先日の水曜日、父が入院しました。
朝起きたら、母から言われた。
「お父さん、昨日から調子か悪いのよ」
父が起きてきたので訊くと
「昨日の夜から『血便』が続いている。腹も痛い」
とのこと。
少量づつ排便が続いているようで、
父に了解をとって、便の状態をみたら、
便に鮮血に近い血がついていた、しかも粘液もあった。
介護職の経験から
「『痔』じゃないから、朝一番でとりあえず、
かかりつけの先生(診療所)のところへ行ってよ、
そこから、別の病院へ行くように言われると思うから、
その時に連絡ちょうだい。仕事の都合をつけて立ち会うから」
と、くりかえ父に言いました。
本当はかかりつけ医の受診から、付き添いたかったが、
朝10時に認定調査があり、これだけは、日程がずらせなかった。
午後のモニタリング3件は、事情を説明すればわかってくださる方なので
日程変更をお願いするつもりでいた。
私の利用者とその家族の大半は、
具合の悪い親より、仕事を優先したら
私にたいして激怒して説教するタイプである。
我が家の大黒柱も、歳には勝てず、認知症は全くないが
耳も遠くなり、判断力や理解力が低下している。
今年の夏で82歳だからしょうがない。
だから、入院時の医師の説明などの立ち合いなど
父には難しいと思われることはことは、
娘である私が対応するのが当たり前と思っている。
それでも、60歳と77歳の時にがんの手術を経験しているが、
歳の割には元気過ぎて、大きな荷物を積んで
電動付自転車で釣り堀に行っている。
釣り仲間からは『妖怪』とまで言われている、爺さんである。
親が元気であることは、娘としてありがたいと思っている。
父からの電話を待っていたが、連絡が来ず、
しびれを切らして、私から連絡をしたら、
病院を紹介されたので、今からいくとのこと。
私が病院に付き添うというと、
「検査だけだから、お前は今日は来なくていい、
仕事が忙しいだろうから、無理するな」
とのこと。
基本が、元職人の超頑固ジジイなので、
とりあえず父の言うことを聴くことにした。
ところが、午後になって、
「お父さん、入院することになったから」
と、電話があった。
先生からどんな話があったのか訊くと、
「『小腸』に傷があるんだと、Sなんとかっていってなぁ~以下略」
と、全然わかっていない状態だった。
S状結腸?それは大腸だし、
簡単に小腸の傷見つけられないし、
見つけられるほどの出血する傷があったら
すでに死んでるよ、親父・・・と、心の中で思った。
ちなみに77歳の時のがんの発症時は、
私がキーパーソンになって、
職場に事情を説明し、シフト調整をしていただいて、
毎週の検査と受診と、入院後医師の説明にすべて立会い、
手術も当然立ち会い、術後の説明も聴いて・・
そのつど 話が理解できない両親に、毎回説明したという
経緯があります。
3か月間自分の休みを父の受診等の全部当てたので、
当時は自分もうつ病の症状がきつかったので、
手術が無事に終わって、安堵したのか
術後に父の状態が安定すると、今度は私が寝込みました。
母が父に付き添っていましたが、残念ながら母は
難しい事を言われると、思いっきり混乱するタイプなので、
こういう時には、母は全く役に立ちません。
なにせ、父が胃がんで手術をした約1年後に
腹痛と発熱が続き、父が一人でかかりつけ医に受診したら
かかりつけ医の紹介で
近所の入院設備のある病院へ行くことになったことを
父が電話に母に伝えたら、
母は『がんが再発した!』と思いこんで
しかも気が動転して、向かいの家に駆け込んだという
とんでもない事をやらかした経験がある。
ちなみに、その時の原因は、盲腸でした。
ただ、我慢しすぎたのと、
家族が楽観視していたので
腹膜炎の一歩手前で、全身麻酔で手術となった。
そのときは、私はまだ、経理事務の仕事をしていて、
今のように、医療に関しての情報をもっていなかったので、
まったくわかっていなかったのですが
さすがに、楽観視していたことを反省しました。
ちなみに、手術の翌日に母が飛び込んだ家には
私が謝りに行きました。
と、こんなわけで、両親二人ではあぶなっかしいので、
翌日の23日に、父の了解も取らず、病院へ電話をした。
病棟の看護師さんにつないでいただき、
現状を伺うと、父の話と全く違っていた。
そのことを伝えると、看護師さんも
リアクション困ったように笑っていた。
看護師さんに、
父は認知症がないが、年齢的な理解力の低下がある為、
医師から説明等には、私が同席する旨を伝え、
検査結果が出て医師の説明を受ける日程を
看護師さんと勝手に決めた。
その日の夜に、母と姉に報告した。
ちなみに、姉は、両親との関係があまり良好ではない。
姉も私も、両親から『女はこうあるべき』とか
希望の進路に対しても『ウチは経済的に進学は無理』とか
『お前出来るわけがない』と言われて
自分の『思い』を押さえつけられて育った経緯がある。
私は、30歳手前で、一念発起して
働きながら通信制の大学へ進学し、介護業界に飛び込み
今日に至り、やりたかった分野の仕事に就けたことで、
両親に対する、負の感情に折り合いをつけることができたが、
姉は、自分で自分の『夢・希望』を切り開くための行動を起こさず、
そのくせ過去の両親の言動を引きずっているため、
口ではいろいろ言っても、親の為に行動を起こす気持ちはない。
だから、姉は最初からあてにしていない。
そんな経緯から、仕事では、家族関係はとても重要視している。
と、いうわけで、両親のことは、
私が一人で動くしかないのです。
仕事を調整して、明日の土曜日を出勤することにし、
今日は仕事を休み、入院手続きをしてきた。
両親の書類をかくのも全部私の担当です。
だから、仕事で高齢者世帯や独居の方が
全部自分で介護保険の契約等とやっている姿をみると
いつもすごいな~と、思ってしまう。
ウチの両親には『絶対に無理』とあきらめている。
病室で、父に思いっきり『説教』をした。
電話で父から説明を聴いた時点で
『親父わかってない』とすぐにわかったことをつたえ、
看護師さんに連絡をとり、説明を受けたら
父の話がやっぱりまったく違っていたこと、
看護師さんに、今後医師の説明等は
全て私が同席することを伝え、
勝手に医師からの説明日を決めたことを伝えたうえで、
「おとーさん!、どんなに先生がわかりやすい言葉で説明しても、どうやっても専門的な言葉がでしか説明できないものもあるから、おとーさんが、病気の説明がわからないのは当たり前!!それは、決して恥ずかしい事じゃない!間違って解釈したり、わからないことをあいまいにすると、あとで困るし、わからないまま同意書書いてどうーすんの!私が仕事で大変だろうと気を使ってくれるのはありがたいけど、話がごちゃごちゃなってから、『今すぐ来てほしい』と言われるほうが、困るんだよ!だから、先生の説明の時とか必ず来るから言ってよ!遠慮しなくていいからさっ!」
と、言った。
父、「わかった」と一言。
病状的には、あまり心配はしていないけれど、
妖怪でも82歳はやっぱり82歳なので、
楽観視は出来ない。
首の血管は動脈硬化が結構すすんでおり
バイアスピリンだって常用している。
その薬を止めて、止血剤の点滴をしてるわけだから、
血栓ができる可能性はある。
でも、両親はそんな発想はない。
先生の説明に対して、質問をするどころか
疑問に持つことすらない。
説明がわからないので・・・。
と、いうわけで、私が動くしかないのです。
娘だから、親のことで動くのは当然だと、
亡き叔父の言動から学んでますので。
父のがんの時もそうだったが、今回も、
「キーパーソンをやっている、利用者様のご家族は大変だな。」
改めて、しみじみと思っています。
ケアマネとして、利用者様とそのご家族の為に
もっと気を引き締めて仕事をしなければと
やはり、改めて思いました。
拍手をくださったかた
ありがとうございました。
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