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ただ今、人生の仕切り直し中のケアマネ
プロフィール
HN:
かたつむり
性別:
女性
自己紹介:
心と身体を壊し、まだ人生の仕切り直し中のケアマネ。

保有資格:社会福祉士・介護福祉士・介護支援専門員。ついでに日商簿記2級・全商簿記1級
(Twitter@renrinoeda2)
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父の検査結果

昨日、父のPET検査の結果を両親と聴きに行ってきました。

結果は、転移はしていませんでした。
正直、安堵しました。
しかし、肺の癌が少し大きくなっているということです。
それでも、まだ痛みがでる状況までにはなっていないので、今まで通りの生活を続けて大丈夫とのことでした。
先生は父に「これからも釣りに行って下さい」とのことでした。

私は、最悪のことを考えて、色々と心の準備をしていたので、検査結果を聴いて、安心したのか、ドッと疲れが出てしまいました。

昨日は、仕事を休めなかったので、午後から仕事に出たのですが、仕事に集中ができませんでした。
しかも、介護職・相談員・ケアマネと、立場違っても十年以上介護業界で働いてきましたが、初めてご利用者様とそのご家族に『かたつむりさん、なんだか疲れてるよ』と言われてしまいました。
今まで、どんなに辛い時も、疲労困憊でも、体調悪くても、それを隠し続けて、ご利用者様とそのご家族の前では『明るくて元気なかたつむり』であろうと努力して、そしていつも『かたつむりさんは、いつも元気ね』と言われてきたのですが、昨日は、隠しけれなかったようです。
支援する側の者が、『元気』なケアマネでいることができなかったのは、痛恨の失敗です、自己嫌悪ですね。

父の検査結果が、大丈夫だったのだから、気持ちを切り替えて、仕事ができるようにしたいと思います。




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なかなか、コメントのお礼のお返事を書くことができなくて、申し訳ありません。
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腫瘍マーカー『CEA』が22

ご無沙汰しています。

今日は仕事を休んで、父がガンの治療で元々かかっていた病院の受診に付き添ってきました。

先日(7/31)も受診したのですが、その時はどうしても私が付き添えませんでした。
そんなとき限って、良くないことがでてしまいました。

『腫瘍マーカー『CEA』が22』となっていたのです。

ちなみに5月の時は、11.5でした。

私は医療の専門家ではないので、この数値が何を意味するのかわかりません。

でも、5月の診察の時に私が先生に訊きました。
「先生、もし、転移した場合、先生はどのように判断するのですか?」
そう訊いた先生はこう答えてくれました。
「レントゲンで肺の腫瘍が大きくなっていたり、腫瘍マーカーの数値が急に高くなっていたら、転移を疑い、『全身のPET検査』を行ないます」
そう説明をしてくれました。

しかし、父は、先生が提案したPET検査を断ってしまったのです。

父に私は、『転移であったら、逆に、お父さんは『放射線治療を受けられる可能性が残っている』。肺は、たばこと職業病でボロボロで、放射線治療は出来なけれど、他の臓器は今のところは問題がない。転移の仕方にもよるけど、転移したものに関しては、治療ができる可能性は残っているんだよ』と、素人判断ではありますが、父に話しました。

すると、父が、『やっぱりPET検査を受けたい、今からでも間に合うかな?』と、私に聴いてきたので、病院の医療相談室へ電話して、ソーシャルワーカーさんに相談して、今日、改めて受診となりました。

先生は、『積極的治療はしない緩和ケアをお父さんは希望されている。でも、例えば、骨に転移した場合に、そのままにしておくと、骨が弱くなり、折れてしまう。それを防ぐためには、やはり『放射線治療』が必要になる。その為にも、どこかに転移があるのかは、しっかり調べたほうがいい』とのことでした。

先生と父と私とで相談して(母は黙って話を聴いていましたが、理解していませんでした)、今週16日(水)にPET検査をして、21日(月)にその検査結果を聴きに行くことになりました。
16日は、私がどうしても、調整がつかない訪問ばかりがはいっているので、付き添うことができませんので、父と母の二人で行ってもらいます。
でも、21日(月)は、サービス担当者会議が午後にあるので、私は、午前中父の受診に付き添い、その後に仕事に向かいます。
21日の私は、結構ハードなスケジュールです。

この検査の結果次第で、また、私達家族の状況が変わってきます。

結果を待つしかありませんが、今後訪問診療をお願いすることになるクリニックの先生も、月に1度の受診の父を診て『そろそろ、何かが出てくるころです』と、相談員さんを通して私に伝えてきたので、父も私達家族も、それなりの心の準備が必要だろうと、考えています。

『家族のキーパーソン』をやりながら『ケアマネージャーの仕事』をする難しさを、最近強く感じるようになってます。

体調的にも精神的にも、『個人として』も、『専門職として』も、自分をコントロールするのが難しいものですね。


キーパーソンの大変さを毎日感じている、今日この頃です。




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働きながらキーパーソンをする難しさ②

ドタバタしてまして、しばらくブログを書くこともできませんでした。

実は、今、左手半分が痺れてます、小指側のほうです。
時々痺れに痛みが伴ったり、指が震えます。
これは、初めてのことです。
身体の凝りからきているのかもしれませんが、首からきている可能性もあります。
なにせ、整形外科が29日からしっかりGWの休みに入っていて、明日まで休みなんです。
勤務調整して4/24に受診したのが最後です。
2週間近く首の牽引をしてません。かなりきついです。

来週は結構忙しく、救急搬送で入院してしまった独り暮らしの利用者様の対応があるので、平日に仕事の調整をして受診をするのは無理だと思います。
あと、1週間持つのか、私の首???
 ちなみに、GWも普通に仕事してました。
社長が『祝日だから休めるようだったら休んでいい』と言ってましたが、私はすでに訪問予定を組んでいたので、休まずに出勤しました。
同僚は皆休んでましたが・・・。

そして、今日は休みでしたが、朝の6時半に仕事用の携帯電話が鳴りました。
私が担当している方の娘さんからでした。
内容はご利用者様が救急搬送されたとのこと。
ご本人は独り暮らし。唯一の身内の娘さんは外国でくらしてますので、病院へ駆けつけることができません。
あれやこれやと、娘さんと連絡をとりつつ、各支援者へも連絡をとりつつ、今日できる対応が全て終わったら、10時をとうに過ぎてました。
ご利用者様の様子は大事なく、週明けに退院のようですので、週明けにまた、その方の色々な対応をしなければならないと思います。
ケアマネである以上、自分に『休み』はないと思ってます。本当に。
でも、本音をいえば、正直、休日の日の朝から、3時間半かけて緊急対応をするのは、やっぱり、きついです。
でも、そのことはいい、ケアマネである以上、やらなければならない。

しかし、今は動けるから、こうやって対応できたのだ。

父の病状が落ち着いているから。

先日、もともとかかっていた大きな病院の定期受診に行った。
実は、当面は、もともとかかっていた大きな病院と、最期まで看てくれるクリニックと両方の受診となっている。
最初は4/28の予定だったが、先生が手術が入ってしまったため、5/1に変更になった。
父は「お前も仕事があるだろうから、お母さんとふたりで行ってくる」
と、言ってくれましたが、
もし、悪い結果が出た時に、両親が冷静に先生の話を聴けると思えなかった。

父には『前科』がある。

昨年の夏に父は血便がでた。
父は、私が検査に付き添うからと言ったのを断り、一人で行き、その場で入院となり、父が一人で先生の説明を聴いた。
何かあったら連絡をしてほしいと、父に頼んでいたが、いっこうに連絡がないので、しびれを切らして私から電話をした。
電話で、『先生から言われた話』を私に説明した時の父の言葉。
「小腸から出血している。『エス何とか結腸から出ているんだと』、それと検査は終わったから、先生の説明があると思う」とかいっていた。
まったく先生の説明を理解していないのは、話を聴いてわかります。
『親父!S状結腸は『大腸』だから!!』と、腹の中で思った。
当然、その場で病院に問い合わせた。
病棟看護師からの説明は、こうだった。
「大腸のS状結腸からの出血と思われるが、大腸内視鏡はこれからなのです。」
当然、看護師さんに頼んだ。
「父は先生の説明を正しく理解していません、認知症はないですが、年相応の理解力と判断力の低下はあります。しかも、耳が遠いです。父に関することは、私が対応しますので、何かあれば連絡をください」と。
その場で、先生の説明の日時を決めてしまった。
そして、後日父に説教した。
『先生の説明を間違って理解して、同意書を書いたら、病院に迷惑がかかるんだから!私のことを気遣ってくれことはありがたいけど、後でごちゃごちゃになってから、『かたつむり、何とかしてくれ』と言われる方がこまるから!病気の時はちゃんとできることはするから言ってくれ!!』と。

そんなわけで、またまた、その時点では5月の訪問スケジュールを入れる前だったので、5/1は当然ついていった。
両親だけで行かせたら、心配で仕事にならない。
 
大きな病院のほうへ付き添う時は、仕事を『休む』ことにしている。
何時に検査と診察が終わるか見通しがつかないからだ。
何かあれば、その場で緊急に検査が入ることがある。
5年前もそのようなことが何度もあり、結果的に一日がかりになったこともたびたびあった。
そのため、職場には、その病院へ行くときは『まず日中は携帯電話に出られないと思ってほしい』と言ってある。
重篤な方もいるので、携帯電話の電源は必ず切っておくことにしている。
社長も、その日は、私に利用者様のことは、事務所で対応すると言っていた。

でも、病院からでて、電源を入れると、メールや留守番電話が入っていることがある。
ご利用者様からの直接の者は仕方がない。
 しかし、同僚からのメールがあるのだ、しかも『折り返し○○へ電話してほしい』と。

結局対応が遅くなってしまうが、私が先方へ連絡を取り対処することになる。

正直かなり大変です。
大きな病院の付き添いは、時間がかかるので、とても疲れます。
その後での、仕事の対応です。
それで、一日終わります。
はっきりいって、出勤しているときよりも疲弊しています。


私は、遊びでやすんでいるのではない。

『がんの治療ができない苦しい思いを抱え、自分の命を見つめて生きている』父の受診に付き添っているのだ、キーパーソンとして。
 
 
今は、まだいい。
父の『がんの進行』がみられていないから。
父も一応『元気』に過ごしているから。

でも、もし進行してしまったときに、
ターミナルになっていったときに、
仕事を調整して、時間をつくって父の対応で奔走している私に、
こうやって、同僚たちは遠慮なく連絡をしてくるのか、折り返し電話するようにと。

同僚たちは皆結婚しているので、自分が仕事しなくても、少しの間はどうにかなるのかもしれない。
旦那さんがいるから。
お金の苦労も知らないから。

でも、私は、仕事を辞めるわけにはいかない。
養ってくれる夫はいないのだ。
逆に、私が両親の人生を背負っているのだ。

父に言われている。
「俺に何があっても、仕事の量は絶対に減らすな。担当件数が減ると、また減給になるのだろう。そうしたらお前が苦しくなる。俺は、これ以上お前に迷惑をかけたくない」と・・・。

昨年、入社して半年で30件の担当を持つことができなかった私は、月5万円の減給になった。
減給の理由はわかる、私なら、ケアマネだから。
しかし、一般の人達には理解できない。
両親は激怒した。
毎晩睡眠時間を削って、家で事務仕事の追い上げをしている私を見ていたから。
私が家にいれる生活費にも大きく影響した。
家族の生活にも関わってくる問題だった。
だから正直かなり無理をして、苦しかったけど、2か月で30件までに増やして、給料を元に戻した。
生活に響くから。

今は、父の病気のことがあり、家にいれる生活費の金額をわずかだが増やした。

父の病気が進行しだしたら、尚更お金がいる。

だから、余計に働かなくてはいけない。
 
 
しかし、
『病人や介護を必要とする家族いる人たち』は、職場に理解と協力を求めるのは、現実的は無理なのだろう。
実際、ケアマネ事業所でもこれなのだ。


職場の理解が得られないとなると、今後父の病気が進行した時は、どうすればいいのか。
 
 
また、途方に暮れてしまっている私がいる。


これだから、介護をしている家族が疲弊していくのだ。


自分がその立場になって、また、改めて、痛感している。



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『緩和ケア病棟』の登録手続き

今日は、有給休暇で仕事を休み、父の受診につきそった。

悪友が勤めている、某病院の緩和ケア病棟の申し込み手続きの為の外来。
この外来は、今日の一回で済む。
次に来るときは、入院するとき。


診察ではなく、先生との面談だった。
竹を割ったような、女医さんで、個人的には好きなタイプの医師だ。

そこの緩和ケア病棟は、入院の申し込みの依頼をしても、2~3週間待ちとのこと。
だから、他の入院できる病院も確保してほしいとのこと。

登録はしていただけることにはなったが、簡単には入院できるわけでないようだ。
それだけ、そこの病院の緩和ケア病棟を必要としている患者さんが多いという事。
そして、しっかりとした『緩和ケア』ができる病院がないということだ。


緩和ケアの先生には、自分がケアマネージャーをやっていることは言わないつもりだった。
私の職業がわかると互いにやりにくい場合があるからだ。
でも、私の話から、先生は何かを感じたんだろう。


「娘さん、もしかして『ケアマネ』ですか?」


私は、笑って頷いた。
やっぱり、隠せないらしい。


緩和ケア病棟の入院申し込みをしても、すぐには入れないとのことだが、
幸い、今後、主となっていくクリニックは、がんの緩和ケアに特化したクリニック。
その辺は、クリニックの先生方のお任せしても大丈夫だろう。
その為に、そこのクリニックにしたのだ。
更に幸いなことに、ソーシャルワーカーさんもしっかりしている人だ。
臨機応変の対応は出来るクリニックだと感じている。

そして、更に幸いなことに、父の癌の進行が幸いに見られていないので、今日の手続きが終われば、いったん小休止できると思う。



正直、この数か月の対応だけで、かなり疲れた。

今日も、病院から帰ってきたら、午後はずっと寝ていた。




当面は、自分の遅れている『仕事の山』と、本格的に格闘したいと思っているが、今その余力が残っているのか、ちょっと心配。



父の事で、今の私が、今できることは全てやったので、とりあえず、ひと段落ついて、少々気が抜けている。

そうなれることも、『幸せなこと』だとも思っている。



叔母(母の妹)に父の事を電話で経過報告をした。
叔母は、父のことはもちろんだが、母のことを心配していた。
叔母にとって母は、『姉以上の、母親のような存在』なのだ。
だから叔母に『お母さんのこと、頼むよ』と言われた。
私は『(母のことは)様子をみながら、ちゃんとやっていくから。』と叔母に言った。


母と叔母の仲の良さが、うらやましいと思う。



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『ひと山』越えたと思います。

今日は父の病院受診へ行ってきました。
今まで通っていた病院です。

血液検査と胸部レントゲンを撮り、
その後に診察でした。

先生曰く、
『11月に影が見つかった時の映像を比較しても、特に変化は見られないから、当面は2か月ごとの経過観察の受診で行きましょう』
とのことでした。

当面は、今週から新たに受診するクリニックで、主に診てもらいつつ、必要な検査がある時は今までの病院でおこなうというかたちで、『両病院間での役割を分担する』ことになる、との先生の説明でした。


先生が『家族がここまで、しっかりと病院をみつけてくることは、なかなかないんですよ』と言ってました。

これができたのは、私がケアマネだから、ということではないと思ってます。

たまたま、『私が末期がん患者の訪問診療をおこなっているクリニックの院長の講演会を聴く機会』があり、『私の悪友が緩和ケア病棟の看護師をしている』という、恵まれた偶然が重なったから、私でも整えられたのだと思います。

私は、先生に言いました。
「転院先の病院には妥協はしたくなかったんです。在宅介護に限界が来た時に、しっかりと緩和ケアを受けられる病院も確保したかったんです。今、出来る手は全て打っておきたかったんです。父が心おきなく釣りを楽しめるように。」
先生も、「そうだね」と笑っていました。



父の心情は、私にも解りません。
家族の前で、弱音はいたことは一度もないひとです。

父は、中卒で、学歴はありません。
でも、頭は良いひとだと思います。
父は職人です。
職人は、親方や先輩から仕事を教えてもらえません。
少なくとも父の時代はそうだったようです。
親方や先輩の仕事をみて、やり方をぬすんで仕事を身につけていくのです。
自身の『腕』と職人の『勘』だけで、仕事をしてきたのです。
頭が良くなければ、出来ない仕事です。
父には、決断力も判断力にも『迷い』がありません。

『自分の病気のことは全て知りたい、余命宣告があったらそれも聴きたい。俺の人生だから、最後まで自分で決める』
父はそう言いきりました。

今回の再発がわかってからも、私が父に提案したことがいくつかありましたが、最終判断は全て父がしました。
転院の病院もすべて父に説明して、父の了解の上で進めました。
 
私が父の病院に同行することになったのは5年前の肺がんの発病からです。
父が自分から、私に言いました。
「俺だけでは先生の説明を理解できない、すまないが一緒に来てくれ。」
自分の出来る事、出来ないことを、しっかり判断できるのです。
加齢のため、自身で出来なくなっていくことがあることを、しっかり受容できるのです。
まあ、あまりに頑固すぎて家族を困らせると事だけは、どうしても変わりませんが・・・。

そんな父なので、私は、キーパーソンの娘としては、とても助かりました。


それでも、この3か月はとても疲れました。
毎週月曜日に父の病院ともに行き、その振替で、火~土曜日は仕事で、休みは日曜日だけでした。
正月の3が日に寝込み、それが治りきらないまま、4日は父の検査に付き添い、5日からは仕事に行きました。
われながら、調子が悪くなりながらも、よく身体が持ったと思います。


今、父の体調は落ち着いており、
受診もメインは今までの病院からクリニックに移行しても、今まで通っていた病院も当面2か月ごとの経過観察と必要時精密検査というかたちでのバックアップという、連携をとってもらえることになりました。
来月には、悪友が勤務している病院の緩和ケア外来に行き、入院が必要になった時の手続きをします。ここは外来は1回だけで終わります。あとは入院がひっようになった時にお世話になります。先日、悪友が先生に「私の友人のお父さんがきますので、よろしくお願いします」と口添えしてくれたそうです。悪友に改めて感謝です。



とりあえず、一つの山は越えたと思います。

今、私が出来る事はすべてやりました。

後は、父の生命力と父の『生きていたい』という強い思いに懸けるだけです。



父が大好きなへらぶな釣りを、一日でも長く続けられることを、願っています。


平穏な生活が一日でも長く続けられることを、祈っています。




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悪友に感謝

昨日は、父の転院先の相談で、病院の相談室へ行った。

実は、父の転院先の病院は、すでに私の中で決めていて、根回し済みだった。
当然、父と相談しながら進めた。


申し訳ないが、先週、相談室のソーシャルワーカーが提示した病院は、
どれも信用できる病院ではなかった。
もし、終末期に入った父を安易な病院に入院させたら
満足な緩和ケアを受けることができない。
結果、父を苦しめることだけは絶対にしたくなかった。


だから、病院は100%納得のいくところにすると決めていた。
入院になったら、近所の病院がいいと繰り返す母に、
その考えが安易すぎて、父を苦しめるだけだと、しつこく説明した。

なぜなら、これからの、父の生活の質は病院次第とっても過言ではないからだ。

とにかく先週は、仕事の合間に病院探しに奔走した。
まずは訪問診療までできるAクリニックと事前に何度も電話をして相談したり確認をした。
Aクリニックは、以前仕事で、地域の包括支援センター主催の講演会で
ここの院長の末期がん患者の在宅支援についての講演を聴く機会があった、
私はまだ、ターミナルの方を担当したことがないが、
そのような方を担当することになったら、このクリニックにお願いするつもりでいた。


だから、父にそのことを話して、依頼することに納得してくれて、父の了解を得た。

だが、もし、在宅に限界が来て、病院となった時に、どこの病院にするかが迷った。
Aクリニックでも病院の紹介をしてくれると聴いていたが、
はっきり言って、私の家の近所の病院は、緩和ケアができる病院はない。
緩和ケア病棟があると看板を出している病院もあるが、
すでにその病院の患者の対応だけで精一杯か、
それ以外の病院は、はっきり言ってヤブ病院である。
なにぶん、地元で生まれ育ち、しかもケアマネをやっている。
そういう情報だけはしっかりある。


だから、高校時代からの『悪友』を頼ることにした。

この悪友は、看護師で、勤めている病院は、
大きな総合病院だか癌治療に特化したとても有名なB病院。
しかもそこで10年以上、がんの病棟で勤務し、
更には6年前から緩和ケア病棟で勤務しているという
ガン治療に関しての『筋金入り』のエキスパート。

4年前に父の肺がんが見つかった時も
同じ時期に胃がんで亡くなった叔父の時も
悪友に相談に乗ってもらった。

彼女が、自身で望んで飛び込んだ、緩和ケアの仕事。
しかし、その業務の過酷さは聴いていた。
厳しい現状を毎日目の当たりにしている『看取りの仕事』は、
心身共にあまりに負担が大きすぎる。
だから、あえて安易に私から連絡をするのを控えていた。
メールを送っても返事かなくても、気にしなかった。
ただ、元気かどうかだけが心配ではあった。


父の事で彼女に相談メールを送ったら、すぐに彼女から返事が来た。
彼女にメールで了解をもらってから、彼女に電話をした。
彼女は元気だった。安心した。

本題に入り、即きいた。
彼女に「アンタの病院は、ウチの地域の患者さんもうけいれてる?」と。
(昔から、私達は互いに、相手のことをいつも『アンタ』と言ってます。)
地域的には、悪友の病院は少し離れているから、
自分の中では、初めは悪友の病院は選択肢に入れてなかった。
でも、父が入院が必要になった時に託せるのは、
もう悪友が勤めているそこの病院しか考えられなかった。

そうしたら悪友は、
「もちろんだよ。遠方の地域の患者さんたくさんもいる」とのこと。
そのうえで悪友は、
「在宅医療のことは、ケアマネのアンタのほうが詳しいだろう。でも、緩和ケアができる病院は、私らが住んでいる地域(彼女の同じ地域に住んでます)にはない。地元の病院では緩和ケアうけられない。だから、入院のことも考えるのなら、ウチの病院にしろ!今の病院のソーシャルワーカーに、『B病院の緩和ケア病棟で友人が看護師をしているから、そこに病院にしたいから、B病院を紹介してくれ』といえ!」
といってくれた。

しかし、友人の病院は、父のような治療をしない患者の経過観察の外来はしていない。
緩和ケア病棟の入院のみだ。
だから、通院と在宅医療ができる病院はやはり必要だった。

だから、友人に、通院と在宅診療ができるA病院に同時に移ることを考えていることを話し、
そこの院長の様々な認定医の肩書きも伝えた、当然、がんの緩和ケアに関する肩書もある。
私の説明を聴いた友人は
「アンタの話を聴いた範囲での判断だけど、そこの病院ならば、確実に見取りまでできる。大丈夫だよ。在宅診療のクリニックには、アンタが直接の依頼でも、ウチとそのクリニックでの連携は取れるから大丈夫だ」
と言ってくれました。

悪友のこの『アドバイス』をうけて、私の方向が決まりました。

翌日のうちに、在宅診療のAクリニックに電話して、悪友の病院と連携できるか確認したら、
「地域の病院ではないので、件数は少ないが、過去に連携をとってますので大丈夫です」
とのこと。

とりあえず、根回しはしました。

その夜に、父にこの話をしたら、父も昔から知っている、私の『悪友』の提案でもあることから、
『それでいく、たのむ』
と、父の意志も確認しました。


そして、今日病院へ行って、父の私の希望のAクリニックでの通院と訪問診療、入院が必要になったら悪友がいるB病院への紹介状の依頼をしました。

病院のソーシャルワーカーが私の根回しをきいて驚いてました。
ここまでしてくれる家族はいないと。
別に驚くことではないと思う。
父のこれからの人生を守るために、
娘である私が、今自分が出来る事をしたまでのことだ。

当然、両方の病院へ紹介状を書いてくれることになりました。

もう、転院に向けた話を、私と両病院とで話を進めています。
全ての連絡先は私になってます。
両親に説明しても、難しくて理解できないからです。



この転院の話を進めることができたのは、
悪友の『ウチの病院に来い!』という、迷いのない強い言葉があったからでした。

友人のいる緩和ケア病棟は、しっかりと痛みその他の苦痛を取り除いてくれることは、常日頃の友人の話から分かっていました。
友人がいる病院ならば安心です。


転院先を探すのは、とても大変です。
今まで父が世話になってきた病院は、治療を専門としてする立ち位置の病院なので、
転院になることに関して、病院に不満を言うつもりはありません。
それぞれの病院の役割があるのです。
でも、転院先を探すのは、一般の人にはとても難しいと思いました。


私が父の転院先を探せたのは、自分の仕事柄、多少なりとも情報を持っていた事。
でも、それ以上にやはり、
ガン治療と緩和ケアの最前線で、長年看護師として仕事している
まさにがん治療に関しての『エキスパート』である
悪友の存在があってこそでした。


『持つべきものは友』

『友は宝』


改めて高校時代からの腐れ縁のこの『悪友』に心から感謝しました。


こうして、親身になって、一緒に考えてくれる『悪友』がいてくれる自分は、
とても幸せだと思います。




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父の決断、父の思い

今日も、父の通院に一緒に行った。

呼吸器の検査をした後に、主治医の診察を受けた。

父も私も『覚悟』はしていた。
一縷の望みもない事はわかっていた。
主治医は、外科手術も危険だと言った。
手術を受けることで、命を縮めてしまう可能性が高いと。

4年前の肺の手術の時に、
生きるためのギリギリの限界まで切除しているのだ。
無理なことはわかっていた。
それでも、先生は模索してくれたのだ。
万が一の可能性を。
でも、父の肺の機能は思った以上に悪かったのだ。

先生は、抗がん剤治療の話を切り出した。
もし、相談を考えているのなら
呼吸器内科へつなげると。
でも、先日、先生は、
抗がん剤治療では完治はしないと話していた。
かえって抗がん剤が父の身体に
ダメージを与える危険のほうが大きいと。


父は言った。
『完治しないのに抗がん剤治療で何カ月も費やすのであれば
その時間を、自分のやりたいことに使いたい。
だから、治療はしない』と。


先生は、それがいいと思うと言った。
「もし、抗がん剤治療を受けたいと思ったら、いつでも言ってください」
とも、言ってはいたが・・・。
先生なりに、思うところがあったのだろう。
でも、医師の立場では、安易なことは今は言えない時代だ。
余命宣告だって、昔のように簡単には言えない。


父は、4年前に肺がんが見つかった時に、
「悪いことも全て知りたい。
 自分の人生だから自分で決めたい。」
そういっていた。
だから、父には全てをその場で確認をしながら説明して、
父自身で判断してもらった。


父の人生だから、父が望む選択をしてほしい。
常にそう思っていた。


診察後はそのまま医療連携室へ行った。
移行する地域の病院を見つけるために。
すぐに結論を出す必要はないが、
今の病院は、緩和ケア病棟はない。
だから、今後進行が進んで入院を希望した場合に
受け入れてくれる病院を見つけなけらばならない。
でも、当然ながら、その場で結論はでない。

父は、『最後になったら病院でいい』と、言っていた。
理由は、母が大変だから。
つまり、父は、最後は家にいたいということだ。
母を心配して言わないのだ。


だから、今朝、病院に行く前に父に行った。
「この病気のことで、お母さんや私に遠慮をする必要なないよ。
 もし、万が一最後となった時に、家にいたいと思っているのなら
 遠慮なく言ってほしい」と。
その場では黙っていた。


でも、病院の相談員さんの話を聴いて、
思うところがあったのだろう。

家にかえっきてから、
「お母さんには悪いけど、ギリギリまで家にいたい。
 お母さんが限界になったら、その時は病院へ行く」と。
ようやく、本当の気持ちを言ってくれた。


私が仕事を辞めることができない以上、
どうしても母の負担が大きくなる。
でも、母は、祖母(父の母)の末期がんの狂気じみた夜間せん妄を
何度も病院に泊まりこんで経験している。
だから、母が覚悟を決めてくれたら、
最後まで自宅で行けると思っている。
あとは、私がどれだけ両親が安心して自宅で過ごせる
『ケアプラン』を電卓をたたきながら作れるかどうかだ。


父に残された時間がどれだけあるのかは、
誰にもわからない。
思った以上に長生きするかもしれない。
それを知っているのは神仏のみ。


これからも釣り三昧で、父らしく生きてほしい。

そして、父も母も『後悔』だけはしないでほしい。

その為に、私も努力をしたいとおもいます。




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諦めるのではなく『選択』をした父

今日も父の病院へ一緒に行ってきました。


自宅に戻ってきてからは、私は、仕事の電話対応でドタバタしてました。
ケアマネの仕事に『休み』はありません。



父の、間質性肺炎の検査結果ですが、思った以上に悪く、
放射線治療医は
『放射線治療は出来ない。外科手術より危険』とのことでした。

今の父は、生活上何ら問題なく見た目はとても元気です。

でも、主治医(呼吸器外科医)曰く
『間質性肺炎は一気に悪化する』とのことでした。

実は、私が担当していたご利用者様も、
持病の膠原病の影響で間質性肺炎で亡くなっているので
(自宅で呼吸困難で倒れているのをお孫様と私が発見し、
 私が救急車要請して対応しました)
その恐ろしさはわかっているつもりではおります。


来週、呼吸器そのものの検査をして、
外科手術の可能性を再度見直すことになりました。
でも、主治医からは
 「もし、転移の癌だとしたら、外科手術をしても、
 すでに他にも転移している可能性があります。
 頑張って手術を受けても
 数カ月後に別のところに癌が見つかる可能性があります。
 そのことも踏まえて『手術をするかどうか』を考えてください」
 とのことでした。


もし、外科手術が無理なら、呼吸器内科を受診し、抗がん剤治療の検討となります。
でも、主治医は
「抗がん剤では、延命はできたとしても、完治は出来ないです」
と、言ってました。
 
 
実は、父はすでに『治療はしない』と、ほぼ結論を出してます。
父としては、
苦しい治療を受けても治らないのであれば、
手術をしても、その後の生活に制約を受けるのであれば、
『自然に任せて、今の生活を一日でも長く続けたい』ようです。


父は、決してあきらめたのではなく、
自ら『選択』をしたのだと私は思っています。

今、治療の方向性を再度模索してくださっている、
諸先生方の話を聴いたうえで、
父が最終判断をすると思いますが、
私は『父の選択』に『従う』のみです。


このような厳しい現実を突きつけられても
決して取り乱すことなく、
きちんと自身で考えて選択をしてくれる父。
そして、家族の前でいつもと変わらずにいようとしている父。
ただ、ひたすら毎日、父の凄さに脱帽しています。


今日、父に言いました。
 「お父さんは、自分で今後のことを選択してくれるから、
 娘として、とてもありがたい」と。
父は「この先はどうなるか、わからんぞ」と、
笑ってましたが・・・。


ただ生きているのではなく、
父が父らしく、一日でも長く毎日を楽しく過ごしてほしいと願っています。
その為の父の『治療をしない』という選択であれば、
私は、娘として、前向きに受け入れようと思っています。


父の意志の強さは、よくわかっているつもりです。
積極的な治療をしなくても、
父は、決して『生きること』そのものを諦めることはないと思います。


明日、父は釣りへ行くそうです。
このような平凡な日々が一日でも長く続いてほしいと願っています。



『平凡は決して当たり前ではない』という事を、
私も身をもって知っていますから・・・。




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働きながらキーパーソンをする難しさ

昨日、社長から言われた。


「残業をしないでほしい」と。


私の身体が心配だとか言っていたが、
よくよく話を聴いていると『労働基準監督署』の指導が入ると
困るからというのが本音だ。
「『労基署』が厳しくなった」と、言ったので。
ちなみに、ウチの会社は『残業代』は出ない。
 
 
『父の肺に影がある』と言われた時点で、
『介護保険の認定調査員』という仕事は降ろさせてもらった。
調査を受ける側もご家族が、都合をつけて時間を割いてくれている事もあり
父の病院の予定が入ってしまっても、調査日の変更ができないからだ。

ケアマネージャーとして担当させていただいている方は
いまのところ引き続き担当させていただくことにした。
ちなみに今は35名の方を担当させていただいている。
ケアマネ業界は、『担当件数でお給料が決まる』のが常識だからだ。
担当件数が減ると、給料も減るので、
これから父のことでお金がかかるから、
担当件数は維持しないといけないのだ、減給になるから。


12月から、出来る限り前倒しで、かなり無理なスケジュールを組んで、
ご利用者様宅へ定期訪問に行っている。
父のことで、急きょ病院へ行くこと等になった場合のことを考えて、
早め早めに訪問した。
それに、利用者様によっては『サービス担当者会議』というものを開く月がある。
私の場合は、この会議はいつも月に10件以上は行なっている。
15件になる月も少なくない。
これは、ケアマネージャーがいないとできない会議だ。

そのようなことから
あとから、父のことで対応しなけらばならないことが増えてしまった場合、
その結果、行わなければいけない業務ができなかった大変なので、
残業してでも、前倒しで訪問していた。


でも、残業をするなと言われたら、
父の対応ができなくなる。

今までは、父の付き添いで休んだ分を
土曜日に振り替えて出勤していた。
『それでもいい』と、社長は言ってくれていた。
でも、先日『原則土曜日出勤はダメ』とも言われた。
だから、いずれは土曜日の振替出勤もできなくなるだろう。


会社は家族の介護などには非協力的なのは知っている。
介護業界に入る前は、一般企業で経理事務をしていた。
簡単に有給もとれないのも知っている。
だから、介護の為に仕事を辞めていく人が多いのだ。
企業の実情を知っているから、
ケアマネとして私は、担当している方には出来るだけ、
仕事をしながら介護をしているご家族には、
仕事への支障が少しで少なくなるように、
その辺を考えて、努力して対応をしているつもりだ。


4年前に、父が肺がんを発症した際は
私は介護職として施設に勤務していた。
当時の施設長は、私の立場をご理解くださり、
同僚も協力してくれて
父の受診日等が決まると、
その都度シフト変更をしてくれて、
どうしても夜勤の交代の都合がつかなかった1度以外は
手術が終わるまでの3か月間、
ほぼ毎週だった父の病院の付き添いも、入院時の術前説明も
手術の立ち会いもできた。
おかげで、キーパーソンの役割を果たすことができた。
今でも『当時の施設長や同僚』に感謝している。

その施設長は
『困った時はお互いさま、いつ自分達が
 かたつむりさんと同じ立場になるかわからないからね』
と、当たり前のように言っていた。

両親には
「ここまで配慮してもらえる職場はないからね、施設長に感謝して。」
と、しつこいくらいに話した。


今の職場は、最初に書いた通りです。
「お父さんのことを最優先にしてね」
そう社長は言った。
でも、だんだんと話が変わってきた。
これが、現状なのだろう・・・そう思った。
『ケアマネージャーの会社』でもこうなのだ。


正直、これからどうすればいいのか、悩んでいる。


私が仕事を辞めたら、ウチは生活できない。

でも、病院でのやりとりは、両親だけでは、無理なのだ。

それに父は、もう良くなることはない。
父の状態が、悪化した場合、
もっと病院へ行くことが多くなるかもしれない。
今まで以上に私の付き添いが必要になるだろう。

でも、私の他に、キーパーソンができる家族はいないし
両親と一緒に話を聴ける者も私以外にいないのだ。


どうすればいいのか、途方にくれている。


利用者様や患者様、そのご家族が
こうして追い詰められていくのだと、
自分がその『立場』になって、
この厳しい現実がようやくわかった。




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厳しい宣告

昨日、父の病院へ行ってきました。

先生の説明はこうだった。

病理検査では、癌細胞は確認できなかったとのこと。
癌と思われる部分の一部をとっても、その部分の全部が癌ではなく、癌の部分とそうでない部分が混ざっているとのこと。
だから、『とる場所が外れた(たまたま癌細胞のないところをとってしまった)』可能性がある。

しかし 、癌細胞が確認できなくても、『腫瘍マーカー』『レントゲン』『CT』『PET検査』の全てが癌の疑いがとても高いという結果がでている現実がある。

先生曰く
「物的証拠(病理検査の結果)がなくても、状況証拠(その他の検査の結果)がそろっている」

つまり、絶対とは言い切れないし、良性の可能性もあるが、癌である可能性はとても高い。
ということ。


癌だと思うが、癌細胞の種類が特定できなかった、ということ。


まさか、こんな『説明』をされるとは思わなかった。


肺の白い影が、PET検査で赤くなったところの正体が特定できないなんて。


でも、先生は転移の癌であることを前提に今後の話をした。


外科手術は、もうこれ以上は切除は出来ない。


抗がん剤治療は、効果が出る可能性は30%。
父の82歳という年齢と癌細胞以外にも影響する身体全体へのダメージを考えると、リスクのほうが高いとのこと。
たくさんある癌細胞の種類の内、『なんの種類の癌』なのかわからないのだから、先生も薬の選択は難しいはず。

放射線治療は、父の肺の一部が間質性肺炎になっているので、肺に放射線を当てると、間質性肺炎が悪化する可能性が高いので、やはり、リスクのほうが高いとのこと。


つまり、打つ手がない、ということだ。



とりあえず、間質性肺炎の検査をするため、血液検査と、肺活量の詳細な検査をすることになった。

その結果を聴いてから放射線治療医の診察を受けて、放射線治療が受けられるかの可能性を、直接その医師と話し合うことになった。


厳しい現実。


もし、癌であれば、積極的治療を受けない選択をした場合、どのくらいの進行で、父に残された時間がどのくらいなのかは、癌細胞の種類の特定ができていない以上、先生方も何も提示ができないのだ。


でも、父の中では、ある程度決めてはいるようだ。


『治療はしない』と。



家に帰って、夕方、あえて父に訊いた。


か「『セカンドオピニオン』って知っている?」

父「あれだろ、他の病院でも診てもらうってやつだろ。」

か「そう。お父ちゃん、それ、したい?」

父「いや、しない。あの病院は日本の癌治療の病院の中心だろう、あそこでできなければ、どこへ行ってもダメだ。大学病院は、俺はいやだ」



今の病院は、国の公的な病院だから、比較的差額ベッド代などは安い。

しかし、大学病院では、それよりも高いだろう。我が家では払い続けられない。

それに、父は大学病院に対して、いい印象を持っていない。はっきり言って悪いイメージを持っている。


父は、今の病院の提示した内容を信じて、自分の結論を出すことにしたのだ。



父がそこまで決めているのなら、私は、父が決断したことを尊重し、自分ができることを精一杯するまで。
 
父には、自分の妹(叔母)や母の妹(叔母)など、『親戚にはこのことは言うな』と、口止めされた。 

しかし、先日、叔母(母の妹)には、電話がかかってきたときに、成り行きで叔母に話すことになってしまったので、父に隠れて、叔母に今日の報告をした。
先日、叔母に父のことを話したら、『後悔のないように』と、言われた。
叔母は、自分の父親(私の祖父)に、もっとやさしくしてあげればよかったと後悔しているのだ。

でも、当時まだ小学生~高校生だった私がみていた、亡き叔父やそして叔母の献身的な祖父母を介護する姿は、今でも『見事だった』と思っている。

だから私は言った。
「私は、おじいちゃんとおばあちゃんをあれだけ看ていた、叔父ちゃんと叔母ちゃんを今でもすごいと思っている。この仕事(ケアマネ)について、尚更思っている」と。


私には、叔父や叔母のようには、絶対にできない。


それでも、やれるだけのことはやろうと思っている。


もし、父が高いリスクを背負ってでも放射線治療をするというのなら、それを尊重し、間質性肺炎の悪化を想定内にして、今後のことを考える。


そして、積極的治療をしないと決めたら、その時も父の選択を尊重して、父が毎日父らしく穏やかに過ごせるように、出来る限りのことはしたい。


父に残された時間が、どれだけあるのかわからない。


でも、父が最後まで父らしく過ごせるように、
もし、終末期になった時に、父が穏やかに過ごせるように、
精一杯のことをしたい。


それが、娘として、精一杯できる、最初で最後の『親孝行』になるから。


今日は、父は、釣り堀へ行くそうだ。

父には、今日もこれからも、好きなことをして楽しんで欲しい。

それが、私の願いです。



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