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ただ今、人生の仕切り直し中のケアマネ
プロフィール
HN:
かたつむり
性別:
女性
自己紹介:
心と身体を壊し、まだ人生の仕切り直し中のケアマネ。

保有資格:社会福祉士・介護福祉士・介護支援専門員。ついでに日商簿記2級・全商簿記1級
(Twitter@renrinoeda2)
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妻を守り抜いた夫~海老蔵さんの記者会見を観て~

この数か月、あまりにも忙しすぎて、身体が悲鳴をあげました。

今週の月曜日の朝、全身の痛みと激しい頭痛と、吐き気を催す胃部不快感に襲われました。
その日は午前中は訪問を日程を変更させていただき、午後から出勤しました。
本当は、休みたかったけど、午後はどうしても訪問しなければならないご利用者様がいましたので、無理やり出勤しました。
その後も、どこかで休みたかったのですが、予定変更ができない状況だったので、無理やり出勤して、やっと今日有給休暇をとりました。
午前中に、鍼灸接骨院へ行き、施術をしてもらいました。
当分は毎週土曜日に通院して、身体全身の異常な筋肉の凝りと痛みを時間をかけてとってもらいながら、体調を少しづつ戻していこうと思ってます。
 
こんな不調状態なので、固形物が食べられませんでした。
ウ○○ーイ○○リとスポーツドリンクで、栄養補充をしてました。
今、夕食でやっと、おじやを食べることができました。



整骨院からの帰りに、ネットで『小林麻央さん』の訃報を眼にしました。
しかし、公式発表は夫の市川海老蔵さんが午後の記者会見をするということのみでした。
海老蔵さんのブログを読めば、何が起きたは、解かりました。
在宅医療に切り替えた時点で『そういうことか』ということも、自分の職業柄、そして『がんの治療不可能』な父のキーパーソンをしている立場からも、麻央さんの状況はわかりました。

でも、公式な報告が出ていない前に、ひとの生死を安易に出すということに、とても怒りを感じました。

涙をながしながら、記者会見に臨んでいる、海老蔵さんの姿みていて、とてもつらかったです。


私は正直、以前は海老蔵さんには良いイメージは持っていませんでした。

でも、昨年麻央さんのがんとの闘病が、本人と家族が意としないまま、世間に公になった時に、記者会見を開き、現状を説明していた海老蔵さんから、『家族を守ろうとしている夫であり父親』というのを感じました。

あの記者会見で、麻央さんもご家族も、心の持ちようが変わっただろうと思います。

海老蔵さんの記者会見で、麻央さんは全力で病気と闘うことができる環境が整ったのだろうと、私は感じていました。

在宅医療に切り替えたことを知った時、『ターミナルなのだな』と、思いました。

私が、父の転院先を探しているときに、在宅医療をしっかりとできるクリニックを選んだのは、父が自宅で最期を過ごせる環境を整えるためだったのですから。

海老蔵さんの記者会見を観ていて思いました。
 
麻央さんは、最期の大切な時間を、二人のお子さんやご両親やお姉さんと、夫に守られながら、自宅で過ごすことができたことは、間違いなく『幸せ』だったと思います。

それでも、幼い二人のお子さんを残して逝かなければならない事は、悔しかっただろうし、心残りだっただろうと思います。
 
でも麻央さんの『想い』を、海老蔵さんはしっかりと受け止めていることは、記者会見の言葉からも良くわかりました。

きっと、夫婦で多くのことを話し合ってきたのだろうと思います。

『親の死に目にあうことができない』とまで言われている『歌舞伎役者の夫』を持ちながら、その夫が最期に間に合い、家族みんなに見守られて、彼岸に旅だった麻央さん。

34歳の若さでの逝かなければならない事は、とても哀しいことですが、でも、残された日々を夫や子供と自宅で最期まで過ごせたことは、幸せだったろうと思います。

苦しい息のなか、意識は最後まであった様子が、海老蔵さんの記者会見の内容で伺えました。

自分の全ての想いを込めて夫に伝えたのであろう『愛してる』という言葉。
その言葉を麻央さんが海老蔵さんに伝えることができたことは、麻央さんにとっても、海老蔵さんにとっても幸せだっただろうし、海老蔵さんもその言葉を受け取れたことで、哀しみのどん底にあっても、妻からこれ以上にない『もの』を受けとった事が、これからの支えになると思います。

海老蔵さんが、麻央さんのことを『自分を変えてくれた存在』と言っていた言葉。

それが海老蔵さんの、妻麻央さんへの想いを全てを込めた言葉だと思います。

妻を亡くした哀しみを抱えながら、でも、哀しみだけではない『何か』を海老蔵さんの中にはあると思います。
 


『おふくろと親父に対して、自分ができることは全てやった、後悔はない』
5年前に亡くなった母方の叔父が、30年前に祖父を送った後に、私に言った言葉です。
親を亡くした哀しみはあるけれど、全力で介護をしたからこそ言える『言葉』だと、私は当時高校生でしたが、そう思いました。
 


 
終末期の在宅医療は、様々な条件が整わないとできないことです。
一番必要なのは『家族の覚悟』だと、私は思っています。

自分が、ケアマネとしてターミナルの方を担当する力量をつける前に、父が癌を再発し、自分が父のキーパーソンをすることになった際に、『父を自宅で最期まで過ごせるようにしたい』と、すぐに決めました。
父はそれを望んでいたとしても、絶対に言葉にはしないことはわかっていました。
父は、家族とりわけ『母の負担』をとても気にしていました。
「お母さんが大変だから、俺は病院でいい」
そう父は何度も言っていました。
 『俺は病院でいい』という、父の言葉通りに受け取った母に、
「お父さんは、お母さんのことを心配して、自分は病院でいいと言ってるんだ!本当の希望は違うんだ!」
「お父さんを送った後で、あの時『こうしておけばよかった』と思っても遅いんだ!お母さんも後悔しないようにしないとダメなんだ!」
と、母に何度も言いました。
父に我慢を、母に後悔をさせたくない、その一心で。
私も、後悔はしたくないと思ったから。
だから、父に
「今回の病気(がんの再発)に関しては、お父さんは我慢しないで、遠慮しないで、何でも言ってほしい。本当にできないことだったら『お父さんごめん、それは出来ない』と正直にいうから」
と伝えて、ようやく父が、言いはじめてくれました。
「ギリギリまで自宅にいたい。お母さんが限界になったら、病院へ入れてくれ」と。
でも、私が仕事量を減らして介護することは、父は頑なに拒みました。
『お前にこれ以上の迷惑はかけたくない』と。
これは父親としての本音だと、私は思いました。
『私に対して、父に負い目は持ってほしくない』と、再発がわかった時点で、私は常にそのことを意識してましたので、その父の想いは受け入れることにしました。

近日中に両親は自分達の部屋を畳からフローリングに替えるそうです。
介護用ベッド入れることになっても大丈夫なように、父が『元気』でいる今のうちに床を直すことを、両親で話して決めたそうです。
母曰く『マサ(5年前に亡くなった母方の叔父)が遺してくれたお金(=母が相続で受け取った叔父のお金)は、もうこれで無いわ』とのこと。
大切にしていた姉とその亭主の為に使ってくれたら、亡き叔父も『本望』だろうと思ってます。

そんな、我が家の状況から、麻央さんの闘病は他人事ではありませんでした。
 


『最期の時間を自宅で家族と過ごす』というかたちで過ごせたのは、ある意味では終末期の方にとっては最高の過ごし方でもあります。
 


妻の闘病を支えて、残された日々を妻と子どもたちが共に過ごせるように環境を整えたこと、そして妻を守り抜くことを、『夫』として『父』としてやり切った、海老蔵さんは、見事だと思いました。


これから、妻の想いを胸に、妻が残してくれたふたりの子どもという宝物を慈しみながら、海老蔵さんは生きていくのだろうと思います。

ふたりの子どもと、麻央さんの最期の言葉が、これからの海老蔵さんの支えとなるのだと思います。
 

そして、最期まで病魔と闘い通した麻央さんのご冥福をお祈り申し上げます。

合掌



拍手やコメントをくださったかた、
ありがとうございました。
なかなか、コメントのお礼のお返事を書くことができなくて、申し訳ありません。
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(本当に、本当に、ずっと書けずにごめんなさいっ)


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羽生結弦選手

この週末も仕事をするつもりでしたが、
フィギアスケート世界選手権の男子フリーで興奮しすぎて、仕事が手につきませんでした。

羽生選手のあの『演技』を、リアルタイムで観てしまったから。


私は、昔からフィギアスケートのファンでした。

それを、しっかり意識したのは『伊藤みどり選手』のあの『トリプルアクセル』からです。
今女子選手でも、トリプルアクセルを飛ぶ選手が出てきましたが、彼女ほど飛躍の高いトリプルアクセルジャンプを飛べる女子選手はいません、あのジャンプは男子並みでした。

ミッシェルクワンも好きでしたし、男子ではキャンデロロも好きでした。
佐藤優香選手のステップも素敵でした。

ここ近年は、日本の選手のレベルも上がり、とても面白くなってきました。私には高橋大輔さんのあの表現力と特に『色気』がたまりませんでした。

でも、それ以上に、私をフィギアスケートにどっぷりはめたのが『羽生結弦選手』でした。

彼が注目されはじめたころは、私はうつ病が一番ひどい時期で、フィギアスケートの試合を観ている余裕がありませんでした。

始めて羽生選手の演技をしっかりと見たのは、2012年の全日本選手権で初優勝したときのエキシビションでした。
曲は指田文也さんの『花になれ』でした。
日本語の曲とは珍しいと思ったし、生演奏だったので、ちよっとびっくりしました。
 
歌詞にあわせたしっとりとした演技におもわず引き込まれていました。

絶望のどん底にいた私は、あの歌詞と羽生選手の演技に心を打たれたのです。

その演技で、完全に彼のファンになりました。

東日本大震災で、仙台で暮らしている将来を有望されているフィギアスケート選手が、練習もままらなない環境で頑張っていると何かで聴いたことがありましたが、それが羽生選手だと知ったのは後のことでした。


一般的には彼は『ジャンプ』に注目されています。
もちろん彼のジャンプは芸術的で美しいと思います。
中でも特に美しいトリプルアクセルは彼の『代名詞』。

 
でも、私は彼の『スピン』と『ステップ』のほうが好きです。


彼のスピンは『軸』が全くずれないのです。
遠心力で軸足がずれてしまう選手が多いのですが、彼は全くずれません。
ずれているときは、体調が万全でない時だと私は勝手に思ってますが、スピンの軸が大きくずれているのを観たことがありません。
しかも、やっているスピンがまた高難度。
更にスピンをしながら、難しい腕の動きもつけて表現をしているです。
 
また、『ステップ』ですが、彼は何気に足の動きで難しいことをやってるんです。そして、そのまま自然にジャンプを飛んでしまうんです、軽々と。
 
他の選手と比較するとわかると思いますが、彼は常に身体を動かしています。身体の動かし方が、他の選手よりも、細かいです。

演技中に休むところが無いのです。

彼は、シニアに上がってしばらくは『スタミナ不足』が課題と言われ続けていたのですが、それもしっかり克服したということです。

だから、転倒しても、4回転ジャンプが1回位パンク(2回転などになる)しても、点数が高いんです。

彼は演技のプログラムでは、いつも自身の極限以上の構成で挑んでます。
それは、大きなリスクを伴います。
それでも、彼は、常に『上の更に上』を目指します。
彼には『限界』という言葉がないのではないか、と、思うくらいです。

それくらい、自分に対して、厳しく向き合っている青年です。


彼は、決して健康な身体ではありません。
喘息を持っているので、健康管理が大変です。
お母さんが一緒にカナダで暮らしているのはそのためだと思います。
母親と暮らしていることに批判的は発言もあるようですが、
持病があれば、独りで暮らしていては、健康管理までは、さすがにできないでしょう。
当然の何らかのサポートが必要であり、幼いころから彼をみてきた母親がそばにいるのが一番の選択だと思います。


それでもカナダに渡ったのも、フェルナンデスとともに練習することで、世界のレベルを常に意識できる環境に身を置きたかったからだと思います。
4回転ジャンプに磨きをかけるために。


彼は、大学生でもあります。
早稲田大学通信教育課程の4年生。
普通は4年で卒業が当たり前・・と、思っている方も多いと思いますが、
通信教育課程は、大半の学生が挫折します。
私も大学は通信教育課程で2年留年して卒業してますが、卒業できない人のほうが圧倒的に多いです。
それは、授業を受けて試験を受けて単位をとれる通学生とは、全く違うシステムだからです。
自分を律して、勉強のスケジュールを自分で考えて組み立て、常に勉強の時間をつくらないと、どんどん遅れていきます。
普段は独りで勉強です。
意志を強く持たないと、卒業までたどり着けないのです。
ネットで彼が卒業できたのか??などど書いている人もいますが、4年で卒業できたとしたら、『お見事!!』と、称賛したいくらいです。

文武両道でフィギアスケート以外の勉学もしっかりをやっているということは凄いと思います。


何事も自分に厳しい彼は、自身の演技に満足することなく、いつもその上をみています。

課題が見つかると、それを克服するために全力でぶつかっていく。

その貪欲なまでの『あくなき向上心』には、いつも感服してます。

彼の、フィギアスケートへの愛情と熱意、そして、常に自分の限界のその上を目指す、その姿に、自分よりもはるかに若いけれど、学ぶことが沢山あります。


彼が、ほぼベストな状態で、世界選手権に出場したのは、ソチオリンピック後の2014年の優勝した時以来だと思います。
2012・2013は脚を痛めていました。
2015は手術を受けた後で練習がほとんどできませんでした。
2016も脚を痛めており、その後靭帯を痛めていたことがわかり、長期療養してました。
それでも2013年以外は全てメダルをとっています。(2013年も4位くらいだったと思います)
これは、彼の精神力の強さを物語っています。
しかも、彼はけがを体調不良を言い訳にしない。
そこもすごいと思ってます。

そんな彼が、絶対にノーミスすると望んだ昨日のフリーの演技。

本当に美しかったと思います。

ジャンプだけでなく、演技全体が見事でした。

彼以外には誰にもできないであろう、超高難度のプログラム構成。

それをあえて自分に課して立ち向かう強さ。

現状に満足せず、常に上を目指す、『アスリート』であり『芸術家』。

まだ22歳の若者ですが、『人』として、とても魅力のある青年だと思ってます。


そんな彼が、来年のオリンピックシーズンをどう戦うのか、今から楽しみにしています。

まだ、興奮がさめませんが、私も彼を見習って頑張りたいと思います。




拍手やコメントをくださったかた、
ありがとうございました。
コメントのお礼のお返事は 後日書かせていただきます。
ご了承くださいますようお願いいたします。
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