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ただ今、人生の仕切り直し中のケアマネ
プロフィール
HN:
かたつむり
性別:
女性
自己紹介:
心と身体を壊し、まだ人生の仕切り直し中のケアマネ。

保有資格:社会福祉士・介護福祉士・介護支援専門員。ついでに日商簿記2級・全商簿記1級
(Twitter@renrinoeda2)
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必ず這い上がってやるっ!!

    ご無沙汰しております。

  私は、会社を辞めることになりました。
  『ドクターストップ』がかかり、休養が必要との診断書が出ました。
  その結果、休職ではなく会社を辞めることになりました。
  はっきりいって、円満退職ではなく、悪いかたちになりました。

  でも、これで、夜中に自宅で仕事をすることも、
  土日などの休みに自宅で仕事をすることもなくなります。

  そう思えば、『ようやく地獄から解放された』と、思いました。
  やっと、普通の生活に戻ることが出来る・・・そう思いました。
     
     2018.5.5 投稿 『ドクターストップ、そして・・』より抜粋。



父のターミナルは壮絶だった。階段をころげ落ちるように弱っていく父を見るのは辛かった。
ケアマネとしての仕事をしながら、父のキーパーソンと介護をすることは、とても苦しかった。
仕事と父の事で、自分の時間なくなっていった、そして、無理を重ねた身体は完全に壊れた。


私自身の身体が壊れた状態のまま、父は終末期にはいった。
父のキーパーソンとして、全ての判断と責任を私が背負った。
なぜなら、母と姉にはそれが出来ないから、私がやるしかなかった。

元々体力がある父でさえ、階段を転げ落ちるように病状が悪化していった。
全ての判断と対応が、時間との勝負の連続だった。
その現実に、自分の感情と思考が追いつけない、そんな私がいた。
でも、私は取り乱したら、母も姉も動揺してしまう。
そして、何より父が苦しくなる。
父に残された時間を、父も家族も大切に過ごすことが出来なくなる。
だから、辛くても、必死に『はったり』をかまして、『いつもの自分』を無理矢理つくっていた。
でも、本当に苦しかった。

そんな精神状態のまま、私はケアマネとしての仕事を続けていた。

緊急でケアマネが対応する可能性が高い『家族の介護力のない』ご利用者様は、社長に申し出て担当を降ろさせてもらった。
癌終末期の父のキーパーソンと介護をしている自分では、責任を持って担当できないことがわかっていたから。

消えかかった父の命の灯を見つめながら、その月のモニタリング訪問を必死で早く終わらせようと、スケジュールを組んだ。
父と一緒に過ごせる最期の時間を、少しでも長くつくるために。
モニタリング訪問とサービス担当者会議をある程度終わらせて、『やっと、明日から、実家で父の介護に集中出来る』そう思った日の夕方に、父は危篤になり、翌朝、家族で最期を看取った。

一日でも早く、『父の側で最期まで過ごせるように時間をつくろう』と、必死に仕事をしたが、結果的に間に合わなかった。

休日は、父の側で過ごした。
でも、仕事があるから毎日に父のところへ顔を出すことは。どうしてもできなかった。

主治医より、余命2週間と告げられた時、1日でもいいから休みを取ることも考えたが・・・会社に申し出ることは出来なかった。色々な意味で、お願いできる状況ではなかった。

『これが父と話が出来る最期の機会』と、わかっていた週末の日曜日。
父の元へ行った私をみて、父は安堵したように微笑んでくれた・・・でも、もう声が出なかった。
父の声を永遠に聴くことはもう出来ない・・・その現実に愕然とした。
でも、愕然とした自分を隠して、いつもの通りに必死に振る舞った。
そして、その翌日に父は危篤になり、次の日の朝に息を引き取った。

最期の
数日は、父は毎日何度も母に言っていたそうだ。
「かたつむりは、いつくるんだ?」と。
母は、「仕事だから今度日曜日まで来れないんだよ」と答えていたそだ。
その母の言葉に父は
『そうか、仕事じゃ仕方ないな』と、毎回言っていたそうだ。
父は私を待っていたのだ。
多分、私に直接言いたかったこともあったのかもしれない、そう思うと、父に申し訳ない事をしてしまった。
今でも、そう思っている。


けれど
父の最期を家族で自宅で看取り、最期の穏やかな父の笑顔をみて、
『苦しかったけど、全力で父の闘病を支えてきて良かった』
そう思った。


父を送った後も、私は、今も『辛いこと』が沢山続いている。

父の闘病を支え、キーパーソンと介護を必死にやっってきたつもりだ。
けれどその結果、私は、『健康・仕事等・・・多くのものを失った。』
苦しくて・辛くて・哀しいことばかりが毎日続いている。
正直、ケアマネを辞めようと何度も思った。
生きていることも辛く思うことも数え切れないほどあった。
『今、父がいてくれたら』と・・・数え切れないほど思った。
唯一縋れる存在だった父は、もういない。
それでも父に縋りたくて、体調が悪いのに無理をして、片道2時間はかかる、父の墓前まで行った。
そして、雨の中、私は父の墓前で大声で泣きつづけた。

昨日も辛いことが続き、今日は一日寝込んだ。

でも突然
『父と共に癌と闘い続けた日々の苦しさを経験しているからこそ、その経験を知っているケアマネージャーである自分だからこそ、出来ることがあるはずだ』
ふとそんなことを思った。

今はいろんな事で苦しいけれど、その全てから絶対に逃げてはいけない。
私は『家族の立場で介護の壮絶さを経験したケアマネ』。
だからこそ、自分がやるべき何かが、必ずあるはずだ。
そう思った。
父もそれを願っているかもしれない。

だから、『このどん底から必ず這い上がってみせる!』
そう、改めて決心しました。

負けてなるものか!!
絶対に打ち勝って見せてやる!!
そう思っている。


拍手やコメントをくださったかた、ありがとうございました。
なかなか、コメントのお礼のお返事を書くことができなくて、申し訳ありません。
どうか、ご了承くださいますようお願いいたします。
(本当に、本当に、ずっと書けずにごめんなさいっ)


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