昨日の怒り駄文と、少し矛盾するが
最近イラッとすることがある。
『ほんの一部の家族の考え方』である。
ほとんどのご家族が、ご利用者様の為に
一生懸命介護している。
介護を各サービスに依頼しても
家族としてするべきことを
一生懸命考えて行動している。
しかし、ほんの一部の家族が勘違いしている。
『ケアマネージャーは何でもやってくれる』と本気で思っているのだ。
さすがに、ケアマネは『何でも』はできない。
利用者様のご家族からきいた話だが、どうやら、役所で
『ケアマネージャーさんに相談すると『何でも』やってくれるから、頼んだほうがいい』
とか言っている役人がいるらしい。
だったら、それに見合う給料出せ!!と言いたい。
私は、精神的に追い詰められているご家族には
「困ったことがあったらいつでも連絡ください」と言っている。
そうしないと、心が壊れるかもしれないからだ。
しかし、この休みにかかってきた電話は、
決してそうではない。
いずれも、ご利用者様は『独り暮らし』。
家族は、遠方に住んでいる。
そして、ケアマネが何でもやってくれると思っている。
救急搬送された方の娘さんは、
「母の退院のときは、かたつむりさんが迎えに行ってくれますよね。」
と、言い切った。
前任者の社長は、ケアマネの仕事と介護保険についてどう説明したんだ!!
と、腹がたったが、その娘さんの感覚も疑った。
私の父の病気の事は、その娘さんには話してある。
「月曜日は父の件で病院の対応があるので、私は月曜日は休みなのです。」
と、言ったが、それでも私に行ってほしいらしい。
社長に相談したら、
「かたつむりさんは月曜日は休みだから対応しなくていい。
私か、他のスタッフが対応する。
でも、今後このようなことが又あるだろうから
支援の内容を見直したほうがいいね」
とのこと。
娘さんに社長の話を伝えると、
「母は、社長さんかかたつむりさん以外の人が行ったら
知らないひとだと嫌がるから・・・」
と、社長か私に来てほしいらしい。
「社長も月曜日は予定がびっしりで無理なんです。」
と、言い切りました。ついでに、
「私も火曜日は、もう予定が詰まっていて、お母様の退院のお迎えの対応はむずかしいです」
と、はっきりといった。
そこで、
『ケアマネージャーの本来の業務は、
支援の計画をたてて、支援者の連絡調整をするのが仕事であり、
退院の迎えに行くのは本来の仕事ではない』
と、はっきり言った。
このご利用者様、実は昨年も同様なことがあって、
どうにもならないから
とりあえず私が対応するしかなくてやったのだが、
それが当たり前だと思ったらしい。
娘さんは
「じゃあ、どうしたらいいの!」
と、おろおろしはじめた。
私は、ご利用者様の病院の入退院時の対応は
基本は家族が対応するものだと思っている。
病院側も、他人が来ても困るのだ。例えケアマネでもだ。
病院側も、家族にしか話せないことや相談したいことが沢山ある。
もし、他人に対応してもらいたいのならば、
病院へ、それなりの説明や根回しを『家族』がしなければいけない。
利用者の病状等のやり取りは、『基本は家族』しかできないのだ。
それをわかっていない家族が意外と多い。
このことに関しては、仕事をしていて、本当にとても困っている。
娘さんには
「こういう対応は、ヘルパーさんにお願いすることが多いです。
でも、あくまで介助だけであり、医師とのやり取りはできません。
それは、家族しかできないのです。」
と、きっぱりといわせてもらった。
「ですから、今度お母様のところにいらした際に、支援内容の見直しを相談したいと思います」
と、つけくわえさせてもらった。
独り暮らしのご利用者様は
『覚悟』をしている人は多い。
『もう、何が起きてもおかしくない歳だから』、と。
逆に、離れて暮らしている子供が
覚悟ができていない人が多い。
『親に何かあったらどうしよう』と。
どうしようと思うなら、どうすればいいのか考えればいい。
でも、ケアマネに丸投げする家族がいるのだ。
それでいて、不満だけは言う。
そして、こちらが何か言うと『逃げる』のだ。
遠くにいるし自分にも家族がいるから一緒に住めない・・と。
同居であろうと別居であろうと
ほとんどの家族は必死に介護している。
遠方で介護が難しくても
家族として自分ができることを必死に考えている。
家族としての責務を必死に果たしている。
でも、ほんの一握りだが、『丸投げ』する家族がいるのだ。
二者択一しかないのだ。
共に暮らして、最後まで看るか、
離れて暮らしたまま、覚悟を決めておくか。
または
居宅サービスを使いながら、別居でも、できる範囲で自分で介護をするか
高いお金を払って、有料老人ホームへの入所とするか。
選ぶしかないのだ、現状では。
ここは、綺麗ごとは言えない。
ケアマネは、そして支援者は
『家族』や『子ども』が背負うべき
『責任と義務』までは背負えない。
少なくとも私は、背負う気はない。
『ご利用者様とそのご家族の生活と人生を守り支える』
という信念は変わらない。
でも、それは、支援者としての信念だ。
家族の責任と義務まで背負う気はない。
ケアマネージャーとしての責務は勿論果たす。
でも、正直、今の私は、
自分の父の人生を背負うだけでも精一杯というのも本音なのだ。
意識のない父が人工呼吸器を付けることが必要となった場合、
私が父の代わりに、それを拒否しなければならない。
私が書類に署名する。
これは、父から頼まれたことの一つである。
父の癌が治せないとわかってから、
私は父からたくさんのことを託されている。
中には、親類から非難を間違いなく受けることもある。
それでも、父の意志ならば、しなければならない。
母には、『親戚からの非難はすべて私が引き受ける』と、いってある。
父がそれを選択した理由をわかっているから、私は親類に反論する自信はある。
父の遺言を周囲に『否』は絶対に言わせない。
父から託されたこと以外でも、
この先、病気が進行して、父に判断能力がなくなった時に、
家族として私が判断して決めなければならないこともたくさんあるだろう。
でも、これらは、『娘』である私しか背負えないのだ。
職業がケアマネージャーであることは関係ない。
『娘』だから、背負わなければならないのだ。
この立場から、逃げるつもりは毛頭ない。
どうか、ご利用者様に関して
『家族』『子ども』としての責任と義務を放棄しないでください。
それこそ、ご利用者様にとって『一番不幸で哀しい』ことなのです。
拍手やコメントをくださったかた、
ありがとうございました。
コメントのお礼のお返事は 後日書かせていただきます。
ご了承くださいますようお願いいたします。
(本当に、本当に、ずっと書けずにごめんなさいっ)
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