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ご無沙汰しております。
Twitterでは色々と叫んでおりますが、ブログは久しぶりになります。
実は、新しい職場で仕事を始めています。
先日、ふた月が経ったところです。
かかりつけ医からは早い段階で『就労の許可』がでました。
『まだ、身体は戻っていないが、自宅での静養を続けると、物事を悪いほうに考えてしまい、精神状態が更に悪くなるため、身体は辛くても仕事をしていた方が、悪いことを考え込まずに済むから。』
というのが、かかりつけ医の見解でした
そして、結局また、『ケアマネ』をやっています。
実は本気でケアマネを辞めるつもりでした。
『自分にはケアマネ業界は合わないから、ケアマネの仕事は好きだけど、もう辞めよう。』
そう思っていました。
母からも『もう、ケアマネの仕事は辞めてくれ』と、言われました。
最初の職場でも前職場でも、はっきり言って『ボロボロ』になりました。
特に今回は、『過労死』が頭をよぎるくらいでした。
精神的にも危険で、衝動的に自傷行為以上の行動をしそうでした。
何をしでかすかわからないと自分でも恐かったので、『一人でいたら危険』と思い、実家へ逃げ込み、一日の大半は寝込んでました。。
もっとも義叔父の介護のことで、私が動かなくてはならない状況でしたので、義叔父のことは無理を押して気力のみで動いてはいました。
そんな娘の姿をみたら、母親としては、『もうケアマネの仕事はしないでくれ』と、思うのも当然だと思います。
主治医からも『ケアマネの仕事はもう辞めた方がいい』と言われていました。
理由は『トラウマ』です。
「新しい職場であっても、ケアマネを続けていると、前職場や最初の職場での辛い経験が『トラウマ』になっているので、職場環境が変わっても、何かの折に過去の『トラウマ』を思い出してしまい、上手いくこともいかなくなる。」
と、言われました。
でも、それでも、一応、ケアマネのほうでも仕事を探してみようかと動いたら、すぐに決まってしまいました。
採用までの流れが、あまりに事がトントン拍子に進みすぎたので、自分でもびっくりです。
これは、『まだあきらめるな。もう少し、ケアマネをやってみろ!』と、父が言っているのかな??
と勝手に解釈して、もう一度ケアマネの仕事をしてみることにしました。
ですが、私も『トラウマ』が恐かったので、職場の選択は、色々と考えました。
その結果、今回の職場は、単独居宅だった前職場や最初の職場と全く環境の会社を探しました。
『併設型の居宅で、管理者の基礎資格は医療職』と、いうところを選びました。
上手くやっていけるかどうかはわかりません。
けれど、もう私は、無理に会社にとどまることはしないことに決めました。
今迄、会社の事を考えて一生懸命やってきたことは、なにひとつ評価されず、結局私の努力は報われませんでした。
だから、もう、会社というものに期待をすることをやめました。
そうすることで、会社と自分とのちょうどいい距離を保てるようにしたいと思っています。
ケアマネとして2社で仕事をして、ケアマネとして色々と経験して感じたことを前回も書きましたが、他にも感じたことがありました。
それは、
『常に勉強することが必要だけど、その勉強の範囲は、介護分野や福祉分野だけでは駄目なのだ』
ということでした。
昨年までは、父の事で勉強が出来なかった反動もあり、最近は自分なりに色々と勉強をしています。
その内容は、『福祉専門職としての自己研鑽』と、『かたつむり一個人として関心を持ったこと』の両方での勉強をしています。
通信教育過程の大学の編入学も考えています。
いずれグリーフケアの支援をしたいので、心理学の勉強がしたいのです。
福祉専門職としては、『社会福祉士』としての立ち位置での勉強です。
そのなかに『ケアマネ』の勉強も含まれています。
関連する福祉分野以外の勉強もしています。
今、個人として関心がある事柄は、『緩和ケア』と『安楽死』と『グリーフケア』です。
これらの関連の本も読んでいます。
いずれも、考えさせられる内容でした。
今までの自分のなかでは、30歳で社会福祉学科に入学した通信教育過程の大学での勉強の時以来の『勉強したい!!』という、ものすごい勉強への欲求に駆られています。
しかし、壊れた心と身体はもう戻りません。
仕事から家に帰ると身体が動きません。
この文章は少しづつ書いてきました、だから、投稿に時間が掛かってしまいました。
正直、日常生活にも支障が出ているくらいの心身状態です。
もう、無理がきかない心と身体ですが、それでも、自分に出来ることは、やってみたいと思います。
生きている限り、何度、崖から突き落とされても、必ず這い上がって見せます。
今の自分が出来る範囲で頑張ります。