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ただ今、人生の仕切り直し中のケアマネ
プロフィール
HN:
かたつむり
性別:
女性
自己紹介:
心と身体を壊し、まだ人生の仕切り直し中のケアマネ。

保有資格:社会福祉士・介護福祉士・介護支援専門員。ついでに日商簿記2級・全商簿記1級
(Twitter@renrinoeda2)
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新たな目標

昨日は、仕事の後に、研修に参加しました。
研修の内容は、『末期がん患者の見取りの支援』でした。

訪問診療をしている医師が講義をしてくれました。


講義の内容はとてもわかりやすく、
まだ、ターミナルのかたを担当したことがない私にとっては
とても内容の濃い講義でした。


しかし、講義を聴いている途中で、
4年半前にガンで亡くなった,
大好きな叔父のことを思い出しました。
家に戻りたいといっても、まだ動けるときの2週間しか過ごせず、
気丈な人が、病院のベッドでがんの痛みで苦しみの声をあげ、
モルヒネの投与が増えたら、
意識がもうろうとして会話をすることがでなくなり、
最後はせん妄がひどくなりながらも、痛みを訴えて、
私は、叔父に話を合わせながら、
痛がる身体をさすることしかできませんでした。


もし、あの時に、この講義の内容を知っていたら、
いえ、ケアマネージャーをしている今の私だったら、
自宅では無理でも、私達家族の家で引き取って、
母と私で介護をしながら、苦しませずに
『生まれ育った町で最後を過ごすことができたはず』
そう、思いました。


そう思ったら、悔しくて悲しくて、
自分の思いを感情を抑えることができませんでした。

研修が終わった後、直帰する予定でしたが、
このままでは、両親と平常心で話すことができないと思い、
いったん事務所に戻り(開催場所が事務所の近くだったので)
社長がいましたけれど、
気にせずに、声をあげて泣きました。


あの時に、今の知識を持っていれば、
叔父に対してもっと違うことができたのに・・・。

そう思ったら、とても悔しくて悲しかったです。



自分の感情を涙で吐き出して、
冷静を取り戻した時に、
『末期がんのかたの、在宅生活の支援ができる
 ケアマネージャーになりたい』
そう思いました。
とても難しい支援です。
今の私には、力不足で、今すぐに担当できる力量はありません。
でも、経験を積んで、
末期がんのかたが自宅で最期を過ごせるように支援をしたい、
叔父のような最後になるような人を少しでも減らしたい。
そう思いました。



幼い私の手を引いて、
色々なところに連れて行ってくれた
厳しくて優しい叔父。

当たり前のように両親(祖父母)の介護をしていた叔父。

結婚適齢期に親の介護をしてたためか、
最高の男性だったのに、生涯独身だった叔父。


私が、ケアマネとしての原点に立ち戻るとき、
いつもそこには、叔父がいるのです。


叔父の存在が、ケアマネとしての私の指針なののです。



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手の感覚がおかしいままです(><)

頸椎ヘルニアのおかげで、
ずっと仕事に支障が出っぱなしです。
訪問と担当者会議はどうにかやってますが、
事務仕事が全く進まない状態が続いました。

痛みが少し落ち着き、
睡眠もとれるようになってきたので、
事務仕事の追い上げをしよかと思って、
仕事を持ち帰ったのですが、
結局やらずじまいでした。
でも、来月のスケジュールを
たてることだけはできました。


で、何をしていたかといいますと、
『オタク』をしてました。
[文字書きと、落書きをしてました。


ちなみに、こんなの描いてました。

 

こんな落書きで、
このふたりが、誰か分かったあなたはすごいです!


下手でも、描いていると、楽しいもんです(^^)

ヘルニアで楽器が吹けないので、
なおさら、オタク妄想に走ります。


落書きをしていて改めて感じたのですが、
右手の人差し指を中指の
痺れと鈍った感覚が戻らないので、
落書きをしていて
線が上手く描けないのです。
色は、書いた線画をスキャナーでPCにいれて、
ソフトを使って色を塗っていくんですが、
やっぱり色が上手くぬれません。


仕事でもそうですが、
できないことはないのですが、
キーボードの打ち間違いが多く、
文字も下記にくく、いつにもまして汚い字になってます。
こうして、打っていても、とてもミスが多いです。
 
 
この、指のしびれが戻るのか、とても心配です。
大きな不便はないのですが、
感覚が鈍いため、細かいことがやりにくいです。
効き手だけに、余計に参ってます。


身体はだいぶ動くようになりましたが、
いつものペースに戻すと、
疲れたり、身体が痛くなって困ってます。
今、右脚も痛いのです。
元々、右脚の股関節が悪いので
それからきているだとは思いますが、
『首』からきていたら、
やだな~って、思ってます。


早く、フル稼働で仕事ができるようなって、
楽器も吹けるくらいに回復してほしいものです。



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どうらや『健康運』は無いようです。

今日は病院に行くために、早退しました。

実は、『頸椎ヘルニア』になってしまいました。


先々週の金曜日、朝起きたら、右肩・肩甲骨から右手の指先まで
激痛が走りました。

仕事をしているうちに、指先が痺れてきました。

翌日の土曜日は用事があって病院へ行けませんでした。

そうしたら、日曜日に痛みが増しました。

月曜日の朝は、動けないくらい痛くて、

午前中の訪問予定先の方に
事情を説明して日程を変更してもらい、
いつも行っている整形外科へ行ったら、
レントゲンをとって、私の症状から
先生からの宣告。
 
「頸椎のヘルニアだね」

「1週間は首を安静にしてね。」

「痛みが引かない時は、提携病院で
 MRIとCTを撮るからね。」
 
 
と言われました。

かといっても、仕事の移動は『自転車』
13件の担当者会議が構えている状態だったので
安静にしてられる状態ではありませんでした。


痛みは、今はロキソニンを常用して自制内で
どうにかなるところまで落ち着いてきましたが、
首をあまり動かせないので
お風呂にもろくに入ることができません。
夏なのに。汗いっぱいかいているのに。
指先もまだ痺れており、
書いたりPCを打つのに、感覚が鈍いので
事務作業も時間がかかっています。
爪を切ろうと思ったら、
肉まで切りそうになったくらい
指の感覚が鈍ってます。
痛みで仰臥位・右側臥位がとれず、
ジンベイザメの大きなぬいぐるみを体交枕代わりにして
左側臥位のみで寝ていますので、
同じ姿勢で長時間寝ると、左側まで痛くなるので、
このところ、毎日3~4時間しか寝てません。


仕事にも・もちろん生活にも支障が出ています。

楽器を吹くことができません。


どこまで、落ち着いてくれるのか
わかりませんが、
フルートとサックスが吹けるまで戻ってほしいです。

11年苦しんだうつ病から解放されて
やっと、就きたかった仕事に就いたのに
今度は『頸椎ヘルニア』・・・。


もともと丈夫ではない身体でしたが、
 私は、健康運がどうやらないらしい・・・。


とりあえず、普通に寝れるようになりたいです(TT)



拍手やコメントをくださったかた、
ありがとうございました。
コメントへのお礼のお返事は後日改めて
書かせていただきます。
ご了承くださいませ。


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父、入院。その2(また、かなり長いです)

今日は、音楽教室のレッスンをキャンセルして
母とともに、父のところへ行った。


父の入院している病院は近所で
自転車で10分程でいけるので、助かっている。


昨日まで検査が続いていたようだが、
その後は、出血はみられていない。
止血剤等の点滴の本数も減り、
お粥と軟菜で食事をしている。
診断結果はまだ聴いていないが、
取り急ぎの何かはなさそうだ。


ただ、困ったことが起きている。


父の『超わがまま』である。

看護士さんたちには直接は迷惑なことはしていないが、
困ったことを言い出している。


先日の金曜日、服薬が出来ない状態だった父は
蕁麻疹が出ていた。
元々、蕁麻疹を抑える薬を飲んでいたのが、
絶食中で薬も飲めなかったので、
ある意味蕁麻疹が出るのは当然である。
病院側も、軟膏を処方し、
その日の夜から食事がとれるようになったことに合わせて
蕁麻疹を抑える薬は、夕食分から出してくれていた。
父に、
「塗り薬も出ているし、
 何より、蕁麻疹の薬が夜から飲めるようになるから
 それでおさまると思うから、
 辛いだろうけど、もう少し我慢するしかないよ」
と、言ってきた。
そのとき、父が
「キン○ンをぬりたいよ」
とぼやいた。


その夜、自宅の電話に父から電話がかかってきた。
父は、母に対して
「すぐに『キン○ン』を、持ってこい!」
と言ったらしい。
母が、看護師さんに訊いたのかと言っても、
「いいから、早く持ってこい!!」
と、更に言ったそうだ。
母の声で、なんか父がワガママを言っているのがわかったので、
その場で、予告なしに私が電話をかわった。
 か「おとーさん、かたつむりだけど、どうしたの?」
 父「キンカン持ってきてほしいんだ」
 か「看護師さんに訊いた?『キン○ン』だって薬なんだから、
   ちゃんと看護師さんに相談しないとダメだよ」
 父「わかった」
というなり、電話をきりやがった。
そのあとまもなく、また自宅に電話がかかってきた。父である。
たぶん、父だろうと思って、私がでた。
 父「かたつむりか、看護師さんに訊いたら、ダメだって」
 か「そうでしょう、塗り薬だって出るし、
   夜から蕁麻疹の薬を飲み始めたんだから、ちゃんとおさまるから。
   勝手に、自宅から薬を持って行って使って、
   病院で出している薬との相性が悪くて症状がひどくなったら、
   看護師さんに迷惑かけるんだからね。」
 父「わかった」
と、子どもに説明しているような会話をした。
電話を切って、母の顔をみると困ったような顔をしていた。
ちなみに、翌日には蕁麻疹はひいたとこと。
人騒がせな親父である。


ところが、これだけでは終わらなかった。


今日、母と病院に行ったら、父が、持ってきてほしいものがあるという。
何か訊くと、かかりつけ医から処方された薬とのこと。
か「おとーさん、なんで家にある薬が必要なの?!」
父「まだ、胃の薬がでてないんだよ」
か「だから、今は必要ないからでてないんだよ」
父「血液の薬(=血栓予防の薬)がいつもと違うのが出たんだよ!
  でも、胃の薬が出ないんだよ!」
か「だから、勝手に自分で判断して薬は飲んじゃダメなの!!」
父「飲まないよ、置いておくだけだよ!!」
病室でほかの患者さんもいるというのに、
もはや親子喧嘩状態である。
母は唖然としていた。
周りに迷惑をかけているの重々承知してるが、
このままにしておくわけにはいかなかった。
か「いつもの先生から出してもらっている薬をおいて置いたら、
  病院で出す薬と混乱するでしょう!!
  おとーさんの胃薬は、
  血液の薬と蕁麻疹の薬で胃が荒れないようにするために出てるの!!」
父「だから、蕁麻疹の薬が出てるんだよ!!」
か「なに、今、胃の調子が悪いの!?!」
父「いや、今は大丈夫だ」
か「じゃ、いらないでょう!!」
父「・・・」
か「先生がおとーさんの身体の状態を考えながら、
  薬を調整してるの!! 
  出血を止めるのに止血剤の点滴してるのに
  いつものバイアスピリン出したらまた血が出るでしょーが!!!」
父「・・・」
か「前に私が入院した時に、薬を持って行ったのは、
  精神科の薬(抗うつ剤・精神安定剤等)だから、
  普通の病院では、手配できないからなの!!!
  おとーさんの薬は、どこの病院でも置いてある薬だから
  持ってこなくても大丈夫だから!!!
  先生が様子をみて、薬を出してるんだから
  勝手なことしないで!! 
  そんなことして、勝手に薬飲んで具合悪くなったら、
  看護師さんたちに迷惑かけるんだからね!!!!!」
父「・・・」
こんな親子のやり取りを聴いていたであろう、
バイタル測定中の看護師さんが
「娘さんの言う通りですから、薬はこちらで出せますから大丈夫です。
 胃のほうが心配であれば、先生に言って出すようにしますし、
 バイアスピリンは強い薬なので、今はまだ使えないんです」
と、説明をしてくれた。

そんなわけで、私から何度も看護師さんに謝った。

そんな状況をみていた母が、
「私一人でお父さんのところにきて、
 あんなこと言われたら判断つかないし、
 お父さんは、私の言うこと聞いてくれないから・・・
 どうしよう・・・」
と、不安な顔をして、不安いっぱいの声で言った。


家に帰って、自分の部屋で頭を抱えた。


父は、超ワガママで超頑固である。
典型的な亭主関白なので、母の助言は基本的に聴かない。
それどころか、母が反論すると、怒り出す。
母が手に負えないのは目に見えていた。
単なるわがままであれは、放置しておいていいんだが、
今回2度のような薬に関するワガママは、
未然に止めないと病院側に迷惑をかける。
勝手に飲んで、具合が悪くなろうが、命にかかわろうが
それは、父の自業自得である。
しかし、病院側に迷惑がかかり、
ましてや、看護師さんたちが責任を問われかねない。
このままにしておくわけにはいかなかった。


母は、何を『持っていてはいけないのか』判断がつかないため、
母がわかりやすいように紙に書いた。


  お母さんへ

  日用品以外もの、つまり
  『飲み薬・塗り薬・シップ・食べ物・飲み物』を
  お父さんが持って来いって言ったら、
  看護師さんに相談して!
  それでもだめなら、かたつむりに連絡ちょうだい!
  
                    かたつむり

これを母に渡し、
 「薬と食べ物は、基本は病院に持ち込んではダメだから
  おとーさんが今日みたいなことを言ったら
  看護師さんに相談して。
  必要なら私がおとーさんにまた言うから。
  この紙おとーさんに見せてもいいから。」
と、改めて説明した。


そのうえで、もう一度病院へ行き、
父にばれないようにして、病棟の看護師さんに会ってきた。
 ○父は、午前中のようなわがままを、先日も電話で言ってきた。
 ○今日も先日の時も私が父にきつくいったから、どうにかなったけれど、
  父は母の言うことを聴かないし、『超わがまま』である。
 ○母も、持ってきてはいけないものが判断できない。
 ○その為、母には飲み薬・軟膏類・湿布薬・飲食物は
  持ってきてはいけないことを説明したうえで
  父がわがままを言い出したら、
  看護師さんに相談するように、
  また必要なら私から父にいうから連絡してと、母に話し、
  そのことを紙に書いて渡した。
そのことを看護師さんに伝えたうえで、
「私も仕事をしているので、いつもは母が一人来るので
 母が一人で来たときに、父がまたわがままを言うかもしれないで、
 母には、その時は看護師さんに相談するように言いました。
 自分で勝手に飲んで具合が悪くなるのは
 自業自得だからいいんですが、
 看護師さんたちに迷惑をかけてしまうことになるので、
 申し訳ありませんがおねがいできますか?」
と、頭をさげてお願いした。
看護師さんは、
「わかりましたいいですよ。
 かえって気を使ってもらって申し訳ないです。」
と、笑顔で了解してくださった。
「看護師さんから言いづらく、家族から言ったほうがいい場合は、
 私に連絡をしていただけれは、また父に説教しますので。」
と、私の仕事の名刺の裏に、いつも持ち歩いている
二つの携帯電話の番号を書いて渡した。
病院側にはすでに、連絡先の一つとして
私の携帯電話が記載されていたが、
父のことに関しては、
姉ではなく、自分が対応することも伝えてきた。


病院から戻ってきたら、どっと疲れて寝てしまった。


今日も仕事を持ち帰っていたが、ほとんどできていない。


父の病状ではなく、父の『わがまま』で
こんなに振り回されるとは思わなかった。


父親にこんなに説教する日が来るとは思わなかった。
父も老いたんだな・・・と、現実を突きつけられたような気がした。


とにかく、『看護師さんに迷惑をかけないでくれ、おとーさん!』
と、胃が痛くなるような毎日です。あうう・・・(涙)


拍手をくださったかた
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父、入院。(かなりの長文です)

先日の水曜日、父が入院しました。


朝起きたら、母から言われた。
「お父さん、昨日から調子か悪いのよ」

父が起きてきたので訊くと
「昨日の夜から『血便』が続いている。腹も痛い」
とのこと。
少量づつ排便が続いているようで、
父に了解をとって、便の状態をみたら、
便に鮮血に近い血がついていた、しかも粘液もあった。
介護職の経験から
「『痔』じゃないから、朝一番でとりあえず、
 かかりつけの先生(診療所)のところへ行ってよ、
 そこから、別の病院へ行くように言われると思うから、 
 その時に連絡ちょうだい。仕事の都合をつけて立ち会うから」
と、くりかえ父に言いました。
本当はかかりつけ医の受診から、付き添いたかったが、
朝10時に認定調査があり、これだけは、日程がずらせなかった。
午後のモニタリング3件は、事情を説明すればわかってくださる方なので
日程変更をお願いするつもりでいた。
私の利用者とその家族の大半は、
具合の悪い親より、仕事を優先したら
私にたいして激怒して説教するタイプである。

 
 
我が家の大黒柱も、歳には勝てず、認知症は全くないが
耳も遠くなり、判断力や理解力が低下している。
今年の夏で82歳だからしょうがない。
だから、入院時の医師の説明などの立ち合いなど
父には難しいと思われることはことは、
娘である私が対応するのが当たり前と思っている。
それでも、60歳と77歳の時にがんの手術を経験しているが、
歳の割には元気過ぎて、大きな荷物を積んで
電動付自転車で釣り堀に行っている。
釣り仲間からは『妖怪』とまで言われている、爺さんである。
親が元気であることは、娘としてありがたいと思っている。


父からの電話を待っていたが、連絡が来ず、
しびれを切らして、私から連絡をしたら、
病院を紹介されたので、今からいくとのこと。
私が病院に付き添うというと、
「検査だけだから、お前は今日は来なくていい、
 仕事が忙しいだろうから、無理するな」
とのこと。
基本が、元職人の超頑固ジジイなので、
とりあえず父の言うことを聴くことにした。


ところが、午後になって、
「お父さん、入院することになったから」
と、電話があった。
先生からどんな話があったのか訊くと、
「『小腸』に傷があるんだと、Sなんとかっていってなぁ~以下略」
と、全然わかっていない状態だった。
S状結腸?それは大腸だし、
簡単に小腸の傷見つけられないし、
見つけられるほどの出血する傷があったら
すでに死んでるよ、親父・・・と、心の中で思った。


ちなみに77歳の時のがんの発症時は、
私がキーパーソンになって、
職場に事情を説明し、シフト調整をしていただいて、
毎週の検査と受診と、入院後医師の説明にすべて立会い、
手術も当然立ち会い、術後の説明も聴いて・・
そのつど 話が理解できない両親に、毎回説明したという
経緯があります。
3か月間自分の休みを父の受診等の全部当てたので、
当時は自分もうつ病の症状がきつかったので、
手術が無事に終わって、安堵したのか
術後に父の状態が安定すると、今度は私が寝込みました。
 
 
母が父に付き添っていましたが、残念ながら母は
難しい事を言われると、思いっきり混乱するタイプなので、
こういう時には、母は全く役に立ちません。
なにせ、父が胃がんで手術をした約1年後に
腹痛と発熱が続き、父が一人でかかりつけ医に受診したら
かかりつけ医の紹介で
近所の入院設備のある病院へ行くことになったことを
父が電話に母に伝えたら、
母は『がんが再発した!』と思いこんで
しかも気が動転して、向かいの家に駆け込んだという
とんでもない事をやらかした経験がある。
ちなみに、その時の原因は、盲腸でした。
ただ、我慢しすぎたのと、
家族が楽観視していたので
腹膜炎の一歩手前で、全身麻酔で手術となった。
そのときは、私はまだ、経理事務の仕事をしていて、
今のように、医療に関しての情報をもっていなかったので、
まったくわかっていなかったのですが
さすがに、楽観視していたことを反省しました。
ちなみに、手術の翌日に母が飛び込んだ家には
私が謝りに行きました。


と、こんなわけで、両親二人ではあぶなっかしいので、
翌日の23日に、父の了解も取らず、病院へ電話をした。
病棟の看護師さんにつないでいただき、
現状を伺うと、父の話と全く違っていた。
そのことを伝えると、看護師さんも
リアクション困ったように笑っていた。
看護師さんに、
父は認知症がないが、年齢的な理解力の低下がある為、
医師から説明等には、私が同席する旨を伝え、
検査結果が出て医師の説明を受ける日程を
看護師さんと勝手に決めた。
その日の夜に、母と姉に報告した。


ちなみに、姉は、両親との関係があまり良好ではない。
姉も私も、両親から『女はこうあるべき』とか
希望の進路に対しても『ウチは経済的に進学は無理』とか
『お前出来るわけがない』と言われて
自分の『思い』を押さえつけられて育った経緯がある。
私は、30歳手前で、一念発起して
働きながら通信制の大学へ進学し、介護業界に飛び込み
今日に至り、やりたかった分野の仕事に就けたことで、
両親に対する、負の感情に折り合いをつけることができたが、
姉は、自分で自分の『夢・希望』を切り開くための行動を起こさず、
そのくせ過去の両親の言動を引きずっているため、
口ではいろいろ言っても、親の為に行動を起こす気持ちはない。
だから、姉は最初からあてにしていない。
そんな経緯から、仕事では、家族関係はとても重要視している。
 
 
と、いうわけで、両親のことは、
私が一人で動くしかないのです。


仕事を調整して、明日の土曜日を出勤することにし、
今日は仕事を休み、入院手続きをしてきた。
両親の書類をかくのも全部私の担当です。
だから、仕事で高齢者世帯や独居の方が
全部自分で介護保険の契約等とやっている姿をみると
いつもすごいな~と、思ってしまう。
ウチの両親には『絶対に無理』とあきらめている。


病室で、父に思いっきり『説教』をした。
電話で父から説明を聴いた時点で
『親父わかってない』とすぐにわかったことをつたえ、
看護師さんに連絡をとり、説明を受けたら
父の話がやっぱりまったく違っていたこと、
看護師さんに、今後医師の説明等は
全て私が同席することを伝え、
勝手に医師からの説明日を決めたことを伝えたうえで、
「おとーさん!、どんなに先生がわかりやすい言葉で説明しても、どうやっても専門的な言葉がでしか説明できないものもあるから、おとーさんが、病気の説明がわからないのは当たり前!!それは、決して恥ずかしい事じゃない!間違って解釈したり、わからないことをあいまいにすると、あとで困るし、わからないまま同意書書いてどうーすんの!私が仕事で大変だろうと気を使ってくれるのはありがたいけど、話がごちゃごちゃなってから、『今すぐ来てほしい』と言われるほうが、困るんだよ!だから、先生の説明の時とか必ず来るから言ってよ!遠慮しなくていいからさっ!」
と、言った。
父、「わかった」と一言。


病状的には、あまり心配はしていないけれど、
妖怪でも82歳はやっぱり82歳なので、
楽観視は出来ない。
首の血管は動脈硬化が結構すすんでおり
バイアスピリンだって常用している。
その薬を止めて、止血剤の点滴をしてるわけだから、
血栓ができる可能性はある。
でも、両親はそんな発想はない。
先生の説明に対して、質問をするどころか
疑問に持つことすらない。
説明がわからないので・・・。
と、いうわけで、私が動くしかないのです。
娘だから、親のことで動くのは当然だと、
亡き叔父の言動から学んでますので。
 
 
父のがんの時もそうだったが、今回も、
「キーパーソンをやっている、利用者様のご家族は大変だな。」
 改めて、しみじみと思っています。

ケアマネとして、利用者様とそのご家族の為に
もっと気を引き締めて仕事をしなければと
やはり、改めて思いました。


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25年ぶりの再会

高校生の時、今の職場のある地域の社協が行っていた
『学生夏季体験ボランティア』に悪友と申し込みました。


悪友と私が希望して行ったのは、
当時社協が運営していた、老人福祉センターでした。


そこで、お兄さん的な存在の相談員さんと出会いました。
お兄さんから色々なことを教えてもらい、
また、居心地がすごく良かったので、
ボランティアの期間が終わった後も、
なんだかんだと理由をつけて、施設に入り浸っていました。


私と悪友が現れるたびに、お兄さんに
「なんだよ、お前たちは!」
と、よく言われながらも、
いつもお兄さんは、私たちの相手をしてくれました。
今、思えば忙しかったはずなのに、
嫌な顔をせずに私たちの話を聴いてくれました。
 
 
お兄さんに見守ってもらいながら、
おじいちゃまやおばあちゃま達と
おしゃべりしたり、卓球もしたり
ゲートボールも教えてもらいました。
今思えば、とても貴重な体験をさせてもらったと思っています。

 
そのころから、私は福祉関係の仕事したいと思っていたので
 お兄さんに何度も相談に乗ってもらっていました。
その時に、お兄さんは
「福祉業界で働いている人は『福祉バカ』なんだよ」
と、よく言ってました。
その意味を訊くと、
「福祉のことしか知らないから視野がせまいんだよ」
と言うことでした。
当時はその言葉の意味がよく分かりませんでした。
今、その言葉を身に染みて感じています。
「あ~、お兄さんが言っていたのはこのことかっ!!」
と、思うことばかりです。
 
 
高校卒業し働き始めても、しばらくは入り浸っていたのですが、
忙しくなってしまい、施設に足が遠のいてしまいました。


お兄さんに恩義に感じながらも、
会いに行く機会をつくることができないまま、
年月だけが過ぎました。


そして、昨年、お兄さんがいる町で、
ケアマネージャーとして
働くことになりました。


社協の事務所があるのは、職場のすぐそばでした。
すっと勢いがつけられないままでしたが、
昨日、思い切って社協に電話をしました。
お兄さんは、今も在籍していて、電話に出てくれました。
私のことも覚えていてくれていました。
うれしくて、その日のうちに、
お兄さんに会いに社協へ行きました。


25年ぶりに会ったのに、お兄さんは、
昔と変わらない笑顔で私を迎えてくれました。
結果的に不義理をしていた私に対して、
昔と同じ穏やかな声と笑顔で話しかけてくれました。
私が働きながら通信制の大学を卒業したこと、
社会福祉士と介護福祉士とケアマネを取ったことも
「よく頑張ったな」とほめてくれました。
ケアマネとして働いている私を
「お前も、福祉の仕事に就いたんだな」
昔と同じ優しい笑顔で、なんだか少しうれしそうな感じて
言ってくれました。


お兄さんと話していて、
『ようやく帰ってこれた』という
不思議な感覚を持ちました。
そう思った理由は、今もわからないのですが、
『会えた』ではなく『帰ってきた』なのです。
 
 
今思えば、
福祉専門職として、『一番大切』なことは、
高校生の時に、施設にいりびたりながら
お兄さんとの会話の中で
無意識の中でも学んでいたのかもしれません。
ケアマネになってから、そんなことを感じていました。


『お兄さんと、同じ町で、一緒に仕事が出来る』

それが、涙が出るくらい、うれしいのです。


組織の価値観にとらわれず、自分の持論を持ち、
広い視野で冷静に客観的に判断して行動することができる。
そんなお兄さんから、またいろんなことを学びたいと思います。


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初めましてm(_ _)m

はじめまして。
 
ケアマネ1年生のかたつむりと申します。居宅ケアマネやってます。
 
念願のケアマネ仕事に就いて、喜んでいますが、大変なことが沢山あります。
初心者の人達はどうやって乗り越えているんだろうか・・・?
ネットの海原を彷徨ったけれど、その答えが書いてあるHPやブログが見つからなかったので、それならばいっそ『自分で作ってしまえ!!』と、思いきってブログを開設しました。
(こんな勢いで作った、別の内容のHPはあります(^^;)
 
毎日更新をする自信は、まったくありませんが、日々思ったことや感じたことを書いていきたいと思います。

ただいま正月休み中ですが、まだ要領が悪いので、訪問と担当者会議と認定調査と電話対応や調整に追われてしまい、その結果、たまりにたまってしまった『書類の山』と自宅で格闘しています。個人情報の保護を考えると、決して良い方法ではないことは自覚していますが、このままにしておくと、たまった書類を処理する機会を失いそうで怖かったので、持って帰ってきて格闘することにしました。休みは明日まで。どこまでできるかわからないけれど、昨年の仕事のやり残しを少しでも減らして、新年の仕事をスタートしたいものです。

今の目標は、医療連携の方法を身につけることと、事務処理の効率化です。

恩師の言葉「人間は死ぬまで『青春』だ!!」を胸に刻んで、いつまでも向上心を持って仕事に取り組みたいと思います。

でも、ときどき、壁にぶち当たって、へこたれるかもしれません。しかし、転んでもただでは起きません。

そんなふうに今まで生きてきた、性格に結構癖のある、かたつむりですが、どうかよろしくお願いいたします。m(_ _)m



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