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「お父さん、良くなるといいわね。」
私は、職場の会議で、父の検査結果と再発と思われる癌の発病、今後の検査と診察の予定を報告しました。
そして、父はもう、外科手術ができないこと、化学療法しかできないであろうことも伝えました。
その私の話を『聴いていた』同僚が発したのが、「お父さん、良くなるといいわね。」でした。
怒りでその場で、同僚を殴り倒したかったです。
私の説明を聴いていれば、ケアマネであれば、
父の『この先』のことはわかるはずです。
『良くなることは、まずない』と。
でも、同僚は、
前日に父の癌告知を一緒に聴いて、
必死の思いで仕事に来ている私にこの言葉を言ったのです。
思いやりのかけらもない、配慮のない浅はかな発言です。
「アンタに『ケアマネ』をやる資格はないっ!!」
そう罵倒してやりたかった。
でも、その言葉は、必死で飲みこんだ。
その代わり、PCメールにこんな非難の文章を書いた。
「お父さん、よくなるといいですね」
と、おっしゃった、その意図がわかりませんが、
この言葉は、今の私が『一番聴きなくない言葉』です。
父は、もう良くならないのです。
闘病生活を続けながら、でも、悪くなっていくだけす。
相変わらず、痛いです。
でも、どうにか仕事に行ってます。
訪問する利用者様やそのご家族に、
「かたつむりさん、身体大事にしてね。
貴方に倒れられたら、私達どうしたらいいか困ってしまうわよ」
その都度言われております。
『自分は、利用者様やそのご家族の
生活を人生を支える仕事をしているのだ。』
と、改めて実感しました。
利用者様やそのご家族不安を与えないように
しなければいけないと、痛感しました。
話は変わりますが、
私が担当させていただいている
あるおじいちゃまがいます。
家族構成は、
おじいちゃまご夫妻。
長男夫妻・小学生の孫娘ふたりです。
3世代が一緒に暮らしています。
この家の現在の大黒柱は
おばあちゃまです。
おじいちゃまが、身体が不自由。
長男妻は、家計を助けるために
ほぼ休みなく働いています。
そして、長男は重い病気で
いつ余命宣告を受けてもおかしくない状態です。
とても、厳しい状態で、
高齢のおばあちゃまが、
自分の旦那と息子を支えていました。
今日、モニタリングのアポイントを取ろうと電話をしたら、
奥さん(=おばあちゃま)が、
「今、息子の病院から帰ってきて、
息子があと数日と言われてるの。
一所懸命、命をつなぎとめてくれてるんだけど・・・
今は(モニタリングは)無理なのよ。」
とのこと。
一緒に病院に連れて言った孫娘が熱を出してしまって、
孫を連れて帰るため、
今日はあまり息子さんのそばにいてあげられなかったそうです。
きっと、お孫さんはショックを受けてしまったのだろうと思います。
モニタリングどころではないのは当然です。
だから、私は、息子さんのことを第一にしてください。
と、お伝えしました。
この状況では、モニタリングは今月は出来ないかな・・・と、思いました。
私も、それなりに経験はありますので、想像はつきます。
しかも、ご自分の息子の命があと数日と言われたのです。
今、懸命に闘っている息子さんには失礼な文章になりますが、
もし、息子さんが亡くなったとしたら、
親が簡単に立ち直れないと思います。
ケアマネの相手を出来るとは思えなかったのです。
私は、結婚していないので、
親の立場はわかりませんが、
子どもが自分より先に逝ってしまうのは
哀しくて辛いいう言葉では片づけられない、
まさに『地獄』だと思います。
大切な身内を亡くすことだけでも
とても哀しいのです。
自分の子どもを失うという哀しみは
私には想像もつかないことです。
ストレートな言い方をすれば、
『親が子ども骨を拾う』のです。
だから、管理者(=社長)に
状況を説明し、モニタリングができないかもしれないと
伝えました。
とても、出来る状況ではないと思ったのです。
そうしたら、管理者は、
「本人(=利用者)は、いるんでしょう、
月末でもいいから、短時間になっても構わないから
モニタリングに行ってきて。」
とのことでした。
返す言葉が出てきませんでした。
この状況がどういうことが、
この人はわかっているんだろうか・・・と、
管理者の思考が理解できませんでした。
泣き叫ぶほどの哀しみを抱えて
大切な身内を家族を彼岸に送ったことがあれば、
安易に、訪問できないことはわかるはずです。
母方の祖父母が亡くなった時もそうですが、
4年前に大好きな(母方の)叔父が亡くなった時は、
私は葬儀後もしばらくは泣いていました。
今でも、叔父の死は引きずっています。
叔父を見送ったときの、母の顔が今でも忘れられません。
火葬場で叔父の棺が納められて、扉を閉められた時、
母と叔母(母の妹)は、抱き合いながら泣いていました。
自分より若い弟の骨を拾わなければならなかった母。
叔父の話になると、今でも母は涙をながします。
だから、
ウチ管理者はそういう経験を
したことないんだな・・・と、思いました。
ケアマネとして、『人の死』を経験しても、
一個人として、
本当の意味で『身内の死』を経験していないのだろうと・・・。
ウチの管理者は3人の子どもの母親です。
正直言って、子どものいない私よりも
ご夫妻の気持ちがわかるはずなのに・・・と、あきれました。
モニタリングに行かなければ、
その利用者の分は請求できませんから、
事業所としては、それだけ収入は減ることはわかります。
でも、利用者様とその家族が
哀しみに打ちひしがれているときに、
提供票を持って訪問できますか?
私にはできません。
息子さんの回復をもちろん願っていますが、
何度か息子さんともお会いしてますし、
利用者様ご夫妻からも息子さんの病状は
モニタリングのたびに訊いていますので、
状況が厳しいことはわかります。
同じ病気で、大好きな叔父が亡くなっていますので・・・。
だから、もし、結果的にモニタリング行けなくて、
管理者が何か言って来たら、
「損した分は私の給料から引いてくれ!」
って、言うつもりです。
ウチの管理者は
「ご利用者様の気持ちに寄り添うことが大切」
と、よく言います。
でも、
どんなに立派なこと言っても
どんなに理想を掲げても、
行動を伴っていなけれな意味がないのです。
相手の立場や気持ちを考えようとしなけれな、
ただの支援者の自己満足です。
ケアマネの仕事は、
介護サービスの『ケアマネジメント』と、言ったりしますが、
でも、ご利用者様や家族の生活・抱えている問題
様々な喜びと悲しみも、出来る限り理解しようと努力を続けて、
それらも視野に入れて本人や家族を支援をしなければ、
『ただ、月に1回書類を持って印鑑をもらって帰る人』
になるだけです。
家に帰って、母にこの話をしました。
そのうえで、
もし、私や姉が先に逝ったら、どうするか、
葬儀後に、ケアマネの訪問に対応できるか・・・と。
母は、
「世の中にはいろんな考えの人がいる。
だぶん、あんたの会社の社長はそのことはわからないんだろう。
たとえ母親であったとしても。
きっと、お前のような考え方を持っている人間のほうが、
少ないのかもしれないね。
でも、お母さんは、マサ(叔父)の骨をみるのが辛かったよ・・・」
弟でさえもそうなのですから、子どもだったらもっと辛いはずです・・・。
相手の気持ちをすべて理解するのは不可能です。
例え、専門職であっても、ケアマネであっても。
自分は理解できていると思っている人は
自己満足でただのエゴです。
でも、私は『相手の立場に立って考える』という努力だけは
これからも続けていきたいです。
私は、ケアマネである前に
専門職である前に
支援者である前に
かたつむり個人として
利用者様やそのご家族に誠実でありたいと思っています。
拍手やコメントをくださったかた、
ありがとうございました。
コメントのお礼のお返事は
後日書かせていただきます。
ご了承くださいますようお願いいたします。