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ただ今、人生の仕切り直し中のケアマネ
プロフィール
HN:
かたつむり
性別:
女性
自己紹介:
心と身体を壊し、まだ人生の仕切り直し中のケアマネ。

保有資格:社会福祉士・介護福祉士・介護支援専門員。ついでに日商簿記2級・全商簿記1級
(Twitter@renrinoeda2)
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新しい『目標』と『夢』

今年に入って、初めてのブログです。

 

どうにか生きておりますが、また無理を重ね過ぎて身体を壊しました。


幸い、早い段階で、社長から『傷病手当金の手続きをするから、今は休んでほしい』と、言われましたので、お言葉に甘えることにしました。

診断書は、約1か月の静養となっております。

 

休まずにあのまま仕事を続けていたら、間違いなく、以前の会社と同じ最悪の結果となっていたでしょう。

この先はどうなるかは自分でも解りませんが、『最悪のかたちになること』を社長が回避して下さったことに、こころから感謝しています。

 

今の職場で、働きだしてから、強く感じるようになった『こと』がありました。

 

『ケアマネであるが故の、自分に出来ることの限界』です。

 

この限界は、個々の能力のことをいってるのではありません。

 

ケアマネは介護保険法と、運営基準に基づいて仕事をしています。

 

そのケアマネの業務を定めている法令が、自分のなかで『足かせ』に感じてしまうことが最近多くなってきています。

 

元々、私は自分の職務範囲の枠を超えてしまって動くことは多々ありました。

ですが、そんな私でも、『これは、ケアマネの立場では、どうしても出来ないよ』と、思うことがとても多くなってきました。

 

それだけ、クライアントが抱えている『課題(ニーズ)』は、今の縦割りの福祉制度では対応出来なくなっているんだろう・・と、思いました。

 

国は、それぞれの福祉分野の枠組みを超えた包括的な支援の必要性は言ってはいますが、現実はまだまだです。

 

ですから、私は、『ケアマネの仕事とは別に、もっと福祉制度の枠組みを気にせずに支援がしたい、そして、福祉制度の枠組みからこぼれた落ちてしまった方々の支援をしたい』と、思うようになりました。

 

更年期まっただ中の、還暦まであとウン年と数えられるオバサンになって、『新しい夢と目標』を見つけてしまいました。

あと10歳、いやせめてあと5歳若かったら!!と、正直思っています。


30
歳代半ばから40歳代後半まで、うつ病を抱えていたので、一番自分のやりたいことを全力でやれる年代に、思いっきり行動することが出来ませんでした。

でも、そのことにあれこれ言っても、若くなるわけではないので、仕方がありません。

うつ病が寛解しただけでも、私には『奇跡』なのですから。

 

なので、現状の自分の年令を踏まえて、自分がやってみたいことを実現するためには、どうすればいいかを模索中です。

そして、ふと気がついたのです。

 

『そうだっ!、私、『社会福祉士』持ってるじゃん!!』と(^_^;)

 

ずいぶん前に取得した、『宝の持ち腐れ』と化していた、『社会福祉士』という資格。

 

『そうだっ、『ケアマネ』では無理でも、『社会福祉士』としてなら、何か出来るかもしれない!』

 

そんなことを考えながら、静養期間を利用して、身体を休めながら、動けるときに調べています。

 

ある程度の大まかなイメージは大体出来ています。

あとは・・・。

・その為に必要な準備期間。

・仕事をしながら自分の猛勉強をする時間の確保の方法

 (生活がかかっているので、仕事は当然フルタイムです)。

・活動のために必要な資金をどの位の期間にいくらまでつくる必要があるか
   (やっと生活しているのに、どうやって軍資金つくるんだよ・・(ーー;) )

これらを今、考えているところです。

 

 

社会人1年生になった時に、最初の上司にこう言われました。

 

 『何事も3年で考えなければいけない、

   一年目は土を耕し、種をまく

   二年目は、芽を出した苗を、水や肥料を与えて、害虫から守り、一生懸命育てる

   三年目に、ようなく実ったもの(目標)を、収穫するんだ。

  だから、何らかの目標を成し遂げるためには、3年は必要なんだ』

 

この言葉は、今でも私の生きる上での指針のひとつとなっています。

 

だから、次の夢を叶えるために、どのようにすればいいのか、『その準備の為の準備』をしています。

 

 

このことを考えるきっかけになったのは、やはり『父の死』でした。

患者が亡くなった後の遺族のケアが全くない。


私は、父亡き後、自分が身体を壊し、職を失い、大きな喪失感で、ただ生きているだけの毎日でした。

それだけではなく、その生きることさえも、身体を壊したが為に、何も食べることが出来ず、心身ともに更に悪化した。

自宅のベッドの上で、動くことも辛い状態のとき『もしかしたら、私、このまま孤独死するのかな・・』と、そんなことを思った。

『もうどうなってもいいや・・』と、投げやりになったときに、脳裏に浮かんだのが『父の顔』でした。


脳裏に浮かんだのが『父の顔』・・・
それが、私が立ち直るきっかけになりました。

 

立ち直る過程で『グリーフケア』というものを知りました。

実際に自分が『グリーフケア』を受けて、『そう、こうして、私の苦しさ哀しさ辛さがまぜこぜになった、父への想いを誰かに、聴いて欲しかったんだ。』と、思いました。

自分の胸の内をただ、思いつくままに話していく過程で、心理士さんが、最低限の言葉をくれて、それを受けて、自分のなかの哀しみの感情を整理して行くことが出来ました。

 

でも、このグリーフケアは、職業としては殆ど皆無で、NPO等のボランティアが担っていいます。

しかも、その団体は少ないし、知られていません。

私は、悪友看護師から教えてもらって知ったのです。幸運だったのです。

 

 

そう、日本の福祉制度は隙間だらけで、その隙間に落ちてしまっている人達が沢山いる。

それぞれの分野の福祉専門職は、自身の任務の指針となる法制度が、ときには足かせとなってしまい、『助けたくても身動きがとれない』ことが多々あります。

その隙間を埋めてくれているのが、沢山のボランティアさん達。

そして、国はそれを『当たり前』のように、ボランティアにあまりにも頼りすぎている。

 

私は、自身の身体をはって、DV被害者を守る活動をしている方と、インターネット上で知り合いになった。

DV加害者から被害を受けかねない、身体をはったその活動は、無償のボランティアだ。

ご本人は見返りなど全く求めていない。

逆に、少しでも社会の役に立てるのならば、と、考えている方です。

けれども、命に関わる被害を受けるかもしれないその活動を、無償のボランティアがしている、この国の現状に、私は疑問を持たずにはいられない。

 

そのような、『制度の隙間での支援活動も含めて、広い視界のなかで自分に出来る何かがあるのではないか・・?』

 

そんなことを、今、考えています。

 

 

先日、父の初めての命日を迎えました。

今年に入ってから、『一年前のあの頃は・・・』と、数え切れないほど思いながら過ごしてきた。

一周忌の法事もしてないし、

あまりに寒いのと、私が体調が悪いので、墓参りも行ってない。

 

ただ、一年前の『危篤の父が下顎呼吸に変ったのに気がついた時間から、父が彼岸に旅だった瞬間の時刻まで』、私は、自宅の父の写真とずっと向き合っていました。

 

『私も人生を全うして、彼岸で父に会ったときに『よく頑張ったな』と、褒めてもらえるような、生き方をしたい。』

 

最近、そんなことを強く思っている。

 

そして、

本当に実現できるかどうかは、やってみないと解らないけれど、それでも、この歳になって、新たにやってみたいことを見つけられたことに、幸せを感じています。




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