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ただ今、人生の仕切り直し中のケアマネ
プロフィール
HN:
かたつむり
性別:
女性
自己紹介:
心と身体を壊し、まだ人生の仕切り直し中のケアマネ。

保有資格:社会福祉士・介護福祉士・介護支援専門員。ついでに日商簿記2級・全商簿記1級
(Twitter@renrinoeda2)
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私が結婚しなかった理由~ケアマネまでの道のり5~

注意:この話は、個々の価値観もあると思います。
   抵抗感を持つ方もいるかもしれませんが、
   私がケアマネの仕事にたどり着くまでに、抱えた葛藤と理解してただければ幸いです。


今日は休みでしたが、今月中旬に社員が一人増える為(社長のお仲間)、今まで私が広々と使っていた棚を2段空けることなり、それに伴なって、棚の片づけと、もろもろを整理整頓するために、午後事務所に行ってました。

その時に、社長がいました。

社長が、私に子どもたちの話を始めました。

「早く、子どもたちが自立してくれるといいのに」

正直、なにをいってるんだと思いました。

「社長、一番下のお子さんは小学生になったばかりだし、一番上の子は、これから思春期で、一番難しい歳頃になるんですよ。まだまだお母さんが必要な年齢ですよ。」

そう私は答えました。

社長は三人の子どもの母親です。一番上が今春中学に入学し、一番下が同じく小学校に入学したそうです。2番目の子は小学4年生だと思います。

「子どもたちは、『家にはお金がないといいながら、お母さんは何だか楽しそうに仕事している』ように見えているようで・・・」

社長は世間話をするような口調で話を続けます。

「うちの子どもたちは、私がいなくなってしまうような気がしているらしい」


まあ、子どもたちに、そうみられて当然だろうと思いました。

だって、家にほとんどいないのだから。


2月に入社した社長の仲間から、社長が最近、事務所の近くにアパートを借りたと聴きました。
忙しくて家に帰る余裕がないのでしょう。

しかし、これは、母親としてしてはいけないことです。
社長は、アパートを借りていることを私には言いません。
私が、何度か社長に『カマ』をかけましたが、社長は言いません。
たぶん、私に言ったら、怒られることがわかっているんだと思います。

だから、はっきりと言いました。

「家にお母さんの姿がなければ、お子さんは当然そう思いになるのは当たり前ですよ」

出産すれば、生物学的には『母親』になれます。

しかし、真に母親となれるかは、その先、『子どもとともにどうやって生きていくか』そして『どのように子どもを育てていくか』にかかっていると、私は思います。

子どもを産んでいない私が、なぜ、偉そうにそんなことをいうのか・・・。
 
 
私は、社長に、私の子どもの頃の経験を話しました。


「社長、ご存知の通り、私の両親は共働きでした。私が物心ついたときには、母は内職をしていました。
私が幼稚園に入ると、結婚前に勤めていた、小さな町工場で働き始めました。
それでも、母の勤め先は、家に近くであり、母が若いころ(たぶん中学生の時)から働いていたところなので、学校の帰りは、母の職場にランドセルを置いて遊びに行きました。
だから、ほかの共働きの両親を持つ同級生たちよりは恵まれていたと思います。
小学生の時は『鍵』を持たずに済んだので。
母が働かないと、私の家族は生きていけないことは、私も子どもなり理解していました。
だから、そのことに不満をもったことはありません。
でも、同級生の家に行くと、お母さんがいて、お菓子とかを出してくれるのをみていると、やっぱり淋しかったです。
学校の帰りは、母の職場へ向かう為、登下校で決められた道を使わないので、同級生にいじめられたこともありました。『お母さんが働いてる工場へ行くんだから。仕方ないでしょう!』と反論しましたけど、何度もいじめられました。母には言いませんでしたけどね。」

社長は、私の話をどこまで聴いているかはわかりません。
都合の悪いことは、聞き流す癖があることは、とっくに知ってます。

それでも、私は、話を続けました。

「社長、他の人は知りませんが、私には『仕事』と『子育て』の両立は出来ないと思ったから、結婚をしなかったんです。」


社長は『女は結婚して子どもを産んで一人前』という価値観をどこかに持っています。


だから、一人の女としての私の生き方をどう思っているか、正直わかりません。


「生きていくために働かなけれならないのなら、母親も働くしかありません。
しかし、私は、自分が経験した『さびしい思い』を自分の子どもにさせたくなかった。
30歳を過ぎて、自分が就きたかった介護業界の仕事に入り、そのうえで子どもを育てるとなると、夜勤もあるので子供に淋しい思いをさせます。」

このことは、本当に何度も悩み考えました。

「でも、自分の夢を諦めて、結婚して母親になって子どもを育ると選択した時に、自分の子どもたちに『お母さんは、あなた(自分の子ども)にために、自分の夢を諦めたのよ』と、『絶対に自分が死ぬまで言わない』と、確信を持つことができなかった。何かの拍子にくちばしってしまうかも、と思ったら、その選択もできなかったんです。
生活の為に母親が働いているということであれば、子どもも理解してくれます。
でも、自分の『夢』の為に、私は、子どもを犠牲にしたくなかったんです。」


介護業界で働くことと、そのために大学に行くことを決心をする前に、このことを何度も繰り返し考え続け悩み続けました。


『二兎追う者は、一兎をも得ず』

私だって、人並みに結婚して、平凡でもいいから母親になりたかった。

だって、『平凡は当たり前』ではないから。


でも・・・


両方望んでは、両方とも失う・・・その時の私は、それがわかっていました。



「だから、私は『結婚』をしなかったのです」


私は、社長に言いました。


私の話を、社長はどう受け止めたかはわかりません。


それでも、そのまま私は、社長に厳しいこといいました。


社長の為、お子さん方の為。


「子どもは、小さいころは、いい子にして、とにかく我慢します」

幼い子供が、親の言うことに反論ができるわけがない。

「でも、成長するにつれて、我慢していたことが爆発します。」

我慢を続けた分だけ、その反動は間違いなく大きい。

そのことを、私は知っている。


「そうなってからでは、遅いんですよ」


私の言葉を、社長がどう受け止めたかはわからない。



たとえ母親になっていなくても、子ども時代は私にもあった。
 

経済的に高校も行けるかどうかという、生活環境の中で私は育ったので、我慢の連続だった。

私は公立の中堅の普通科の高校に行ける学力は一応あった。
でも実際には4~5ランク下げた公立商業高校を受験した。
私立の滑り止めの受験などできなかった。私立の高校に進学するお金がないから。
だから、試験会場に行けば、必ず絶対に受かる公立高校を受験するしかなかった。

小学校低学年の頃、友達がみんな当たり前に持っているおもちゃさえも、両親に買ってもらえなかった。
それを見かねた祖父が、私に買ってくれたものがあった。
昭和52年頃で、2500円ほどのおもちゃだった。

小学2年生の時に、父が子供用の自転車を買ってくれた。『月賦』で・・・。
そのとき私は素直に喜んだが、今考えるとそれが家の家計にどれだけ響いていたのだろう、両親が色々と切り詰めてくれたのだと思う。

思春期に、たまには両親に反抗もしたことはあったが、それでも、生活が厳しいことは、常に頭にあった。

もしかしたら、『あの頃』の我が家は、生活保護が受けられたのでは・・・と、今になって思う時がある。
しかし、母が自身が子どもの頃に生活保護を受けて、辛い経験をたくさんしたらしく、『アンタたちに辛い思いはさせたくないと思って、絶対に生活保護は受けたくないと思って、アンタたちがいたけれど、私は働いたんだ』と、大人になってから、母に言われたころがある。

姉と私を思っての、母なりの『母としての愛情と意地』だったのだろう。
 

私は、家の事情が分かっていたから、『爆発』はなかった。


でも、社長のお子さん方は違う。

社長は自分の『夢』のために働いてるのだ、家の家計の為の仕事ではない。
 
お子さん方は成長してある程度のことがわかるようになった『そのとき』に、社長は、どう説明するのか・・・。
 
いや、子どもたちは、母親は何もしてくれなかったと言うかもしれない。


幾ら、盛大に誕生日のお祝いをしても、
家族サービスで、どこかへ外出しても、
本当に子どもが求めているのは『それ』ではない。

子どもは『ただいま』と、家に帰ってきたときに、『お帰り』とむかえてくれる『お母さん』がほしいのだ。

だれもいない暗い家に帰ってくることは、子どもにとって、とても寂しいものなのです。
 
母親がそうしなければらない理由があれば、子どもなりに我慢ができる。

『お母さんは、自分たちの為に働いてくれているのだ』と、そう思える理由があれば。

 
でも、それを我慢しければいけない、まっとうな理由はなければ、子どもの心に傷が残る。

あるいは、それを充分に補って余りある『愛情』を母親から受けていると、子どもが感じることができなければ、同じく、子どもの心に傷が残ります。

親は「これだけやってあげた」と言っても、子どもがそう感じなければ、やっていないと同じなのです。


それがわかっていたから、『夢』を捨てられなかった私は、『結婚』をしなかったのです。
『母親』としての責任を果たせないことがわかっていたから。


それをあきらめたから、私は、今の仕事にたどり着けたのです。


何かを得るためには、何かを諦めなけらばいけない・・・。


もしかしたら、そのことは、子どもの時に自然に学んだことだったのかもしれません。




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ありがとうございました。
コメントのお礼のお返事は 後日書かせていただきます。
ご了承くださいますようお願いいたします。
(本当に、本当に、ずっと書けずにごめんなさいっ)


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