今日も、父の通院に一緒に行った。
呼吸器の検査をした後に、主治医の診察を受けた。
父も私も『覚悟』はしていた。
一縷の望みもない事はわかっていた。
主治医は、外科手術も危険だと言った。
手術を受けることで、命を縮めてしまう可能性が高いと。
4年前の肺の手術の時に、
生きるためのギリギリの限界まで切除しているのだ。
無理なことはわかっていた。
それでも、先生は模索してくれたのだ。
万が一の可能性を。
でも、父の肺の機能は思った以上に悪かったのだ。
先生は、抗がん剤治療の話を切り出した。
もし、相談を考えているのなら
呼吸器内科へつなげると。
でも、先日、先生は、
抗がん剤治療では完治はしないと話していた。
かえって抗がん剤が父の身体に
ダメージを与える危険のほうが大きいと。
父は言った。
『完治しないのに抗がん剤治療で何カ月も費やすのであれば
その時間を、自分のやりたいことに使いたい。
だから、治療はしない』と。
先生は、それがいいと思うと言った。
「もし、抗がん剤治療を受けたいと思ったら、いつでも言ってください」
とも、言ってはいたが・・・。
先生なりに、思うところがあったのだろう。
でも、医師の立場では、安易なことは今は言えない時代だ。
余命宣告だって、昔のように簡単には言えない。
父は、4年前に肺がんが見つかった時に、
「悪いことも全て知りたい。
自分の人生だから自分で決めたい。」
そういっていた。
だから、父には全てをその場で確認をしながら説明して、
父自身で判断してもらった。
父の人生だから、父が望む選択をしてほしい。
常にそう思っていた。
診察後はそのまま医療連携室へ行った。
移行する地域の病院を見つけるために。
すぐに結論を出す必要はないが、
今の病院は、緩和ケア病棟はない。
だから、今後進行が進んで入院を希望した場合に
受け入れてくれる病院を見つけなけらばならない。
でも、当然ながら、その場で結論はでない。
父は、『最後になったら病院でいい』と、言っていた。
理由は、母が大変だから。
つまり、父は、最後は家にいたいということだ。
母を心配して言わないのだ。
だから、今朝、病院に行く前に父に行った。
「この病気のことで、お母さんや私に遠慮をする必要なないよ。
もし、万が一最後となった時に、家にいたいと思っているのなら
遠慮なく言ってほしい」と。
その場では黙っていた。
でも、病院の相談員さんの話を聴いて、
思うところがあったのだろう。
家にかえっきてから、
「お母さんには悪いけど、ギリギリまで家にいたい。
お母さんが限界になったら、その時は病院へ行く」と。
ようやく、本当の気持ちを言ってくれた。
私が仕事を辞めることができない以上、
どうしても母の負担が大きくなる。
でも、母は、祖母(父の母)の末期がんの狂気じみた夜間せん妄を
何度も病院に泊まりこんで経験している。
だから、母が覚悟を決めてくれたら、
最後まで自宅で行けると思っている。
あとは、私がどれだけ両親が安心して自宅で過ごせる
『ケアプラン』を電卓をたたきながら作れるかどうかだ。
父に残された時間がどれだけあるのかは、
誰にもわからない。
思った以上に長生きするかもしれない。
それを知っているのは神仏のみ。
これからも釣り三昧で、父らしく生きてほしい。
そして、父も母も『後悔』だけはしないでほしい。
その為に、私も努力をしたいとおもいます。
拍手やコメントをくださったかた、
ありがとうございました。
コメントのお礼のお返事は 後日書かせていただきます。
ご了承くださいますようお願いいたします。
(本当に、本当に、ずっと書けずにごめんなさいっ)
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