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ご無沙汰しています。
体調が悪い中、無理矢理仕事をしながら遅れている仕事の追い上げをしています。しかし、体調が悪いため、仕事の進み具合が悪いです。
父亡き後の諸手続きが終わったら、いっきに体調不良が悪化しました。
『疲れはあとで、いっきに出るから気をつけて』と、ご利用者様とご家族に言われていましたが、その通りになりました。
肥満だと健康診断で言われていますが、しかし体重が7kgも落ちて、『顔がやつれた』『顔色が悪い』とご利用者様とご家族に心配をしてもらっている、情けないケアマネです。
先日、父の納骨日が決まりました、と、いうか、私の知らないうちに決まってました。
明日16日が納骨です。
母が独断で決めたのです。
姉にも相談なかったので、姉もかなり激怒したようで、母を『叱った』とメールで書いてました。
私は、間違い電話で私のところへ電話をしてきたので、不審に思い、折り返し電話をして、母に訊いたら
『ああ、決まったわよ。16日に。かたつむりは具合が悪いから(納骨に)行けないって言ってたから、お姉ちゃんと二人で行ってくるから』
と、あっけらかんと言ってました。
母には、父の葬儀が終わったあとに、何度も言ってました。
「私もお姉ちゃんも疲れ果てている。こんなこというのはお父さんに悪いけどさ。だから、取り急ぎの事が終わったら、お願いだから少し休ませてくれ。納骨だってウチは葬式をやってないんだから49日にこだわる必要ないんだ。とにかく少し休ませてくれ、お姉ちゃんも私も身が持たないよ。」
姉も同様のことを言っていました。
でも、母は49日の4月にこだわりました。
私は、だから、こう言うしかありませんでした。
「お母さんが『4月にどうしても納骨』したいなら、今の私の体調では長時間の車の移動に耐えられないから、私は行けない。だから、お姉ちゃんと二人で行ってくれ」と。
そして、母は本当に私抜きで4月に納骨することを、姉にさえ相談せずに決めました。
私の生息地は、葬儀を無宗教でしたり、49日や法事はあまりこだわらない家がかなり多い地域です。
ですから、父の葬儀も、父の遺言に従い、無宗教で通夜も告別式もせずに、家族3人と最低限の父の知人だけで送りました。
ですから、我が家も特に49日にこだわらなくてもいいのです。その前をしていないのですから。
でも、母の中には何らかのこだわりがあったのでしょう。
しかし、今までの父の事全て背負ってきた私には事前の話もなく、私抜きで納骨をすることを、姉にも相談せずに一人で勝手に決めました。
私には事後報告どころか、実家に来たときに伝えるつもりだったようです。
当然、母と電話でケンカになりました。
正直どこかで期待していたことを泣きながら母に訴えました。
『私の体調が戻るのを待ってくれると思ったよ!』と。
そうしたら母は
『具合が悪いから行けないから、お姉ちゃんと二人で行けっていったのは、アンタでしょう!!』
と逆ギレしました。
お母さんは、納骨をなんだと思ってるんだ?!そうおもったら、虚しくなりました。
『これ以上、お母さんと話しても意味がないから電話を切る!!』
そう言って、私は電話を切りました。
そのあと、ずっと泣き続けていました。
必死に父のキーパーソンをして、無理を重ねて、身体壊して、減給になり生活が崩れて、それでも父の闘病を支えるために全てを背負い、父亡き後に母の生活を安定させるために手続きに動き回った娘に対して、納骨は蚊帳の外なのかよ!
そう思ったら、とても哀しくなりました。
その夜から、体調が更に悪化しました。
固形物が食べられなくなり、食事もそのものも取れなくなりました。
当然、動けなくなり、この2週間は何度も仕事を休みました。
明日も実は休みを取りました、体調が悪すぎるから。
食事は、最近お粥がようやく食べられるようになりましたが、一日1食食べるのがやっとで、後は水分で栄養がありそうなものを飲むようにしています。
母には、今の私の感情をぶつけた手紙を送りました。
でも、電話がかかってきたのは、手紙が届いたであろう日の1回だけ。私は電話に出る気になりませんでした。
その後は、電話は全くありません。
母が何を考えているのか、私には解りませんし、解ろうとも思いません。
先程、姉にメールを入れました。
明日納骨に行けなくてごめんなさい。
お母さんに会いたくないから、お父さんにお線香をあげに行けずにごめんなさい。
納骨の件は全部お姉ちゃんに任せきりでごめんなさい。
宜しくお願いします。
姉から返ってきたメールは。
気にしなくていい。
まずは自分の身体を治すことを優先にしなさい。
姉のメールをみて、本音を送りました。
『でも、本当の本当にこれで最期になるから、やっぱりお父さんの納骨に立ち会いたかった』と。
それを姉にメールで送った後に、声をあげて泣きました。
解約手続きのために、私の手元にある父の携帯電話。
形見として引き取らせていただけるようにお願いするつもりでいます。
待ち受けをかえて、病状が悪化した頃の、でも、まだベッドから降りられるときに、釣り仲間の孫を抱いてとって、痩せ細る前の父の笑った写真にしました。
その父の姿を見ながら、励まされたり、泣いたりして、毎日を過ごしています。
明日、何時に父が自宅を最期にするのかも私は知りません。
それでも、明日は、壊れた身体で自宅で仕事をしながら、心の中で父に手を合わせて一日を過ごしたいと思います。