昨日、ある利用者様のお宅へモニタリングへ行った。
※専門職以外のかたへ:モニタリング=定期訪問を思っていただければと思います。
私は、利用者様やそのご家族にに合わせて、
モニタリングの時間をかえている。
短いお宅は20分。
長いお宅は2時間以上。
管理者(=社長)には、
「かたつむりさん、『モニタリングは1時間以内にして!』」と、
いつも注意されているが、
私は先方からクレームが来ない限りは、
このスタンスは変えるつもりはない。
モニタリングにながい時間をかけるお宅には
それなりの理由がある。
『自分たちの辛さを聴いてほしい』と、
心のどこかに抱えている利用者様やそのご家族には
時間を惜しまず話を聴いている。
「おしゃべり」というかたちをとって。
身体の疲れは寝れば取れる。
でも、心の疲れは寝てもとれないのだ。
どこかで吐き出さないと、心が壊れる。
私は吐き出す場所がなかったから『うつ病』になった。
だからこそ、私が話を聴くことで、
少しでも心が楽になってくれるのなら、
私は自分の時間は惜しまない。
心が壊れたら、戻るのが大変なことは
自分の経験で良くわかってる。
だから、私は、書類が溜まるのだろう。
けれど、
利用者様やそのご家族と向き合う時間を削ったら、
ケアマネの仕事をしている意味がない。
話を戻しますが、昨日伺った利用者様は
軽度の認知症はあるが、
ひとりで生活をしているし
i今は医師とのやりとりも自分一人でしている。
ある意味ウチの親よりしっかりしている。
この方は、管理者より引き継いだ方で、
ご主人を亡くされたことでうつ病になったと聴いている。
私がウチの事務所に就職したばかりのころは
かなり精神状態が不安定で
事務所に頻回に電話がかかってきた。
かかりつけ医以外のいろんな病院に駆け込み
当時担当していた管理者は対応が大変だった。
そして、事務所に頻繁に電話をしてくるこの方と
最低でも30分電話で話をするのが
入社したての私の日課となった。
やがて、この利用者様も私のことを覚えてくださり
私が話を聴いてくれる相手と思ってくれたようで
だんだんと口調が穏やかになっていった。
私に担当変更をした時も、
私に対して拒否もなく受け入れてくださった。
『うつ病』であるため、常に精神状態が不安定になっていないかを
細心の注意を払いながら接している。
うつ病に対しての不安に関しては、
私自身の経験を話すようにしている。
『私の友人の経験』というかたちで。
4か月ほど前から、
ご主人が亡くなる数日前から葬儀までのことを
頻繁に私に話すようになった。
詳細は控えますが、ご主人は余命いくばくもない状態だったのに、
それを知っていたのはお子様方だけで、
奥様であるご利用者様には伝えられていなかったそうです。
ご家族は、色々と考えた末、伝えなかったのだろうと思います。
「母は知ったら、ショックで受けとめきれない」と。
妻であるご利用者様は、『夫は必ず元気なる』と
信じていたそうです。
だから、突然亡くなったので、ショックだったそうです。
余命が短いと知ったのは、ご主人が亡くなった後だったようです。
「なんで、こどもたちは、本当のことを教えてくれなかったのか・・・」
利用者さんは、毎回私に、何度もこの言葉をいいます。
だから、私は、いつこう言わせてもらってます。
「ご主人の命が短いと知っていたら、
奥さんとしてしてあげたかったことがいっぱいあったんですよね」と。
そして、
「最後まで、ご主人のそばを離れずにいたかったんですよね。
ご主人に最後に言いたかった言葉もいっぱいあったんですよね」と。
ご利用者様はかならず。
「命が短いと知っていたら、夫のそばから離れなかった」
「『いままで、大切にしてくれてありがとう』って伝えたかった」
と、繰り返し言います。
私は、精神科医ではありません。
だから医学的見地でいうことは出来ません。
でも、この方は、
ご主人が亡くなったからうつ病になったのではなく、
本当のことを知らされなかったとはいえ、
人生の最後を迎えようとしていたご主人に
妻として『するべきことができなかった』ことが
妻として『感謝の言葉を伝えられなかった』ことが
大きな後悔として残り、
それが『うつ病』というかたちになって
自身を苦しめているような気がするのです。
大切なひとを見送るとき、
必ず後悔は残ります。
たとえ一生懸命にやったとしても。
私は、10代の時に祖父を送った時、
大叔母の一言で
祖父母に可愛がってもらっていたことを
忘れてしまっていたことに気がつき、
そういう年齢だったとはいえ
祖父に距離を置いて何もしなかったことを
とても後悔しました。
その後悔は今も引きずっています。
4年前に亡くなった叔父に対しても
その時できるだけのことはしたつもりでも、
今だったもっといろいろなことができたのにと
悔しくてたまりません。
私は、結婚していないので『夫婦の絆』は
正直わかりません。想像するしかありません。
でも、祖父母や叔父に対してもこうなのですから、
永年一緒に生きてきた『夫』の最後のときに
後悔を残してしまったら、なおさら辛いはずです。
ある方に言われたそうです。
「貴方の気持ちは、ご主人には伝わっているし、
ご主人は今でも貴方のそばにいますよ」と。
でも、その言葉がとても辛い・・・と、おっしゃってます。
安易な言葉は言えません。
私は言えるのはやはりこの言葉だけです。
「ご主人の命が短いと知っていたら、
奥さんとしてしてあげたかったことがいっぱいあったんですよね」
「最後まで、ご主人のそばを離れずにいたかったんですよね。」
ご主人に最後に言いたかった言葉もいっぱいあったんですよね」と。
生きているからこそ、伝えられる。
しかし、逝ってしまった人には、
自分の想いを伝える術はもうないのです。
前任者のはこの話は知らないと思います。
知っていたとしても、たぶん
このことについては、重きは置かないでしょう。
でも、私はあえて、
毎回この話をご利用者様が繰り返し話すのを聴くために、
訪問時間を2時間で予定を組んで伺っているのです。
ご利用者様が死ぬまで抱えて生きてく『後悔』。
その『苦しんでいる姿』から目を離さずに
これからも、今の私が出来る限りの支援を
していきたいと思っています。
では、持ち帰った仕事をしますっ!!
拍手やコメントをくださったかた、
ありがとうございました。
いつも、仕事への励みになっています!!
コメントのお礼のお返事は 後日書かせていただきます。
ご了承くださいますようお願いいたします。
(本当に、本当に、いつもごめんなさい<(__)>)
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