ただいま、事務所におります。
出勤ではありません。
自分の棚の掃除・整理に来ています。
いままで社長と二人で仕事をしてきましたが、ぽつぽつと職員が増え始めて、現在は4名でやっております。
また、来月に一人入る予定です。
ちなみに、また社長の『お仲間』。
お仲間同士で集まって仕事をするのもいいですが、価値観の近いもの同士で仕事をしても、新たな刺激もないだろうし、社長に『異論を』いう人もいないだろうから、社員の構成としてはどうなのかな?と個人的には思ってます。
『『イエスマン』ばかりを集めては、会社は潰れる』と、何度も社長に言ってきました。
苦言をいう職員を切ってしまっては、会社は潰れる。
豊臣秀吉は、苦言を言う『弟:秀長』がいたことが、天下をとれた理由の一つだと私は『勝手に思って』います。
そして、秀長が死んでから、豊臣家は傾いていたと、歴史の素人の私は、『勝手に解釈』しています。
私は『経営者』ではありませんが、会社経営も当てはまると思っています。
この話は、また、機会をみて、書きたいと思っています。
そんなわけで、私は、今まで広々と使っていた『棚』のスペースを空けなけばらなくなりました。
今まで、整理整頓などしている余裕もなかったので、時間をつくってやらなけらば・・・と、思ってましたが、そんな時間が取れるくらいなら、仕事が溜るはずがありません。
ですから、片付けと整理の為だけに職場に来ています。
シュレッダーをかけているのですが、業務用ではないので、大量やるといったん止まってしまうので、その合間に打ってます。
前おきがながくなりましたが・・・。
昨日、新規のかたの訪問に行ってきました。
ある訪問介護事業所の社長からの依頼です。
電話に出てその社長から、開口一番言われました。
『かたつむりちゃん、新規受けてくれない、お願い。かたつむりちゃんにお願いしたいの。』
この社長は、私が、初心者の時に持った困難ケースを一緒に支援した訪問介護事業所(=ヘルパー会社)の社長です。
この会社の社長やサ責さん(=サービス提供責任者)やヘルパーさんたちには、本当に助けていただきました。
今でも感謝していますし、『この会社に依頼をすれば絶対大丈夫』と、私的にはとても信頼している会社です。
ですから、社長には頭が上がらないわけです。
当然引き受けました。
この社長に依頼したのは、最近までうちの事務所と同じ地域で別の訪問介護事業所のサ責をしてたかた(Aさん)でした。
Aさん同席で、昨日初回訪問に行ってきました。
そこはB団地でした。
B団地は、生活保護世帯や高齢世帯が極端に多いときいていました。
高度経済成長期に立てたままの団地は、エレベータがありません。
数年前までB団地に住んでいいた、別のご利用者様の奥様は、
「あそこの団地の人たちは経済的に苦しくて、具合が悪くなっても病院に行けないのよ。行くときは救急車になって、もう戻ってこれなくで、病院でみんな死ぬの」
と、言ってました。
昨年末に、そこの地域を管轄している、包括支援センター(以下:包括)の管理者(今は異動で別の方に替わっています)さんから訊かれました。
「かたつむりさんのところは、B地域は、対応してくれるかな?」と。
この包括の管理者さんとは、私自身が仕事でいろいろとつながりを持っていました。
実は包括の担当エリアが変わり、最近、その包括がB地域の担当になったばかりでした。
たぶんその団地のことを言っているのだろうと思いました。
困難ケースも多いだろう、とは思いました。
でも、うちの会社に来るケースは、なぜか『楽』なケースは一件もありません。
だから、
「その先の地域も私は行ってますので、地域的には大丈夫です。新規の受け入れの判断は社長になりますが。」
と、答えたら、数日後にすぐ、うちの事務所に依頼が来ました。
そんな団地なので、『楽なケースではない』と、すぐに思いました。
物が散乱した部屋で、取り急ぎ依頼した自費ベッドで、ご利用者様(C様)は横になっていました。
Aさんは
「私が入ったときは、『ゴミ屋敷』だったの。私がここまで片付けたのよ」
と、言ってました。
Cさんは、独居。独身。
20年以上前にお母さまを亡くされてから、ずっと独りで暮らしてきました。
兄弟とは音信不通。事実上の絶縁状態。
持病がありましたが、年金が少ないため、Cさんは、自転車置き場の仕事を仕事をしていたそうです。
Aさんはそこに自転車を置いていて、二人は『顔見知り』でしたが、互いの名前も知らなったそうです。
Aさんの話しでは、年が明けてから持病が悪化して、動けなくなり、トイレに行けず、食事もとれず、寒さの中で、汚れた布団の上で動けずにいて、衰弱してしまっていたそうです。
近所の人が、Cさんの異変に気付いたそうですが、どこに助けを求めたらいいのかわからなかったそうです。
そこで、Aさんが『介護の仕事をしている』ことを思い出して、Aさんの連絡先を探して、助けを求めたのだそうです。
役所でもなく・福祉事務所でもなく・包括支援センターでもなく、いち訪問介護事業所の職員に・・・。
Aさん曰く
「最初はだれのことを言っているのかわからなかった。来て顔を見て分かった。だってお互いに名前もしらなかったから。」
とのこと。
そして、
「私が来たときは、『孤独死』寸前の状態だったの。もう少し遅かったらどうなっていたか・・・こうやって、みんな『孤独死』になっていくのね。」
行政や包括支援センターは何をやっているのか・・・と、思いつつ、介護業界で仕事をしている者として、『現実』をまた突き付けられて、衝撃を受けました。
Aさんが包括へ行き、すべて手続きをして、介護申請をして、ケアマネ頼める段階まで持ってきたそうです。
一個人の、他人であるAさんが・・・。
Cさんは言いました。
「どこに助けを求めたらいいのか、わからなかった」
これが現実。
困ったときの相談場所が、高齢者に広まっていないのです。
私はCさんに言いました。
「Cさん、Aさんが『神様』に見えるでしょう。」と。
Cさんは、思いを込めた表情で言いました。
「ええ、本当にAさんは『神様』よ。Aさんには本当に感謝しているわ。Aさんがいなかったら、私はあのまま死んでいたわ・・・」と。
これが、高齢者を取り巻く現実。
Cさんの支援内容については、Aさんがすでに考えていて、それを私が、ケアマネとして実行してほしいとの事。
Aさんの提案に、もちろん私は異論はなく、そのままでプランを立てることにしました。
今の、高齢者を取り巻く現実を突きつけられて、自分の甘さを痛感しました。
そして、また、初心にかえって、『高齢者を取り巻く現実』を見つめて、ケアマネとして、仕事に精進したいと、思いました。
では、片づけに戻ります。
拍手やコメントをくださったかた、
ありがとうございました。
コメントのお礼のお返事は 後日書かせていただきます。
ご了承くださいますようお願いいたします。
(本当に、本当に、ずっと書けずにごめんなさいっ)
ランキングに参加しています
ぜひ、ぽちっと押してやってください。
にほんブログ村<!--
にほんブログ村
twitter(←オタクサイトと共通です、ご注意を)
[0回]
PR