くなってしまっていたので、思うように動けずに、
自分で自分にイライラしていました。


とにかく、いろいろ調べたけど、どれもダメだったので、
夫妻の状況と調べた内容を文書にして、万全の態勢で介護保険課に掛け合う準備をしました。


ですが、その日の午後に介護保険課に掛け合うつもりでいた日の午前中でした。

奥様から電話がありました。

蚊のなくような声で。

「かたつむりさん、もう辛い。主人がもう透析に行きたくないと言っている。透析に行かないでこのまま死にたいと言っている。私もどうしたらいいか考えられない、もう死にたい」
そう言いました。


マズい!!


とっさに思いました。


楽天家なご主人と、気丈な奥様の言った言葉です。



奥様は、以前から
「かたつむりさん、私もう無理よ!」とは何度も言ってました、笑いながら。
社長に怒られるのはわかっていましたが、
訪問時はいつも2~3時間滞在し、奥様と話す時間をしっかり持つようにしていました。
奥様のはけ口をつくるために・・・。
サービスの手配と開始が、多くの持病の為にどうしても遅れてしまうので、
支援体制が整うまで、
せめて、私に愚痴をぶつけてほしいと思っていました。


やっと、デイサービスとショートステイの併用利用が見えてきたときの
人工透析。


デイサービスは利用継続できていますが、
話を進めていた、ショートステイは白紙になりました。

ショートステイ利用中の透析時は家族の送迎対応が最低条件です。
これでは、家族の介護休養にはならないのです。



ご夫妻にとっては、地獄のどん底に突き落とされたも同然でした。



私は奥様に電話口で、
「病院内のヘルーパ―に関して、調べるべきことは全てしたから、詳細を書いた書類も作ったので、今日の午後1番に介護保険課にかけあってくる!絶対にヘルパーを入れる許可をとってくるから!」
そう言いきりました。

介護保険課が『無理です』といったら、
「そうしたら、このご夫妻は間違いなく心中しますよ!!それでもいいんですか!!」
そこまで言うつもりでいたのです。
元々ケンカ覚悟で行くつもりでした。


午後、介護保険課に行って事情を説明したら、
病院内のヘルパー介助が、
今回の件は『特例で認められるものに該当する』とのことでした。
『ケアマネがきちんと、条件に充てはまる状況を記録に残して、ケアマネが必要と判断すれば大丈夫です。今、私(=介護保険課職員)にしてくださった説明をそのまま記録に残せば大丈夫です』とのことでした。

奥様に急いで電話をしました、
『透析クリニックでヘルパーが使えると、介護保険課から言われた』ことを伝えたら、奥様は喜んでくれました。


後日、自宅に伺い、私の家の事情とはいえ、対応が遅れたことを謝罪して頭を下げました。
 
奥様は、『かたつむりさんもお父さんのことで大変なんだから、わかっているわよ。でも、本当に、かたつむりさんありがとう。』
そう言ってくださいました。
 
どこのヘルパー会社にするかは、
本来ならばヘルパー会社を数社提示して、
ご夫妻に選んでいただくのが筋なのですが、
時間がないので、私が一番信頼しているヘルーパ―会社にお願いしました。
週3日すべて対応していただける見通しになり、事後報告で手配をしたことを奥様に合わせて伝えました。


担当者会議が、ご夫妻の都合で来月になってしまいましたが、奥様が、
「あと少し頑張れば、ヘルパーさんがやってくれると思えば、大丈夫よ」
と、言って下さいました、

私といつものように長話をしたあと、
「久しぶりに、声を出して笑ったわ。かたつむりさん、ほんとうにありがとう」
そう、笑顔でおっしゃってくださいました。



間にあってよかった・・・。


本当に、そう思いました。


そして、奥様が私に『死にたい』と言って下さったことに、心から感謝しました。


奥様がその言葉を、『本当の気持ち』を言って下さらなかったら、私は、お二人がそこまで追いつめられていることに、気づけなかったのです。

本当は、その言葉を聴かなくても、気づくべきなのが『ケアマネージャー』なのです。

そのことに気づけなかった私は、ケアマネとして『決定的な失敗』をしたのだということも、充分自覚しています。
今、自分で自分に腹が立っています。



でも、とにかく、ご夫妻に少しでも光が見えたことに、少しだけ安堵しました。



依頼したヘルパー会社は、私が初心者のときに受けた困難ケースを一緒に支援した会社です。
その方の対応で、私は、包括その他から『かたつむりさんはケアマネとして何もしていない』と責められ続けられました。自分なりに考えがあっての行動なのに、非難されて、とてもつらかったです。
そんな中で、このヘルパー会社は、最初から
『私は、担当ケアマネであるかたつむりさんの支援の方針にしたがって、一緒に支援していきます』
と言ってくれた、唯一の会社でした。
そして、色々を助言をいただきながら、最後まで支援をすることができました。
このとき『地域ケア会議』で、私は包括と実質対立し、結果、私の意見を正論で通しました。
『安全な場所にいて、責任も取らずに、非難だけする輩に、文句は言わせない』
そう思って、望んだ『地域ケア会議』でした。
包括・各支援事業所・行政など色々な方が見えてましたが、誰も私の言葉に反論しませんでした。
私がケアマネになって4カ月目のことでした。
そこから、みな、手のひらを返すように私を非難しなくなりましたが、一番苦しい時に味方してくれたのは、そのヘルパー会社だけでした。


その会社だからこそ、このご夫妻の支援を依頼しました。
今後の、自宅での身体介助や生活支援を見すえての依頼です。
小さな異変にもきっと気がついてくれるはずです。
私が信頼する『サービス提供責任者』のお兄さんは、私の『無茶な依頼』を心良く引き受けてくださいました。
「かたつむりさんからの依頼ですから」と。


私は、危うくご夫妻を『殺してしまう』ところでした。

今回のことで、ケアマネージャーの仕事は、
利用者様のそのご家族の命にかかわる仕事なのだど、現実的に実感しました。


今回の失敗を肝に銘じて、これからも精進したいと思います。



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見えない『現実』

私は、介護の仕事をはじめてすぐに、邪魔だからと、腰まで伸ばしていた髪を、ショートカットにしました。


今日、15年ぶりに『ポニーテール』にしています。
昨年夏に頸椎ヘルニアになり、美容院に行くのを控えていました。
しかし、そのあとに父の癌再発で、美容院に行く時間がなくなりました。
一時的に行っても、次にいつ行けるかわからない状態ですから、髪はしばらくこのままにしておきます。
今は介護職ではないので、髪が長いことで仕事に支障はありませんので。


今日は、音楽教室も休んで、自宅で事務仕事をひたすらする予定でした。
でも、具合が悪くなり、先ほどまで精神安定剤を飲んで寝ていました。
だから、ほとんど仕事は進んでません。
これから、どこまでできるか・・・。
今週は、父の件で土曜日に振替出勤しているので、6日間連勤です。
だから、あまり、無理は出来ません。


もともと書類作成の仕事が溜まっていたところへ父の癌の再発で、
色々と動きまわならければならず、
土曜日出勤が続き、
疲れすぎて仕事のペースが落ちて
更に、複数の利用者様の状態変化でプラン変更が多くて、
更に書類の山が大きくなりました。

 正直、疲労感がとても強いです。

仕事から帰って、家の自分の部屋に入ると、動けません。
両親の前では、普通にふるまおうと必死です。
両親に余計な心配を負い目を持ってほしくないから。
だから、動けなくなるのは自分の部屋に入ってからです。

 

姉が、何もやってくれないので、私一人で全てを背負わなければなりません。
姉も、独身で私同様に親元にいます。
でも、今回の父の事に関しても、何もしません。
姉は昔から両親のことは何もしません。
だから、最初からあてにしていません。

 
姉は偉そうなことは言いますが、動きません。
だから、あえて、私からは何も言わないことにしました。
何もしてくれない人に、話すだけ時間の無駄。
本当に父の状況を知りたいのなら、自分から訊いてくるはずです。
でも、自分からは訊いてきません。

助け合える家族がいない苦しさを、身をもって感じています。

介護が必要になったら、母が頑張ってくれるでしょう。

でも、我が家は、決して介護力が強い家ではないと、私自身は思っています。

『父の気丈さ』に、これからも助けられるのだろうと思います。


 
昨日、同僚に『そんなに大変ならば、担当件数を減らせばいい』と、簡単に言われました。
私は『35件をキープしないと、給料が下がります、そうしたら、我が家の家計が直撃ですから』
といいました。そうしたら同僚は、
『そう、それじゃ、仕方ないわね』と、簡単に言って終わりでした。
たったそれだけの会話ですが、これは私の『地雷』でした。
養ってくれる旦那がいる『お気楽身分の同僚』には、その言葉がどれだけ相手に不快感を持たせるものか、わかるはずがない。
彼女は、無責任にいろいろ言ってくれるので、腹が立ちます。
前に「お父さん良くなるといいわね」と安易に言ってくれた同僚です。
実は、この同僚その後も、90%癌だと医師に言われた後にも
「まだ、結果が出たわけではないから、希望をもって、医師の言うことをきいて」
を言ってきました。
希望のかけらすらない状態でしたから、聞き流しましたけど。

 

しかし結果は『治療が不可能』という、予想以上の最悪の結果でした。


彼女は、自分は私に言った言葉をどう思っているのか・・・。
間違いなく、自分の言った言葉など忘れているでしょうけどね。


こんな思いやりのかけらもない人間が、ケアマネをしているんですから、
『ケアマネ不要論』も出るんです。
こんなケアマネ達ならば、私も『いらない』と思います。
 
 

今まで、私は、介護している方や、キーパーソンの方の心身状態には、とても注意してみてきたつもりでした。
みなさん「大丈夫」と言ってますが、本当は大丈夫ではないんです。
隠してるんです。
堪えているんです。

満身創痍なのに・・・。

だから、私は、時間をとって、主介護者やキーパーソンの方と話をするようにしています。
話の内容は様々です。世間話だったり、昔話だっり。
私も、自分自身のプライベートの話をします。自分のことや、両親のこと、相手が負担にならない内容でなけれな、自分の家族のことも話します。



私が『自分』を見せなければ、相手だって『自分』を見せるわけがない

 

私は公私ともに、そう思って相手と向かい合ってます。

自分をさらけ出さない人間に、相手は本音は言ってくれません。

少なくとも、私は言いません。

 

『ケアマネ』という肩書で、根掘り葉掘り聞こうとするのは、単なる『傲慢』です。

だから、私は、緊急性がない限りは、まず、自分を出して、相手が、本音を見せてくれるのを待ちます。

そうすると、皆さん、いろいろ話をしてくれるようになって、限界のところで介護をしていることを打ち明けてくれるのです。

その本音をご自身の口から言える状況をつくることが大切なのです。

はけ口がなければ、必ず倒れます。


だから、いつも私は言ってました。

『介護されている方の健康も大切です。ご自身の為にも、介護を受けているご家族の為にも。介護されている方が倒れてしまったら、介護されている方も、家で生活ができなくなります。だかた、ご自身の為にも、ご家族の為にも、介護されている貴方自身のことも大切にしてください』と。

でも。その言葉すら、傲慢であったことが、自分がその立場に立って、良くわかりました。

 

今の私は、父の事を第一優先にしています。
自分のことは、二の次です。
でも、仕事は、今まで通りしなければならない。


私は、先ほどの同僚のように『旦那に養ってもらえるから、自分に無理のない範囲で仕事をする』という、楽な立場にはいません。

もう、『親元で生活をしている、独身のお気楽身分』は、とっくに終わっているのです。



家の家計も、両親の人生も、全て私が背負っているのです。

だから、今の私は、自分の病院受診もまともに行けません。

頸椎ヘルニアの受診すらも、まともにいけないのです.

首だから、大切な場所だから受診しなければいけないのは、もちろん承知の上です。 



そう、主介護者やキーパーソンのというは、自分のことを後回しにしないとできないのが『現実』なのです。



それを、身をもって日々感じています。


キーパーソンは、自分のことを削らないと、できないのです。

楽しみにしていた、音楽教室を休まなければいけないほど。

土曜日出勤をしているので、自分の病院に行くことができないほど。 


『自分を削らないと』できないのです。



ケアマネージャーとしての『知識』としては、持っていたとしても、その立場に置かれている方の、『真の現実』は見えないものでした。

少なくとも私は、みようと努力しましたが。見えていませんでした。



父のキーパーソンになって、そのことを痛烈に感じています。


より、一層、自身の専門職としての言動には気を付けなければいけない。

そのことを、あらためて、痛感している毎日です。

 

では、仕事に戻ります。


 
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実質『仕事をしていた』3連休でした。

今日は父の、転院先のクリニック(受診と訪問診療)の相談員さんの訪問面談があったので、休みを頂いていた。
でも、なんだかんだと、仕事の電話対応をしていたので、今日も休んだ気がしなかった。


土曜日にご利用者様を『追い出した』病院へ、
病院側の事情を訊くために、朝一番で電話した。
一方だけの話だけでは、わからないことが多い。

ソーシャルワーカーさんの話によると、
退院の直接のきっかけは、帰宅願望が強すぎての行動が原因ではあった。
しかし、病院側での薬の調整自体はすでに済んでおり、
現時点では有料老人ホームの入所手続きが完了するまでの『社会的入院』の状態に変わっていた。
だから、他の精神科の病院への転院は不可能なので、退院となるしかなかったようだ。
病院側も退院後の一時的な受け入れ先を探した。
たまたま近所の有料老人ホームの介護保険外のショートステイが2週間空いていたので、
そちらに移っていただき、その有料老人ホームと病院が連携をとっているので、
そこにいる間なら病院もフォローするとのこと。

話を聴いていて、病院側も『強制退院』とはしたものの、
ちゃんとその後のフォローはしてくれているので、
病院の対応としては、『ベター』だとは、『ケアマネとしての私』は思っている。

しかし、『家族』としては『追い出された』としか思えないだろう。

だから、ソーシャルワーカーさんには、
ケアマネとしては、理解できる対応であると言ったうえで、
『ご家族は、今回の退院の件をマイナスに感じている様子だし、
 病院側の説明を理解している様子が無いので、
 その辺の再度の説明とフォローをお願いします』と依頼し、
ソーシャルワーカーさんも了解してくださった。

とりあえずこちらは、今のところは、大丈夫そうだ。


緊急搬送された、おばあちゃまは、
娘さんが来れない為、親戚の方が明日来てくださることになり
明日病院を退院して、自宅へ戻ることになっている。
おばあちゃまは、「今日帰る!」と騒いでいるようで、
夕方病院から私のところへ連絡が来た。
娘さんにこの状況と、夜間一人で動き出した時の危険性をつたえておきたいとのこと。
しかし、連絡が取れないので困っているそうで、
私からも連絡をとり、病院へ連絡をしてもらうようにすると伝えた。
その際に、本人と娘さんが電話で話をできるようにして、
娘さんから本人に説得してもらえるようにしてほしいと依頼した。
「これから夕食の対応や夜間勤務であることは承知の上で頼んでいる
 でも、娘さんから話してもらうことが一番納得するはず」と伝え、
出来る限りの対応しますとの返答を頂いた。
すぐに、娘さんと連絡をとり、
今ならお母様と電話でお話ができるかもしれないと伝えたら
すぐに病院にかけるとのこと。
その後、私に何も連絡がないということは、
どうにか落ち着いたのだろう。
退院のことは、その親類のかたにお任せすればいいので、
こちらも、とり急ぎのことはなくなった。
娘さんが、本人のところへ近々来るそうなので、
その時に根本的にプランの見直しをしなければいけないし、
娘さんの、『ケアマネと介護保険の間違いすぎた認識』を改めてもらう為に、
説明を一からしなければならない。

母子そろって、頑固者なので、考えるだけでも『恐ろしい』。

とにかく、今日も、父の面談中も何件も電話がかかってきて、
その後も何件も電話がかかってきた。
平日だから仕方がないが、
父の面談で結構神経を使っていたので、かなり疲れた。



父の面談自体はとてもスムーズに進んだ。
すでに、今通院している病院から情報が届いているとのことで、
あまりの速さに正直驚いた。
ソーシャルワーカーさんも感じの良い方なので、何かと相談しやすそうだ。

訪問診療になった際の説明を聴いた両親は、
緊急時も24時間病院と連絡が取れる状態で、
何らかの形で対応してくれることを知り、とても安心したようだ。
一応事前に私からも緊急時対応のことは両親に説明はしたが、
病院側から説明を受けたほうが、両親も安心できたのだろう。
主治医も決まったので、いつでも受診できる体制になった。
午前中のみの外来なので、
父の受診の付き添い後に出勤できる距離のクリニックなので、
仕事も、午後から訪問を安心していれられる。
ここのクリニックの受診に関しては、
休日の振替出勤はしなくても済みそうだ。
あまり、毎週土曜日出勤を続けすぎるのは、やはり良くないだろう。
会社が、本当に労基署に指導を受けてしまうことになるのは、私も本意ではない。
だから、そろそろ、土曜日出勤をしなくてもいい方法を見つけなければいけない。
少なくとも、父が『本当の終末期』に入るまでは・・・。


とにかく、仕事の電話対応と、父の諸対応で、
家で腰を据えてとりかかろうとした『事務仕事』は、
ほとんどできませんでした(T T)
どうやって、たまりすぎた事務処理を追い上げたらいいのか、頭を抱えています。


とりあえす、明日の仕事の段取りを練りたいと思います。


先ほどから、左手の薬指と小指が痺れています。
あまり整形外科の受診にいけないので、
首からきているのかもしれません。
父の事を優先して、自分のことを後回しにしている部分があるので、
自分の病院受診がなかなかできません。
こうやって、キーパーソンのかたは、体調を崩してくのだな・・・と、
自分がその『立場』になってみて、少しだけわかりました。



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何でも丸投げする『家族』

昨日の怒り駄文と、少し矛盾するが
最近イラッとすることがある。


『ほんの一部の家族の考え方』である。


ほとんどのご家族が、ご利用者様の為に
一生懸命介護している。
介護を各サービスに依頼しても
家族としてするべきことを
一生懸命考えて行動している。


しかし、ほんの一部の家族が勘違いしている。


『ケアマネージャーは何でもやってくれる』と本気で思っているのだ。

さすがに、ケアマネは『何でも』はできない。


利用者様のご家族からきいた話だが、どうやら、役所で
『ケアマネージャーさんに相談すると『何でも』やってくれるから、頼んだほうがいい』
とか言っている役人がいるらしい。


だったら、それに見合う給料出せ!!と言いたい。



私は、精神的に追い詰められているご家族には
「困ったことがあったらいつでも連絡ください」と言っている。
そうしないと、心が壊れるかもしれないからだ。


しかし、この休みにかかってきた電話は、
決してそうではない。


いずれも、ご利用者様は『独り暮らし』。
家族は、遠方に住んでいる。
そして、ケアマネが何でもやってくれると思っている。

救急搬送された方の娘さんは、
「母の退院のときは、かたつむりさんが迎えに行ってくれますよね。」
と、言い切った。
前任者の社長は、ケアマネの仕事と介護保険についてどう説明したんだ!!
と、腹がたったが、その娘さんの感覚も疑った。
私の父の病気の事は、その娘さんには話してある。
「月曜日は父の件で病院の対応があるので、私は月曜日は休みなのです。」
と、言ったが、それでも私に行ってほしいらしい。
社長に相談したら、
「かたつむりさんは月曜日は休みだから対応しなくていい。
 私か、他のスタッフが対応する。
 でも、今後このようなことが又あるだろうから
 支援の内容を見直したほうがいいね」
とのこと。
娘さんに社長の話を伝えると、
「母は、社長さんかかたつむりさん以外の人が行ったら
 知らないひとだと嫌がるから・・・」
と、社長か私に来てほしいらしい。
「社長も月曜日は予定がびっしりで無理なんです。」
と、言い切りました。ついでに、
「私も火曜日は、もう予定が詰まっていて、お母様の退院のお迎えの対応はむずかしいです」
と、はっきりといった。
そこで、
『ケアマネージャーの本来の業務は、
 支援の計画をたてて、支援者の連絡調整をするのが仕事であり、
 退院の迎えに行くのは本来の仕事ではない』
と、はっきり言った。
このご利用者様、実は昨年も同様なことがあって、
どうにもならないから
とりあえず私が対応するしかなくてやったのだが、
それが当たり前だと思ったらしい。
娘さんは
「じゃあ、どうしたらいいの!」
と、おろおろしはじめた。


私は、ご利用者様の病院の入退院時の対応は
基本は家族が対応するものだと思っている。
病院側も、他人が来ても困るのだ。例えケアマネでもだ。
病院側も、家族にしか話せないことや相談したいことが沢山ある。
もし、他人に対応してもらいたいのならば、
病院へ、それなりの説明や根回しを『家族』がしなければいけない。
利用者の病状等のやり取りは、『基本は家族』しかできないのだ。
それをわかっていない家族が意外と多い。
このことに関しては、仕事をしていて、本当にとても困っている。


娘さんには
「こういう対応は、ヘルパーさんにお願いすることが多いです。
 でも、あくまで介助だけであり、医師とのやり取りはできません。
 それは、家族しかできないのです。」
と、きっぱりといわせてもらった。
「ですから、今度お母様のところにいらした際に、支援内容の見直しを相談したいと思います」
と、つけくわえさせてもらった。



独り暮らしのご利用者様は
『覚悟』をしている人は多い。
『もう、何が起きてもおかしくない歳だから』、と。

逆に、離れて暮らしている子供が
覚悟ができていない人が多い。
『親に何かあったらどうしよう』と。
どうしようと思うなら、どうすればいいのか考えればいい。
でも、ケアマネに丸投げする家族がいるのだ。
それでいて、不満だけは言う。
そして、こちらが何か言うと『逃げる』のだ。
遠くにいるし自分にも家族がいるから一緒に住めない・・と。


同居であろうと別居であろうと
ほとんどの家族は必死に介護している。
遠方で介護が難しくても
家族として自分ができることを必死に考えている。
家族としての責務を必死に果たしている。

でも、ほんの一握りだが、『丸投げ』する家族がいるのだ。
 
 
二者択一しかないのだ。
共に暮らして、最後まで看るか、
離れて暮らしたまま、覚悟を決めておくか。
または
居宅サービスを使いながら、別居でも、できる範囲で自分で介護をするか
高いお金を払って、有料老人ホームへの入所とするか。
選ぶしかないのだ、現状では。

ここは、綺麗ごとは言えない。



ケアマネは、そして支援者は
『家族』や『子ども』が背負うべき
『責任と義務』までは背負えない。
少なくとも私は、背負う気はない。


『ご利用者様とそのご家族の生活と人生を守り支える』
という信念は変わらない。
でも、それは、支援者としての信念だ。

家族の責任と義務まで背負う気はない。



ケアマネージャーとしての責務は勿論果たす。

でも、正直、今の私は、
自分の父の人生を背負うだけでも精一杯というのも本音なのだ。


意識のない父が人工呼吸器を付けることが必要となった場合、
私が父の代わりに、それを拒否しなければならない。
私が書類に署名する。
これは、父から頼まれたことの一つである。
父の癌が治せないとわかってから、
私は父からたくさんのことを託されている。
中には、親類から非難を間違いなく受けることもある。
それでも、父の意志ならば、しなければならない。
母には、『親戚からの非難はすべて私が引き受ける』と、いってある。
父がそれを選択した理由をわかっているから、私は親類に反論する自信はある。
父の遺言を周囲に『否』は絶対に言わせない。
父から託されたこと以外でも、
この先、病気が進行して、父に判断能力がなくなった時に、
家族として私が判断して決めなければならないこともたくさんあるだろう。

でも、これらは、『娘』である私しか背負えないのだ。
職業がケアマネージャーであることは関係ない。
『娘』だから、背負わなければならないのだ。
この立場から、逃げるつもりは毛頭ない。


どうか、ご利用者様に関して
『家族』『子ども』としての責任と義務を放棄しないでください。
それこそ、ご利用者様にとって『一番不幸で哀しい』ことなのです。



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『生きていく場』がなくなる高齢者

私が担当してる独り暮らしのご利用者様が
年末から、突然認知症の周辺症状が突然に出現し、
急激に悪化していった。
幻覚・幻聴・被害妄想が常に出ている状態だった。
すべての内容が本人を非難するものばかりなので、
更に、不穏・興奮状態を悪化させいった。
 
隣の県に住んでいる息子は、時折様子をみにきていたが、
母親の状況を把握できていなかった。
その息子の認識の甘さに、
担当ケアマネながら驚き、自身の詰めの甘さを反省した。
社長から引き継いだケースだからと安心してたのが、間違いだった。
肝心なところの認識が、すっぽり抜けていたのだ。


とにかく周辺症状がでてから、
息子が自分の母親の状況を認識出来るまでに時間がかかった。
精神科の受診を何度も勧めても、その必要性を理解してくれなかった。


しかし、本人が大きな『騒動』を起こしてしまったことが、
幸か不幸か、その息子をようやく動かすことになり、
その結果、ようやく精神科への入院となった。

だから、私も安心した。
周辺症状がおさまるための治療がようやく受けられるとおもった。



だが、今日、突然、息子から電話があった。
今日病院を退院して、
近所の有料老人ホームのショートステイに移ることになったとのこと。
理由を伺うと
『帰宅願望が強く、外へ出ようとするため、
 玄関を施錠を出来ない病院としては『看れない』』
と、いうことだそうだ。
つまり、病院を追い出されたのだ。


急激の悪化で、状況に対応できない家族が、やっと動いて
ようやく主治医を受診し、
その翌日に主治医から紹介された精神科へ入院となったので、
私はタイミング的に区分変更申請をすることができなかった。
ちなみに今は『要介護1』。

そのため、特養の申し込みもできない。
『特例』に該当するかどうかを今調べているところだ。


有料老人ホームやグループホームは経済的には厳しい。

我が家だって、自分の親を
有料老人ホームやグループホームに入れるお金はない。
特養だって正直厳しい。


私の担当している人は、
必要な支援が介護保険上認められなくて、
『必要な支援が受けられない人』がとても多い、
そして、介護保険サービスの利用料金に支払うお金を工面するのに
とても苦労している方ばかりだ。

そこそこの年金なので、軽減の対象にならないが、
生きていくために、医療費その他でお金がかかり、
介護保険サービスに支払えるお金が工面できないのだ。


この現状に、ケアマネージャーとしての自分の無力さを常に感じている。
どうやって、打開していけばいいのかわからない。


そして、現状と全く違う方向へ改正されていく制度と
それを考えている人達に怒りさえ感じる。


みな、受け取る年金は微々たるものだ。
子どもたちだって自分の生活と老後があるから
自分のお金を出すことが現実的にできない。

私の両親も私も同じだ。
正直、私も父が『癌の終末期』になった時のことを今から考えて、
お金のことで頭を抱えているのが現状だ。


お金がない、でも支援が必要な高齢者は、
どうやって生きていけばいいのだ?!
家族はどうすればいいのだ?!
 
 
ケアマネージャーとして、娘として、
やり場のない怒りをいつも感じている。




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悪友に感謝

昨日は、父の転院先の相談で、病院の相談室へ行った。

実は、父の転院先の病院は、すでに私の中で決めていて、根回し済みだった。
当然、父と相談しながら進めた。


申し訳ないが、先週、相談室のソーシャルワーカーが提示した病院は、
どれも信用できる病院ではなかった。
もし、終末期に入った父を安易な病院に入院させたら
満足な緩和ケアを受けることができない。
結果、父を苦しめることだけは絶対にしたくなかった。


だから、病院は100%納得のいくところにすると決めていた。
入院になったら、近所の病院がいいと繰り返す母に、
その考えが安易すぎて、父を苦しめるだけだと、しつこく説明した。

なぜなら、これからの、父の生活の質は病院次第とっても過言ではないからだ。

とにかく先週は、仕事の合間に病院探しに奔走した。
まずは訪問診療までできるAクリニックと事前に何度も電話をして相談したり確認をした。
Aクリニックは、以前仕事で、地域の包括支援センター主催の講演会で
ここの院長の末期がん患者の在宅支援についての講演を聴く機会があった、
私はまだ、ターミナルの方を担当したことがないが、
そのような方を担当することになったら、このクリニックにお願いするつもりでいた。


だから、父にそのことを話して、依頼することに納得してくれて、父の了解を得た。

だが、もし、在宅に限界が来て、病院となった時に、どこの病院にするかが迷った。
Aクリニックでも病院の紹介をしてくれると聴いていたが、
はっきり言って、私の家の近所の病院は、緩和ケアができる病院はない。
緩和ケア病棟があると看板を出している病院もあるが、
すでにその病院の患者の対応だけで精一杯か、
それ以外の病院は、はっきり言ってヤブ病院である。
なにぶん、地元で生まれ育ち、しかもケアマネをやっている。
そういう情報だけはしっかりある。


だから、高校時代からの『悪友』を頼ることにした。

この悪友は、看護師で、勤めている病院は、
大きな総合病院だか癌治療に特化したとても有名なB病院。
しかもそこで10年以上、がんの病棟で勤務し、
更には6年前から緩和ケア病棟で勤務しているという
ガン治療に関しての『筋金入り』のエキスパート。

4年前に父の肺がんが見つかった時も
同じ時期に胃がんで亡くなった叔父の時も
悪友に相談に乗ってもらった。

彼女が、自身で望んで飛び込んだ、緩和ケアの仕事。
しかし、その業務の過酷さは聴いていた。
厳しい現状を毎日目の当たりにしている『看取りの仕事』は、
心身共にあまりに負担が大きすぎる。
だから、あえて安易に私から連絡をするのを控えていた。
メールを送っても返事かなくても、気にしなかった。
ただ、元気かどうかだけが心配ではあった。


父の事で彼女に相談メールを送ったら、すぐに彼女から返事が来た。
彼女にメールで了解をもらってから、彼女に電話をした。
彼女は元気だった。安心した。

本題に入り、即きいた。
彼女に「アンタの病院は、ウチの地域の患者さんもうけいれてる?」と。
(昔から、私達は互いに、相手のことをいつも『アンタ』と言ってます。)
地域的には、悪友の病院は少し離れているから、
自分の中では、初めは悪友の病院は選択肢に入れてなかった。
でも、父が入院が必要になった時に託せるのは、
もう悪友が勤めているそこの病院しか考えられなかった。

そうしたら悪友は、
「もちろんだよ。遠方の地域の患者さんたくさんもいる」とのこと。
そのうえで悪友は、
「在宅医療のことは、ケアマネのアンタのほうが詳しいだろう。でも、緩和ケアができる病院は、私らが住んでいる地域(彼女の同じ地域に住んでます)にはない。地元の病院では緩和ケアうけられない。だから、入院のことも考えるのなら、ウチの病院にしろ!今の病院のソーシャルワーカーに、『B病院の緩和ケア病棟で友人が看護師をしているから、そこに病院にしたいから、B病院を紹介してくれ』といえ!」
といってくれた。

しかし、友人の病院は、父のような治療をしない患者の経過観察の外来はしていない。
緩和ケア病棟の入院のみだ。
だから、通院と在宅医療ができる病院はやはり必要だった。

だから、友人に、通院と在宅診療ができるA病院に同時に移ることを考えていることを話し、
そこの院長の様々な認定医の肩書きも伝えた、当然、がんの緩和ケアに関する肩書もある。
私の説明を聴いた友人は
「アンタの話を聴いた範囲での判断だけど、そこの病院ならば、確実に見取りまでできる。大丈夫だよ。在宅診療のクリニックには、アンタが直接の依頼でも、ウチとそのクリニックでの連携は取れるから大丈夫だ」
と言ってくれました。

悪友のこの『アドバイス』をうけて、私の方向が決まりました。

翌日のうちに、在宅診療のAクリニックに電話して、悪友の病院と連携できるか確認したら、
「地域の病院ではないので、件数は少ないが、過去に連携をとってますので大丈夫です」
とのこと。

とりあえず、根回しはしました。

その夜に、父にこの話をしたら、父も昔から知っている、私の『悪友』の提案でもあることから、
『それでいく、たのむ』
と、父の意志も確認しました。


そして、今日病院へ行って、父の私の希望のAクリニックでの通院と訪問診療、入院が必要になったら悪友がいるB病院への紹介状の依頼をしました。

病院のソーシャルワーカーが私の根回しをきいて驚いてました。
ここまでしてくれる家族はいないと。
別に驚くことではないと思う。
父のこれからの人生を守るために、
娘である私が、今自分が出来る事をしたまでのことだ。

当然、両方の病院へ紹介状を書いてくれることになりました。

もう、転院に向けた話を、私と両病院とで話を進めています。
全ての連絡先は私になってます。
両親に説明しても、難しくて理解できないからです。



この転院の話を進めることができたのは、
悪友の『ウチの病院に来い!』という、迷いのない強い言葉があったからでした。

友人のいる緩和ケア病棟は、しっかりと痛みその他の苦痛を取り除いてくれることは、常日頃の友人の話から分かっていました。
友人がいる病院ならば安心です。


転院先を探すのは、とても大変です。
今まで父が世話になってきた病院は、治療を専門としてする立ち位置の病院なので、
転院になることに関して、病院に不満を言うつもりはありません。
それぞれの病院の役割があるのです。
でも、転院先を探すのは、一般の人にはとても難しいと思いました。


私が父の転院先を探せたのは、自分の仕事柄、多少なりとも情報を持っていた事。
でも、それ以上にやはり、
ガン治療と緩和ケアの最前線で、長年看護師として仕事している
まさにがん治療に関しての『エキスパート』である
悪友の存在があってこそでした。


『持つべきものは友』

『友は宝』


改めて高校時代からの腐れ縁のこの『悪友』に心から感謝しました。


こうして、親身になって、一緒に考えてくれる『悪友』がいてくれる自分は、
とても幸せだと思います。




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