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ご無沙汰しています。
このひと月は、体調の好調と不調が交互に押し寄せて、自分の体調のコントロールに悪戦苦闘しておりました。
就職活動をはじめる時期については、5月中旬から主治医は『6月から始めていい』と、言っていました。
主治医の見解としては、次のように言っていました。
『あなたが身体を壊した一番の原因は『今まで働いていた会社』にある。その会社を辞めれば一番の原因が取り除かれる。だから、あとは回復していくだけだ』と。
しかし、昨年の11月頃から、毎朝起きると頭がクラクラして動けなくなるので、その症状を少しでも抑えるために、寝るときに臥床出来ず、布団を重ねて座位の姿勢で、半年近く睡眠を取っていました。しかも毎日3~4時間だけです。
また、食事も受け付けなくなり、3月頃からは固形物をほとんど食べることが出来ず、5月末までほとんど水分で生きていました。
これでは、体力も筋力も落ちています。そして身体を壊した状態で、とても6月から就職活動が出来るとは思えませんでした。
そのことを主治医に話したら、このような助言が返ってきました。
『動かないと、体力は戻らない。それに、家にいるとマイナス思考になってしまうから、それも良くない。だからこそ、(主治医としては)仕事をして欲しいんです。とにかく外へ出て、身体を動かして下さい。そうしなければ体力は戻りません。今回に限っては薬の力を借りてでも、とにかく動いて外に出て活動量を増やして下さい。今処方している頓服薬は、今までの薬より強く、依存性も強いです。それでも今は(依存性の高い)その薬を飲んででも、外に出て動いて欲しい。ですから、これらの薬は『ここぞ!!』と言うときに飲んで下さい。今だけは、薬の力を借りて下さい!』
というわけで、下記の3つの薬が処方されました。
○睡眠薬:ブロチゾラムOD 0.25mg(就前薬:鬱病時代に飲んでいた睡眠薬です)
○精神安定剤頓用:リスペリドン0.5mg
(フラッシュバック時・不安時・頭のクラクラが酷いとき)
※これが処方されたときは正直ショックでしたが、この薬に何度も助けられました。
なお、フラッシュバックは既に出なくなっています。
○意欲低下・身体が動かないときの頓用:コンサータ18mg
(発達障害がある人が服用することが多いようです)
※必要時は朝服薬。遅くとも午前中には服薬。
午後に服用すると夜眠れなくなるそうです。
連日の服薬を続けてはいけないとのこと。(説明書が見当たらないっ)
と、臨時で、体調・精神状態・生活そのものが落ち着くまでは、この薬の力も借りることになりました。
ちなみに・・・
『コンサータ18mg』は2回しか服薬していません。
私自身が外へ出る気が、比較的早く持てました。しかし、身体が動かないときに、この薬の力を借りて出かけたことが2回あるのですが、反動が後日に出たのか、余計に動けなくなりました。
先生に報告したら『薬との関係性はないだろう』とは言っていましたが、その後は服薬していません。
本当に、『心も身体が辛いけど、どうしても外出しなければならない』ときだけ、頼ろうと思っています。
『リスペリドン0.5mg』は、初めはフラッシュバック・不安時に服薬していましたが、今は、フラッシュバックもなくなり、比較的精神的には安定してきました。
現時点では、梅雨の影響か頭のクラクラがまた出るようになったので、いつもの精神安定剤を飲んでも無理なときに服薬しています。
『ブロチゾラムOD 0.25mg』は、毎日寝る前に服薬しいてます。この薬も依存性があるとのことなので、一度半錠にして数日様子をみたのですが、眠りが浅く頭の芯から眠れていない感じなので、一錠に戻しています。
先生のお話だと、『発達障害の方は、睡眠をきちんと取らないと、不注意や衝動性といった症状は悪化しますので、~中略~睡眠時間はしっかり確保することをお勧めします。』とのことでした。つまり私は3年間睡眠時間を削っていたので、発達障害持ちとしては、一番いけないことをしていたわけです。
こんな風に、薬の力を借りながら、自分の活動量を増やしていきました。
しかし、目的も意味もなく外出するのは、交通費のお金がもったいないと思いました。
そのため、手っ取り早く、今は休会している音楽教室のレッスン室をレンタルして、フルートやサックスをリハビリを兼ねて吹くことで、体力をつけるようにしています。
楽器を吹くのは体力が要りますし、私の楽器はフルートもサックスも重量のある楽器なので簡単に音は鳴りません。
ですから、自分の楽器を吹くことで、自分の体力がどのくらい戻っているかの判断材料になります。
それに、好きな楽器が吹ければ一石二鳥です。
後は、父の形見で譲り受けた『電動付き自転車』でどこまで行けるかを試しています。これも、自分の体力の戻り具合がわかりやすい方法です。
ケアマネとして、今まで一日中自転車移動していましたので、仕事をしていたときの自分と、今の自分を比較すれば、どこまで体力が戻っているかを確認するのに、わかりやすい方法です。
食事も、食べられるようになっても、初めはお粥だけでした。
しかし、それでは栄養がつかない。
でも、本当に消化の良い物で固形物でないものでないと胃が受け付けつけなったので、おかずは介護食のレトルトを食べています。
今、一般食で、胃に負担のかからないような調理をしているレトルト食品に切り替えをしているところですが、なかなか上手く切り替えができません。
お粥ではなく普通の白米を食べられるようにもなってきたのですが、少し調子がおかしくなると、また食事を受け付けなくなってしまいます。
どうして、こんなに身体の戻りが遅いのか、自分でも解らなかったのですが、先日、実家で体重を量ったら更に体重が落ちていて、『トータルで10kg落ちてしまっていました』。
もともと太っている方なので、痩せた方がいいのでしょうが、この痩せ方は、身体を壊した結果の、身体に一番悪い痩せ方なので、必要な筋肉も筋力を落ちているはずです。
これでは、今までと同じ感覚で動いていたら、身体に無理が来ます。
元の身体に戻すのではなく、今の自分の身体・体力に合った、日常生活の送り方、そして、仕事の仕方を考えないといけないな・・・と、考え方を切り替えました。
まだ、その方法は掴んでいませんが、とりあえず、無理に常食に戻すのは今はやめることにしました。
介護用のレトルト食品でもいいから、必要な栄養を取ることを優先にすることにしました。
この発想は、亡き父が60歳手前で胃がんの手術を受け、静養期間を経て仕事に復帰したときに、お弁当にお粥を入れていたことを思い出したことから、考えたことです。
職人だった父の仕事はとても重労働で、40Kgくらいの物を何度も運ぶこともあったそうです。
病み上がりの身体でお粥のお弁当を持って仕事をしていた父の事を思いだし、『常食が食べられなくても仕事は出来る!』と、考え方を変えることが出来ました。
上記のような前向きな発想が出きるようになる前・・・。
5月の頃は、ほとんど家に籠もり、近所のスーパーやドラックストアへ行く以外は、家の中で寝ていることも多かったです。
裏切られた・見捨てられたという感情と、『強い人間不信』に落ちてしまっていました。
もう何もかも嫌になって、自暴自棄になり『もうどうなってもいい!!』と投げやりな感情になっていたときに、『父』の顔が突然、脳裏に浮かびました。
『今の私を父はどう思っているだろう・・・。』
他にも原因はある。むしろ、そっちのほうの原因のほうが大きい。
けれど、少なくとも父は、『俺がガンになったせいで、娘が心も身体を壊し、職を失い、生活基盤が崩れてしまった・・・俺はどうしたらいいんだ?!』そう思っているかもしれない。
『このままでは、父は、彼岸へはいけない。父が成仏できない』
私は、そう思いました。
自分の為だけでなく、父の為にもこのままではいけない。
『あの父の過酷なターミナルを介護して、看取った娘である私が、ケアマネとしてやるべきことがあるはず。』
『少なくとも父の終末期の介護とキーパーソンをしたケアマネだから、もしかしたら、今までよりも、ご利用者様とご家族の想いに近づけるかもしれない。』
『家族の在宅介護の過酷さは経験した者でないと解らない。少なくとも私はそれを経験したケアマネだ。』
- 父が最期に私に見せてくれたことを、無駄にしてはいけない!! -
そう思ったときに、
『ケアマネとして、もう一度這い上がってやる!!』
そう決心しました。
その夜から身体も動くようになり、フラッシュバックも全く起きなくなりました。
『父が、助けてくれたんだ』と、私は、素直に思いました。
実は、既に、就職活動は始めています。
採用面接の予定も既に入っています。
前会社からまだ離職票が届いていませんが、ハローワークに事情を説明して相談し、正規の手続きをとり、仮ではありますが、失業保険の給付手続きを済ませました。
ケアマネージャーとして就職活動をしますので、『ある人達』から、嫌がらせを受ける可能性があると考えています。
それが解ったときには、それなりの事をするつもりです。その方法は既に考えております。
自分から事を荒立てるつもりはありませんが、『向こうから『何か』をしてきたら』、話は別です。
何度も崖に突き落とされて、そのたびに這い上がってきました。
だから、今回も同じ事をするだけです。
もう若くはないけれど、生きていれば、やり直そうと思えば何度でも出来る。
どうせ、挫折だらけの半生です。今更ひとつやふたつ増えたところで、かわりはありません。
そうやって、繰り返し這い上がってきた経験が、そして、自分が経験した全ての事が、自身の『ケアマネージャーとしての糧』にもなるのです。
仕事が決まるまで、どれほどの時間がかかるか解りませんが、最善を尽くして、現場に戻れるように頑張ります。