今朝、父は静かに旅立ちました。
母・姉・私の三人で最期は父のそば看取ることができました。
がんの再発がわかった時に父が言った言葉
『お母さんが大変だから、俺は最期は病院でいい』
でも、その言葉の意味するもの
『俺は、最期まで家にいたいんだ』
私は、そう解釈しました。
そして、その時に『ケアマネージャーは、ご利用者様が言う言葉の向こうにある『本音』を見つめなければいけないのだ』ということを、学びました。
父の肺がんの再発がわかって1年3か月。
父と何度もケンカをし、結果的に、実家を離れて一人暮らしを始めた。
それでも、なんだかんだと結果的に私はキーパーソンを続けてきた。
父の闘病を通して、見えた事、知ったこと、感じた事が沢山あった。
『仕事』と『介護』の両立をすることの地獄のような過酷さ。
『大変』と言う言葉では片づけられない位壮絶であることを、身をもって経験した。
きっと、これは、ケアマネを続ける上で貴重な経験になったはず。
父は、最後に自身の闘病の姿を通して、私に大切なものを教えてくれたのだと思う。
『この経験を、仕事に絶対に活かせよ!』
そんな父の声が聴こえてきそうな気がします。
父からの最初で最後の『大切な贈り物』だと思いました。
もう一度、大好きな釣りに行かせてあげたかった。
無理なら、いつも行く釣り堀のそばにある満開のしだれ桜を見せてあげたかった。
それでも無理なら、家の前でもいいから、風を受けながら青空を見せてあげたかった。
何ひとつ、かなえてあげられなった。
けれど、
言葉にしなかったお父さんの希望
『最期まで家にいたい』
これだけは、どうにか希望に添えることができた。
父の遺言、
『俺の葬儀に金をかけるな、やることは最低限でいい。お前たち3人だけで俺を送り出してくれ』
だから、通夜も告別式もせず、家族3人だけで送る。
でも、これだけは姉と私はこだわった。
『家で看とったのだから、家から父を送り出す』
私の住んでいる地域では少なくなった方法にこだわりました。
父の棺は自宅から出棺します。
父は出棺の最期まで、私達と自宅で過ごします。
旅立の服装は、『釣りに行くときの服』です。
ひとつ大きな悩みが出てきました。
父が『俺が死んだら棺桶に入れてくれ』と姉に頼んでいた、へらぶなの竹竿をどうするか。
『竹竿は燃えにくいので、棺には入れられない』と、葬儀業者の方から言われた。
でも、多くを望まなかった父が望んだ、数少ない望みだった。
『へらぶな用の竹竿持ってあの世に行きたい。』
父のこの希望に添えるようにすればよいのか、姉と二人で今頭を抱えている。
『一斗缶で燃やして炭にして、親父の骨壺にいれるか』
そんなことを姉と二人で考えている。
お父さん、長い間、本当におつかれさまでした。
拍手やコメントをくださったかた、ありがとうございました。
なかなか、コメントのお礼のお返事を書くことができなくて、申し訳ありません。
どうか、ご了承くださいますようお願いいたします。
(本当に、本当に、ずっと書けずにごめんなさいっ)
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