ご無沙汰しています。
父を彼岸に送ってから、更に体調を崩し、その状態で、父の事で遅れていた仕事の追い上げをしなければらないので、ブログを書くことすら出来ませんでした。
今朝も、父に関する諸手続きがある為(父の諸手続きで何度も有給休暇をとっているので、同僚達から良い目で見られていません)早起きしましたが、具合が悪くなり動けなくなり、4時間ほどベッドで休んでいました。
無理を重ね続けた結果です。
無理を重ねるしかなかったのです。
周囲の理解をもらえなかったから。
父がターミナルになってから、私は減給覚悟で担当件数を減らしました。
長くて3ヶ月と言われた父の介護をする為に。
そして、父のキーパーソンとして更にやる事が増えていくため、今の私が担当するべきではないご利用者様の担当変更を社長にお願いしました。
独居で家族の介護力の弱いかた5名を同僚に引きついでもらいました。
その方達の担当を外してもらったことには理由があります。
ご利用者様が難しいケースでも家族に介護力があれば、どうにか担当をつづけるこはできる。
でも、独居で介護に関わってくれる家族がいないと、その分、ケアマネが家族の代わりに動かなくてはいけない。
その動きは、ターミナルの父の介護をして、キーパーソンもしている私には、とても不可能と判断しました。
引き継ぎが始まった時点で、父の病状は急激に悪化していきました。
毎晩、電話で姉と長い時間相談をして、休みは実家へいき父の介護をする母を手伝い、そして、仕事を続けました。
正直、仕事は、目の前のことをするのが精一杯で、まったく余裕はなく、とにかく必死でした。
父に残された時間をみつめながら、少しでも早く2月分の仕事を終わらせる見通しを立てることで精一杯でした。
『少しでも長く、父のそばにいたい。』
その思いだけで、必死に動いてました。
私自身の身体にも無理が来ていることは、充分に解っていました。
でも、もう父と過ごせる時間はないのです。
だから、あとで倒れてもいいから、父のそばに早くいられるようになりたくて、本当に必死でした。
そんな頃に、引き継ぎで、私が書類がそろいきれていないことで、同僚達から事実上のクレームがでました。
私は、社長から引き継いだとき、まともな引き継ぎをうけたことは一度もしたことがありません。引き続き書類もまともにもらったことがありませんでしたし、最低限の必要な情報を訪問直前に口頭で伝えられただけです。だから、担当になってから苦労もしたし、恥もかきました。
『とっくに、社長さんに話してあるよ』
確認の質問すると、そんな言葉を何度も返ってきました。
聴いていないことを告げるわけにいきませんので、私の勘違いということで、その都度謝りました。
他の社員が、引き継ぎのときに、社長から『アセスメント票』もらっていたのをみて、私から社長に、『私にも引き継ぎの時には、アセスメント票を下さい』と、何度も言って、ようやくもらえるようになりました。
でも、社長は、『自分は、かたつむりさんにきちんと引きつぎをしている』と、私に言いましたので、会社では私が悪者です。このことは、何度もいいましたが、言ってももう無駄だと、もうあきらめました。だから、私が悪者になっています。
話がそれましたが、初心者がそんな状態で引き継ぎをしていたので、アセスメント票があり、必要な情報を文書でまとめて、また口頭で伝えればどうにかなるかと思っていました。なぜなら、同僚はみな主任ケアマネですから、初心者が出来たことは、主任ケアマネなら当然出来るだろうと思ってました。
それが間違いだったのでしょう。
私は引き続きの時に伝え忘れたことが少しでもあったりすると、不快な表情を露わにしました。また、新しくかえたソフトに最低限の情報しか入力できていたかったことで、入力出来ていないことを注意されて、引き継いだ人の分だけでも早く入力するように言われました。
このとき、父に残された時間は2週間を切っていました。
職場には、そのことは伝えていました。
『できる限り、かたつむりさんに協力する』とはいっていました、社長は。
しかし、
死に物狂いで仕事と父の事をやっている私に、父の命の灯が消えかかっている時に、会社は『完璧は引き継ぎ』を求めてきたのです。
『そこまで完璧を求めるのか?!あんた達だってできていないだろうがっ!!』と、怒りにまかせて叫びそうになるのを必死で堪えました。
父と話が出来る最期のチャンスになるのが解っていたその週末の土曜日の訪問を調整して、父の元へいこうかと思っていたのですが、このことがあり、土曜日は一日仕事をしました。指摘された仕事をするために。
翌日の日曜日に、私は自分の病院受診もせずに父の元へいったら、父はもう声を出すことが出来なくなっていました。
その父の姿を見て、私は、心の中で愕然としました。
父に、その動揺を悟られないようにするのに必死でした。
母の話では、前日の土曜日までは、どうにか話せていたとのこと。
私は、父の声を聴いて父と話をする機会を永遠に逃してしまったのです。
母から聴かされました、私が実家へ行けなかった4日間のこと。
『ここ数日、お父さんは、毎日何度も「かたつむりは来るのか?」と言っていたんだ。だから、仕事だから日曜日にならないとこれないんだよ、ってその都度お父さんに言ったんだよ。「そうか、仕事なら仕方ないな」って言っていたけれど、お父さんは、あんたが来るのを待ってたんだよ』
その母の言葉を聴いて、父に申し訳ないことをした・・・そう思いました。
仕事をしている以上、仕事が優先なのは解るし、家族の事は理由にはならない。
これが一般企業なら、仕方がない。
私もそう思える。
だか、私の会社はケアマネ会社だ。
在宅の介護を支援することが仕事だ、だから、『在宅介護』と『ターミナル』というものは、それなりにわかっているものだ。少なくとも私はそう思っていた。
でも、ケアマネからみた『在宅介護』と、家族の立場でみた『在宅介護』は、まったく違う世界だった。
だから、ケアマネ会社といえど、社員の『家族介護』について認識は、一般企業となんら変わりなかった。
会社として『かたつむりさんのお父さんの介護に協力する』と。言っていた。
土曜日出勤にして、平日休みにしていただけた事は、感謝している。
父の事で有給休暇をとったり、早退させいただいたことも、感謝している。
しかし、仕事のフォローはなにひとつなかった。
それどころか、引き継ぎをしたことで、逆に私は、仕事で追い詰められてしまった。
引き継ぎの不備を指摘されていた時が、父に残された時間がもうないと言われていたときだったので、一番精神的に苦しかった。
父に残された時間がもうないところまで来ていたのに、常に完璧以上を求められ続けてきた。
声が出せなくなっていた父の姿に愕然としていた私に、看護師さんが帰るときに玄関先で私にこういった。
『お仕事も忙しいと思いますが、どうか、少しでもお父さんのそばにいて差し上げて下さい』と。
このことばを言われたとき、『自分は何をしてるんだ』そう思った。
ケアマネージャーとして、在宅で介護をしている家族を支援していながら、その一方で、私は自分の父親に寂しい思いをさせているじゃないか?!
私は、何をやっているんだ・・・と、おもったら、看護師さんに何も言えなかった。
ー 『ケアマネージャー』をしている私は、娘として、いったい何なんだ? ー
あの、『私の顔をみて、安堵したように微笑んだ、声を出せなくなっていた父の姿』をみてから、そして、看護師さんの『あの言葉』を聴いてから、どうしても、このことが頭から離れなくなった。
翌日の月曜日の夕方に父の危篤知らせを受けて、その後の予定をいったんキャンセルして実家へ向かった。
実家へ着いて、反応が帰ってこない父にそれでも『聴こえている』と信じて、繰り返し父に話しかけた後に、翌日の火曜日の仕事の調整を自分でした。
父が亡くなった後も、葬儀会社との打ち合わせが終わった後に、気力を振り絞って、全て自分で仕事の調整の連絡をした。
仕事の調整が全て終わったら、その後は、父を亡くした哀しみだけで、もう何も考えられなかった。
それでも、社長にだけは、メールだけでなく電話で報告をしなければと思い、夜に社長に電話をした。
『父が亡くなったので、しばらくご迷惑をおかけします』と。
そのときの社長から言われたのが、仕事の調整のことだった。
サービス担当者会議が父の出棺の翌日に入っていた。
2月中に行なわなければいけない会議。
私の慶弔休暇明けに合わせて組み直おそうとしたら、スケジュールを組むのが難しいことが解っていたので、上司にその旨を話して予定通りやることにしていた。上司の了解は得ていた。
その予定を組み直すようにと社長が私に指示してきたのだ。
『かたつむりさんが大変だから、予定を組み直した方がいい』と。
親が死んだばかりで悲嘆にくれている社員に、会議の日程変更をするために事業所と連絡をとり、一からスケジュールを組み直せというのか、まだ仕事をしろというのか・・・。
ー もう、いい加減にしろっ!! ー
私は、自分を支えていた最期の糸が切れたのが解った。
『もうすでに日中に上司と相談して、私は、仕事の調整をしました。もう、今の私に仕事の調整をする気力なんてありませんよっ!!父の葬儀の打ち合わせまで私はしているんですよっ!!会議の予定を組み直す為に連絡調整をするくらいなら、無理をしてでも予定通りで会議をした方がまだマシですっ!!』
私は電話越しに社長に怒鳴った。
ケアマネージャーの会社でさえ、この有様なのです。
介護離職の問題が大きく、取り上げられているが、会社側の理解がなければ、仕事を辞めるしかないのだろう・・・私は、このとき思った。
私には、まだ、母がいる。
おかげさまで、母は今のところは元気だ。でも、いつどうなるか解らない。
父だって、元々はとても丈夫だった。
唯一、悪い肺に癌が出来て、彼岸に逝ってしまったのだ。
親の介護の問題は、私自身とっても、まだ続く問題なのだ。
母が介護が必要になったとき、この会社で働きながら母の介護をすることは、間違いなく『出来ない』と思った。
そして、私自身の身体も完全に壊れきってしまった。
それでも、娘として、父の事をやりきったので、今の自分の置かれた状況には後悔はない。
私個人としての考えですがは、自分の親の介護が出来ずに、ケアマネージャーの仕事は勤まらないと、私は思っている。あくまでも、これは私の個人的な考えだ。
父を担当して下さったケアマネージャーさんは、ひと月半のおつきあいで終わったが、完璧な仕事をして下さった。
介護と仕事との板挟みになり混乱する私を、何度も励まし諭して下さった。
そして何より、『いつでも柔軟な対応が出来る、気配りの出来る、訪問看護ステーションさんにご支援をお願いしたいのです』という私の依頼をうけて、その通りの訪問看護ステーションさんをご紹介して下さった。
そのおかげで、余命告知を受けて苦しんでいた父は、訪問看護師さんが『一生懸命に傾聴して下さった』おかげで、父は『最大の苦しみ』を乗り越えることが出来た。
ケアマネージャーさんは、父にお線香をあげにきてくださったときに、私に言ってくださった。
『ケアマネの仕事をしながら、お父さんの介護とキーパーソンをするのは大変だったはず。よくがんばりましたね。実は、私も、父を癌で亡くしてるの。ケアマネージャーの仕事をしながら父の介護で実家を行き来した。私は間に合わなかったけれど、家族で自宅で最期まで看取ったの。だから、私もあなたと同じ経験をしてきた。本当に仕事しながらで大変だったはず。お母さんの事も大切にして欲しいけれど、貴方自身の事も大事にしてね。』
なぜ、福祉用具のかたが、私にこのケアマネージャーさんを紹介して下さったのか、そのとき解ったような気がした。
ケアマネの仕事をしながら、親の介護とキーパーソンをするのは過酷だった。
担当しているかたのご家族からクレーム的な相談を受けながら、『うちのほうがもっと過酷だ』と、心の中で思ったことは正直あった。
その葛藤と、親の介護に理解のない会社で働きながら、父の命の見つめて、必死に動き回った。
父の残された時間を大切にしたい、最期まで父らしくいてほしい・・・その一心で。
我が家はどうにか、父との最期の時間を後悔なく、父と一緒に大切に過ごすことが出来た。
でも、我が家のようなケースは、多分まれで、色々な好条件が重なって出来たことだと思っている。
それでも、今の世の中では、『働きながら親の介護をするの本当に難しい』と、自分が経験して痛感させられた。
担当件数を減らした結果、私は7万円の減給となりました。
身体を壊した私には、今担当件数を元に戻すことは不可能です。
時給制の姉も、給料はかなり減ったと言っていた。
こうして、介護の為に、家族は仕事を辞めていくのだろう、事実上は辞めさせられているのと同じなのだと私は思っている。
家族の介護をしながらでは、通常通りの仕事は出来ない。
それが出来ないと、ペナルティーが課せられる。
そうなると必然的に会社にいづらくなる。
そうしたら、会社を辞めるしかない。
これが、現実だ。
私自身がそれを感じた。
そのことを踏まえて、私は、父のガンの再発がわかってから今までの間に感じた現実を直視して、私自身、ケアマネとして、その前に私個人として、これからどうしていくべきか、考えているところです。答えはまだ出ていません。
それほど、働きながら、家族の介護をすること、家族のキーパーソンをすることに対しては、今の我が国は、理解をしてもらえないとても厳しい社会なのだと、痛感させられました。
はたからみたら、私が言っていることは、会社への個人的な文句を言っているとしかおもわれないでしょう。
でも、私が、父のキーパーソンと介護をして、肌身で感じたことを、ありのままに書いただけです。
ケアマネージャーをしている私でさえ思ったのです。
仕事をしながら在宅での介護は、とても厳しいと。
私のこの意見に反論があるかたは、一度、親の介護に正面からむかって、どれだけ大変かをぜひ経験していただきたいものです。
間違いないく、考えかたが、180度かわりますので。
拍手やコメントをくださったかた、ありがとうございました。
なかなか、コメントのお礼のお返事を書くことができなくて、申し訳ありません。
どうか、ご了承くださいますようお願いいたします。
(本当に、本当に、ずっと書けずにごめんなさいっ)
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