ご無沙汰しています。
この2週間は首と全身の痛みがひどすぎて、辛すぎる毎日を送ってます。
ヘルニアが悪化したわけではなく、
家族の私の頸椎ヘルニアの無理解から
無理をして部屋の掃除をさせられた結果、
首と身体の痛みが増したのです。
そのことが原因で、両親とただいま大喧嘩中です。
(約2週間口をきいてません)
twitterで、『ある施設の入居者が誤嚥性肺炎が死亡したことで、施設を相手に遺族が訴訟を起こした』という記事をみた。
ご高齢のかたは、身体機能が低下していくことはどうしても避けられない。
施設や介護スタッフが必死に気を付けても、結果的に『避けられない事』として、このようなことは起きてしまう。
そのたびに訴訟をおされたら、介護の仕事は出来なくなる。
人間は生きている以上、『老い』は避けられない。
『老いていく』以上、命にかかわる危険は増えていく。
これを100%確実に回避するのは、どんなに努力しても不可能だ。
なぜ、家族はそれをわかってくれないのか・・・このような記事を見るたびにいつも思う。
そして、このようなことが取り上げられるたびに、私はいつも『自分の過去の出来事』を思い出す。
もう、10年以上たっているので、あえて、『過去の自分の出来事』を、ここで書かせていただく。
私が介護の仕事をはじめて、3年程たった頃のことだった。
当時働いていた施設で、ある男性が入居していた。
身体機能が急激に低下しており、嚥下力もかなり落ちていた。
夕食は毎日近所に住む家族が来てくださって、食事を介助してくださっていた。
あれほど、嚥下力が落ちて、常にむせ込んでいる身内の食事介助をすのは、家族としても恐かっただろうと思った。
それでも、毎日夕方に食事の介助に来る家族の姿に、その入居者様とご家族との強い絆を感じた。
常にむせ込みながらの食事介助は、当然危険を伴う。
だから、怖がって、その方の食事介助をしない(=逃げている)介護スタッフも多かった。
正直、私も恐かった。
でも、みんなして逃げていては、その方は食事ができなくなる。
なにより、介護を仕事としている者が、そのような理由で逃げるのは『みっともない』と、私は思った。
だから、私はその方の食事介助をした。
皆逃げているから、当然、私が介助をする機会が増えてしまった。
それでも、私はその方の食事介助を続けた。
ある日、とろみをつけた水分を介助で飲んでいただいていた時だった。
ご利用者様が突然苦しみだした。
気管に入ったことがすぐにわかった。
他の職員に状況を説明して、すぐに看護師に来てもらうように頼んだ。
しかし、看護師はなかなか来なかった。
後から知ったが、看護師に連絡をした職員が『誤嚥を起こして窒息している』という肝心はことを、看護師に伝えて居たかったのだ。
そのため、看護師は緊急性がわからず、結果的に来るのが遅くなったのだ。
当時は、まだ黙認されていた時代だったので、私が吸引器で、必死にのどに詰まったとろみの水分を取ろうした。
しかし、私の力では出来ない事はわかってはいた。
それでも、必死に吸引した。
そして、ご利用者様の動きがとまった。
その後に看護師たちが来た。
私が事情を説明すると、看護師がベッドに乗り心臓マッサージを開始して、他の職員が救急車要請をして、救急車が到着するまでにベッドごとご利用者様を1階までお連れした。
その時も看護師は心臓マッサージを行なったままだった。
救急車が来て搬送される時、私は当然自ら救急車に同乗した。看護師のひとりも同乗してくれた。
その時その看護師は、『この仕事をしている以上、こういうことはある』と言ってくれた。
その時は・・・。
ご利用者様は、結局搬送先の病院で死亡確認をされた。
そのあと私は、施設長と看護師とともに警察署へ行った。
『事情聴取』を受けるために。
私はかなり長い時間事情聴取を受けた。
警察のかたが、最初に言った。
「介護の仕事をしている以上、こういうことは必ずある。だから、貴方は悪くない。でも、あとから家族が何を言ってくるかわからない、そのために、事実を説明する必要がある。だから、事情聴取をしなけばいけない。辛いだろうが、話してほしい」と。
私は、気力で、ありのままを説明し、警察の質問に必死で答えた。
事情聴取が始まったのが午後の1時位だったと思うが、終わったのは夕方の4時をとっくに過ぎていた。
取り調べをした警察のかたが、私にもう一度言った。
『介護の仕事をしている以上、こういうことは避けて通れないことだ。どうか、今日のことを乗り越えて、これからも頑張ってほしい』と。
遺族の方から、責められることは全くなかった。
毎日夕方食事介助に来ていたから、誤嚥の危険性は、ご家族なりにわかってくださっていたのだと思いう。
だから、表向きは病気で亡なったことにしてくださっていた。
息子さんは、私に『どうか、ご自分を責めないでください』と何度もおっしゃってくださった。
本当に、ありがたかった。
だから、私は、逃げずに仕事を続けた。
しかし、職場の人達の私へ向ける言動が、残酷すぎた。
施設長をはじめ、ほとんどの同僚に、私を『人殺し』扱いされた。
副主任からこう言われた。
「あなたしたことは、『過失致死』だ」と。
数人の同僚から、何の説明もないとはどういうことだと責められたが、説明をする会議や報告の場を施設側で作る様子もなかったし、自分でセッティング余力などあるはずもなかった。
味方ががいない中で、仕事をすることだけで精いっぱいだった。
同僚たちから責められ続ける中で、仕事をすることで精いっぱいだった。
事故報告書を何度書いて出しても、『書き直し』と言われて返された。
その意図は、『私かたつむりの過失である』と書かせたいことは、最初からわかっていた。
でも、最後まで『自分の過失である』とは書かなかった。
自分が悪いところは、全くないとは思っていない。
でも、事故が起きた原因を、施設全体で考えもせずに、全てを私の責任に押し付けようとする、施設側の考えが許せなかったし、辛かった。
私を擁護してくれる人はほとんどいなかった。
一緒に救急車に乗ってくれた看護師さえも態度と変えて私を非難する側についた。
当時、うつ病を患っていた私は、完全に追い詰められたことで、病状が急激に悪化した。
父は『年寄りはいつか死ぬ。こういう死に方だって当然ありえる。そのことで、お前を責めるような施設など辞めてしまえ!』と、言ってくれた。
父のその言葉に背中を押されて、退職届を出した。
退職届は当然受理された。
そんな、打ちのめされた状態の中で、介護福祉士の試験を初めて受けた。
1次試験のときも、2次試験のときも、終わって家に着いたら、動けなくなって、両親の部屋の床で2時間以上寝たままになっていた。
満身創痍で受けた国家試験だった。
そんな最悪の状態で受けた試験だったが・・・合格した。
自分でも『奇跡』だと思った。
仕事を辞めてから、自分の部屋に籠ることが多くなった。
救急車の音を耳にするたびに、『あの時』のことを思い出して、耳を塞いで泣いていた。
暗い部屋で、膝を抱えて過ごすことも多かった。
何度もカッターの刃を見つめたこともあった。
そんななかで、私が唯一外に出ることができたのが、フルートのレッスンを受けるため音楽教室に行くときだった。
フルートを吹いているときだけ、現実から逃げられた。
また、悪友看護師が、電話でいつも私の話を聴いてくれた。
私の話を聴いてくれていた彼女は何度も言った。
『アンタの身に起きたことはの他人事でなはない、私もいつ、その立場になるかわからない』と。
本気で介護の仕事を辞めようと思った。
色々な事と引き換えにして、働きながら大学へ行き福祉学の勉強をして、介護業界に飛び込み、働きながら社会福祉士の国家試験に合格して、最悪の中で介護福祉士も試験も合格した。
でも、もう、この仕事は続けられない、あまりにも辛すぎる・・・と思った。
しかし、ある日、なぜか、こんなことを考えた。
『このまま、私が介護の仕事を辞めたら、亡くなったご利用者様はどう思うだろう・・・』と。
その方が結果的ではあるが、その命と引き換えに『私に教えてくれた事』があるような気がした。
このまま逃げては、亡くなったご利用者様に、顔向けできない。
あの事故にたいして、過失責任が問われることはなかった。
けれど、自分の介助中にひとりの方の命が消えたことは事実なのだ。
そのことに対して、刑事責任や民事の責任はなくても、その事実を重く受け止める責務は自分自身にはある。
皆が忘れても、私自身は一生忘れてはいけないことだ。
そして、あえて『これからも介護の仕事を続けること』が、『その方に対しての私が出来る唯一の償い』でもある。
そう思えた時に、『もう一度介護の仕事に戻ろう』と、迷わずに決心ができた。
前を向けるようになるまでに1年かかった。
その辛く哀しい経験と、苦悩の日々のことは、すぐに活かされることになった。
就職した施設での夜勤中のことだった。
私が休憩時間に入り、仮眠をとろうとしたときだった。
仮眠室のドアを同僚が強くたたいた。
『○○さんが、息をしていない!!』
同僚がそう叫んだ。
私が、その方の部屋へ行くと、第一発見者の同僚が心臓マッサージをしていた。
しかし、その後、どうしたらいいのか、同僚たちはわからず、みんな動揺していた。
だから、私が動いた。
第一発見者の同僚に言った。
『私が心臓マッサージをする!!だから、救急車要請をして施設長に連絡をして!!』
救急搬送要請をする際に、発見時の説明が必要だとおもい、第一発見者の同僚に指示した。
私は、心臓マッサージをしながら、同僚たちに指示を出しつづけた。
『救急車がきたらすぐに入れるように、施設の玄関を開けて待機していて!!』
『一人で大変だけど、ナースコールの対応はあなたひとりで対応して!!』
同僚が、それぞれ諸対応の為に部屋を出て行ったあと、私はひとりで心臓マッサージを続けた。
腕が折れそうに痛かった。
それでも、今日の夜勤のスタッフで心臓マッサージをしながら指示だしを出来るのが自分しかいなければ、やるしかなかった。
とにかく必死だった。
救急隊が到着して部屋に来た時に、第一発見者の同僚に再度指示だしした。
『発見時の状況を救急隊員に伝えて!』
他の同僚にも同時に指示を出した。
『利用者様の情報を救急隊の人に伝えて!』
私は、救急隊員に『このまま私が、心マ(=心臓マッサージ)をしたほうがいいですか?!』ときいたら、『お願いします!!』と、すぐに返答が来た。
私が心臓マッサージをすることで、救急隊員が他の対応ができるのなら、そのほうがいい。
そう思って、腕の痛みを堪えて必死に心臓マッサージを続けた。
電気ショックをかけるときだけ、救急隊員の指示通りに手を離し、再度指示に従い、心臓マッサージを続けた。
それは、ご利用者様がストレッチャーに移乗するまで続いた。
ご利用者様がストレッチャーに乗った時に時計をみたら、発見から30分以上経っていた。
両腕のあまりの痛みと重さで自分の腕ではないような気がした。
救急車に職員の同乗を求められた時に、私が、第一発見者の同僚に同乗するように促した。
『医師に発見時の説明が必要だから、貴方がいかなくてならない』と。
状況は違えど『あの時』の私と同じだった。
しかも、同僚は一人で救急車に同乗するのだ。
まだ若い彼女には残酷すぎることはわかっていた。
でも、彼女が行くしかなった。
私は、彼女に、『財布と自分の携帯電話を持って行ったほうがいい、タクシーで戻ってくことになるかもしれないし、誰かと連絡を取ることになった時に、携帯電話がないと困るから』
そう彼女に伝えて、同乗する彼女を送った。
搬送先の病院が決まり、救急車が病院へ向かったところで、急変をすでに伝えている家族電話して、搬送先の病院を伝えて、向かっていただいた。
同時に、施設長にも電話で伝えた。
施設に向かっている途中だった施設長は、そのまま病院へ向かった。
ご利用者様は病院で死亡が確認された。
心肺停止で発見されたが、病院で死亡確認をしていただけたことで、警察が介入するという最悪の事態だけは避けられた。
第一発見者の同僚は施設に戻ってから、ずっと泣いていた。
まだ、若い彼女には残酷な経験だったろう。
『あの時』の自分と重なった。
しかし、私の時とは全く違う。
彼女は、『「見まわり中に、息が止まっているご利用者様を発見』したのだ。
しかも、彼女は、『決められた時間に、きちんと各部屋を巡回していた』うえでのことだったのだ。
彼女には、『一点の非もない』のだ。
だから、私は彼女に言った。
『あなたは、夜勤中にちゃんと決められた時間に巡回をしていた。
だからこそ、あの時点で発見ができた。
もし、もう少し遅かったら、その場で救急隊員が『亡くなっているから救急搬送ができない』といわれて、変死扱いされて、警察が入れば、ご利用者様の遺体は警察に運ばれて検死されていた。
それは、ご本人にも、ご家族にも、とてもつらい事。
あなたが、きちんと仕事をしていたからこそ、救急搬送ができた。
あなたは、やるべきことはしっかりやっていた。
あなたは、何一つ悪くない。
辛いだろうけれど、高齢者を支援する仕事をしている以上、このようなことはどうしても避け
て通れない。
私も同じような経験がある。
だから、どうか、このことに負けないで、立ち直って、介護の仕事を続けてほしい』
しかし、彼女は、その後退職をした。
彼女には、時間がかかってもいいから、立ち直って、また、介護の仕事に戻ってきてほしいと、心から願った。
あの時のことが、今でも私の教訓となっている。
だからこそ、ケアマネとなった今、ひとりひとりのご利用者様の身の上に起こりうる可能性がある『事故』を予測して、少しでも回避できるよう努力している。
だからこそ、認知症のない判断力があるご利用者様で、無茶なことをするかたには、私は本気で怒る。
ご利用者様とそのご家族の生活をその身の安全を守るために、必要であれば、嫌われようとも、あえてご利用者様を怒る。
それでも、絶対に危険は完全には回避はできない。
だからこそ、リスク(=危険なこと)の話は、包み隠さずにご利用者様とご家族に話すことにしている。
ご利用者様とそのご家族はもちろん。
そして、現場で支援をしてださっているスタッフの方たちを守るために。
高齢者の支援に携わる人が、私のような辛い経験をしないで済むようにと願いながら・・・。
この私の文章を読んで非難するひともいるだろう。
だが、『ひとの命』を『ひとの人生』を背負って仕事をするということがどういうことか、本当に理解しているかたならば、安易な非難に言葉は言わないはずだ。
介護に携わる者がこのようなことと背中あわせで、ご利用者様と向き合って、懸命に仕事に取り組んでいることは、ご理解下さっているかたならば、非難の言葉はいわないと、私は確信している。
非難をしているひとは、『自分は安全な場所にいて、現実を知らずに安易に他人を非難している、無責任な人間』であると、私は思っている。
それでも、非難をするならば、自分で誤嚥と窒息などのリスクの高い高齢者の介護を半年、いや、ひと月24時間付ききりで、介護をしてから言ってほしい。
介護現場で頑張っている人たちが、どれだけ『多くの重いもの』を背負って仕事をしているか、わかれば、安易な非難は絶対にできない。
私はそう確信している。
拍手やコメントをくださったかた、
ありがとうございました。
なかなか、コメントのお礼のお返事を書くことができなくて、申し訳ありません。
どうか、ご了承くださいますようお願いいたします。
(本当に、本当に、ずっと書けずにごめんなさいっ)
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