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ただ今、人生の仕切り直し中のケアマネ
プロフィール
HN:
かたつむり
性別:
女性
自己紹介:
心と身体を壊し、まだ人生の仕切り直し中のケアマネ。

保有資格:社会福祉士・介護福祉士・介護支援専門員。ついでに日商簿記2級・全商簿記1級
(Twitter@renrinoeda2)
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我が家の『負』の存在

ご無沙汰しています。

私の生息地はどうやら台風のピークは過ぎてくれたようす。

世間は休みですが、私はこれから33時間の更新研修に行ってきます。
研修は今月と来月にかけて受けます。
正直、父のがんの再発がわかった時、この研修を受けられるかどうかわかりませんでした。
父の病気の進行次第では、研修を受けるどころではなかったでしょう。

でも、父は、ありがたいことに、一応今まで通りの生活を送っています。大好きはへらぶな釣りにも行っています。
「釣りに行きたいから頑張ってる」そうクリニックに先生に言っていました。
がんの進行がみられたけれど、痛みがでる段階ではない説明をうけ、以前から診ていただいていた病院の先生に『心置きなく釣りに行って下さい』と言われた父。

再発当初は、5年前の執刀医から言われていた『再発したら1年です』と言う言葉があったので、来年の正月はないだろうと思っていました。
でも、そんな言葉を吹き飛ばすくらい、父は、傍目にはいつも通りの毎日を過ごしてます。

そのことに、感謝の言葉しかありません。


周囲の方々に、『かたつむりさんとご両親は仲がいいわね』と、よく言われます。
でも、正直、それだけはない、両親に対する『負の感情』は私も持っています。
働きながら大学を出て、就きたい仕事に就いたことで、自分なりに、『両親に対する負の感情』に折り合いをつけたつもりでしましたが・・・。
でも、自分でも気がつかなかったのですが、私の奥底でまだ渦巻いていたのです。

とうとう、私の『負の感情』が爆発してしまいました。
40年間抑えていたことが、一気に出てしまいました。
生まれて初めて、父と大喧嘩をしました。
『お姉ちゃんにはあんなに甘いのに、私にはどうしてこれほど厳しいのか』
このことを幾度と両親に言いましたが、全く自覚がない両親の頭にきて、ずっとこらえていた感情を両親にぶつけてしまいました。

私は、このままこの家にいたら、
自分で何も努力せず、全てを周囲の所為にしているくせに、周囲に依存して生きている姉の犠牲になる。
周囲に迷惑をかけても好き勝手に生きてきた姉に、巻き込まれるのはごめんだ。

そう思って、両親とケンカしつつ、話し合い、家を出ることにしました。

11年のうつ病の闘病を支えてくれたのは、間違いなく両親です。
少しでも症状が良くなると、『怠けていないで働け』と言うのがほとんどの親ですが、
父は逆に『無理をしないでもう少し養生しろ』と、焦る私を何度も止めてくれました。

でも、私は両親に褒めてもらった記憶はないのです。

『お前になど出来るわけがない』

この言葉しか、覚えていないのです。

その理由は『姉ができなことは、かたつむりにできるわけがない』と言う考えが両親が持っていたことは、子供の時からわかっていました。

それでも、我慢して、大人なってから『お前にはできない』と言われた、働きながら通信教育課程で大学を卒業すること、そして、介護の仕事をへてケアマネの仕事に就きました。
両親に『お前にできるはずがない』と言われた続けた介護の仕事に就き、そして今はケアマネの仕事に就いているのです。

ここまで来るのに、多くの幸運にめぐまれ、でも、同じくらいに多くのものを犠牲にしてきました。
 子どもの時は、我慢の日々でした。
経済的なことが理由であれば、納得できました。
日々の生活で精一杯なことは、子どもながらにわかっていました。

でも、幼少期から、10~20代の大事な時期に、何かを挑戦するというチャンスを全て両親に、私は潰されました。両親は、初めから私にはできないと決めてかかっていたのです。
だから、私は、子どもの頃の成功体験がありません。
それゆえに、基本的には自分に自信を持つことができません。
今の私の言動は、大人になって積み重ねて成功体験と、自分なりの『信念』『価値観』からのものです。


『お前になど、出来るはずがない』
私は、両親のこの言葉に、40年間束縛されて生きてきました。
それでも、両親のことは全部私がすることになりますし、現状そうなっています。
姉は、いうことは立派なことは言いますが、何一つ行動を起こすことができません。
両親を見る気などありません。

もう私は限界になってしまいました。


もう、家の犠牲になるのは嫌だ。
両親のことは最期までみる。
でも、姉の面倒まで見る気はないし、みたくない。

これからの、自分の人生を守りたい。

それには、この家を出るしかありませんでした。
父が元気な、今のうちに。
両親との2カ月もの大喧嘩と話し合いの末に、両親から『独立』の了解をもらいました。

小学生の頃からの悪友は、私が『家の束縛』から解放されることに、安堵してくれました。
我が家の事情は良くわかっている、腐れ縁の彼女です。

アパートの契約はすでに済んでいて、少しづつ準備を進めています。
両親も手伝ってくれます。

契約したアパートは、父のこれからを考えて、すぐに実家に駆け付けられる距離のところにあります。
実家へすぐに駆けつけられる場所ということを、物件をさがす上で最優先にしました。
家を出ても、父のキーパーソンは続けます。
アパートまで両親を連れてきたとき、立地環境をみて、両親は安心してくれました。


10月中には、生活の拠点をアパートに移しますが、週末は実家で過ごします。
父のこともありますし、
母方の叔母と亡き叔父から『お母さんと頼む』と言われ続けてきました。子どもの頃から世話になった二人との約束は守りたいと思ってます。
そして何より、『娘である以上、両親のことは最期まで看る』べきであると、私は思ってます。
娘である以上、両親の介護からは逃げてはいけない。
それが、娘の可能性を『認めてくれなかった』親であっても。
少なくと、虐待を受けたわけでない。
互いが求めるものは違ったけれど、両親は両親なりに、私を大切してくれていたのだから。
両親のその想いだけは、認めて受け入れたいのです。



『父がガンの再発をして治療ができない』というこの時期に、家を出る私を親不孝者と言う方もいるだろう。
でも、これが我が家の『家族歴』の結果なんです。
両親を憎むことになる前に、こうするしかなかったんです。
自分のこれからの人生を守るためにはこうするしかなかったのです。
このことを理解していただけない方は、きっと幸せな家族関係の中で生きてこられた、少数派の方なのだろうと思います。


どの家族も『負の部分』がある。


自分もそうだから、ケアマネとして、ご利用者様とそのご家族と向き合うときは、その向こうの家族の歴史や家族の負の感情を知る努力をしています。
それがわからなければ、その家族に合わせたケアプランが作れないからです。

自分もそうだから、
『家族の歴史』は重視して、ケアマネの仕事に取り組んでいますし、これからもそのスタンスはかわりません。



拍手やコメントをくださったかた、ありがとうございました。
なかなか、コメントのお礼のお返事を書くことができなくて、申し訳ありません。
どうか、ご了承くださいますようお願いいたします。
(本当に、本当に、ずっと書けずにごめんなさいっ)


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