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ただ今、人生の仕切り直し中のケアマネ
プロフィール
HN:
かたつむり
性別:
女性
自己紹介:
心と身体を壊し、まだ人生の仕切り直し中のケアマネ。

保有資格:社会福祉士・介護福祉士・介護支援専門員。ついでに日商簿記2級・全商簿記1級
(Twitter@renrinoeda2)
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見えない『現実』

私は、介護の仕事をはじめてすぐに、邪魔だからと、腰まで伸ばしていた髪を、ショートカットにしました。


今日、15年ぶりに『ポニーテール』にしています。
昨年夏に頸椎ヘルニアになり、美容院に行くのを控えていました。
しかし、そのあとに父の癌再発で、美容院に行く時間がなくなりました。
一時的に行っても、次にいつ行けるかわからない状態ですから、髪はしばらくこのままにしておきます。
今は介護職ではないので、髪が長いことで仕事に支障はありませんので。


今日は、音楽教室も休んで、自宅で事務仕事をひたすらする予定でした。
でも、具合が悪くなり、先ほどまで精神安定剤を飲んで寝ていました。
だから、ほとんど仕事は進んでません。
これから、どこまでできるか・・・。
今週は、父の件で土曜日に振替出勤しているので、6日間連勤です。
だから、あまり、無理は出来ません。


もともと書類作成の仕事が溜まっていたところへ父の癌の再発で、
色々と動きまわならければならず、
土曜日出勤が続き、
疲れすぎて仕事のペースが落ちて
更に、複数の利用者様の状態変化でプラン変更が多くて、
更に書類の山が大きくなりました。

 正直、疲労感がとても強いです。

仕事から帰って、家の自分の部屋に入ると、動けません。
両親の前では、普通にふるまおうと必死です。
両親に余計な心配を負い目を持ってほしくないから。
だから、動けなくなるのは自分の部屋に入ってからです。

 

姉が、何もやってくれないので、私一人で全てを背負わなければなりません。
姉も、独身で私同様に親元にいます。
でも、今回の父の事に関しても、何もしません。
姉は昔から両親のことは何もしません。
だから、最初からあてにしていません。

 
姉は偉そうなことは言いますが、動きません。
だから、あえて、私からは何も言わないことにしました。
何もしてくれない人に、話すだけ時間の無駄。
本当に父の状況を知りたいのなら、自分から訊いてくるはずです。
でも、自分からは訊いてきません。

助け合える家族がいない苦しさを、身をもって感じています。

介護が必要になったら、母が頑張ってくれるでしょう。

でも、我が家は、決して介護力が強い家ではないと、私自身は思っています。

『父の気丈さ』に、これからも助けられるのだろうと思います。


 
昨日、同僚に『そんなに大変ならば、担当件数を減らせばいい』と、簡単に言われました。
私は『35件をキープしないと、給料が下がります、そうしたら、我が家の家計が直撃ですから』
といいました。そうしたら同僚は、
『そう、それじゃ、仕方ないわね』と、簡単に言って終わりでした。
たったそれだけの会話ですが、これは私の『地雷』でした。
養ってくれる旦那がいる『お気楽身分の同僚』には、その言葉がどれだけ相手に不快感を持たせるものか、わかるはずがない。
彼女は、無責任にいろいろ言ってくれるので、腹が立ちます。
前に「お父さん良くなるといいわね」と安易に言ってくれた同僚です。
実は、この同僚その後も、90%癌だと医師に言われた後にも
「まだ、結果が出たわけではないから、希望をもって、医師の言うことをきいて」
を言ってきました。
希望のかけらすらない状態でしたから、聞き流しましたけど。

 

しかし結果は『治療が不可能』という、予想以上の最悪の結果でした。


彼女は、自分は私に言った言葉をどう思っているのか・・・。
間違いなく、自分の言った言葉など忘れているでしょうけどね。


こんな思いやりのかけらもない人間が、ケアマネをしているんですから、
『ケアマネ不要論』も出るんです。
こんなケアマネ達ならば、私も『いらない』と思います。
 
 

今まで、私は、介護している方や、キーパーソンの方の心身状態には、とても注意してみてきたつもりでした。
みなさん「大丈夫」と言ってますが、本当は大丈夫ではないんです。
隠してるんです。
堪えているんです。

満身創痍なのに・・・。

だから、私は、時間をとって、主介護者やキーパーソンの方と話をするようにしています。
話の内容は様々です。世間話だったり、昔話だっり。
私も、自分自身のプライベートの話をします。自分のことや、両親のこと、相手が負担にならない内容でなけれな、自分の家族のことも話します。



私が『自分』を見せなければ、相手だって『自分』を見せるわけがない

 

私は公私ともに、そう思って相手と向かい合ってます。

自分をさらけ出さない人間に、相手は本音は言ってくれません。

少なくとも、私は言いません。

 

『ケアマネ』という肩書で、根掘り葉掘り聞こうとするのは、単なる『傲慢』です。

だから、私は、緊急性がない限りは、まず、自分を出して、相手が、本音を見せてくれるのを待ちます。

そうすると、皆さん、いろいろ話をしてくれるようになって、限界のところで介護をしていることを打ち明けてくれるのです。

その本音をご自身の口から言える状況をつくることが大切なのです。

はけ口がなければ、必ず倒れます。


だから、いつも私は言ってました。

『介護されている方の健康も大切です。ご自身の為にも、介護を受けているご家族の為にも。介護されている方が倒れてしまったら、介護されている方も、家で生活ができなくなります。だかた、ご自身の為にも、ご家族の為にも、介護されている貴方自身のことも大切にしてください』と。

でも。その言葉すら、傲慢であったことが、自分がその立場に立って、良くわかりました。

 

今の私は、父の事を第一優先にしています。
自分のことは、二の次です。
でも、仕事は、今まで通りしなければならない。


私は、先ほどの同僚のように『旦那に養ってもらえるから、自分に無理のない範囲で仕事をする』という、楽な立場にはいません。

もう、『親元で生活をしている、独身のお気楽身分』は、とっくに終わっているのです。



家の家計も、両親の人生も、全て私が背負っているのです。

だから、今の私は、自分の病院受診もまともに行けません。

頸椎ヘルニアの受診すらも、まともにいけないのです.

首だから、大切な場所だから受診しなければいけないのは、もちろん承知の上です。 



そう、主介護者やキーパーソンのというは、自分のことを後回しにしないとできないのが『現実』なのです。



それを、身をもって日々感じています。


キーパーソンは、自分のことを削らないと、できないのです。

楽しみにしていた、音楽教室を休まなければいけないほど。

土曜日出勤をしているので、自分の病院に行くことができないほど。 


『自分を削らないと』できないのです。



ケアマネージャーとしての『知識』としては、持っていたとしても、その立場に置かれている方の、『真の現実』は見えないものでした。

少なくとも私は、みようと努力しましたが。見えていませんでした。



父のキーパーソンになって、そのことを痛烈に感じています。


より、一層、自身の専門職としての言動には気を付けなければいけない。

そのことを、あらためて、痛感している毎日です。

 

では、仕事に戻ります。


 
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実質『仕事をしていた』3連休でした。

今日は父の、転院先のクリニック(受診と訪問診療)の相談員さんの訪問面談があったので、休みを頂いていた。
でも、なんだかんだと、仕事の電話対応をしていたので、今日も休んだ気がしなかった。


土曜日にご利用者様を『追い出した』病院へ、
病院側の事情を訊くために、朝一番で電話した。
一方だけの話だけでは、わからないことが多い。

ソーシャルワーカーさんの話によると、
退院の直接のきっかけは、帰宅願望が強すぎての行動が原因ではあった。
しかし、病院側での薬の調整自体はすでに済んでおり、
現時点では有料老人ホームの入所手続きが完了するまでの『社会的入院』の状態に変わっていた。
だから、他の精神科の病院への転院は不可能なので、退院となるしかなかったようだ。
病院側も退院後の一時的な受け入れ先を探した。
たまたま近所の有料老人ホームの介護保険外のショートステイが2週間空いていたので、
そちらに移っていただき、その有料老人ホームと病院が連携をとっているので、
そこにいる間なら病院もフォローするとのこと。

話を聴いていて、病院側も『強制退院』とはしたものの、
ちゃんとその後のフォローはしてくれているので、
病院の対応としては、『ベター』だとは、『ケアマネとしての私』は思っている。

しかし、『家族』としては『追い出された』としか思えないだろう。

だから、ソーシャルワーカーさんには、
ケアマネとしては、理解できる対応であると言ったうえで、
『ご家族は、今回の退院の件をマイナスに感じている様子だし、
 病院側の説明を理解している様子が無いので、
 その辺の再度の説明とフォローをお願いします』と依頼し、
ソーシャルワーカーさんも了解してくださった。

とりあえずこちらは、今のところは、大丈夫そうだ。


緊急搬送された、おばあちゃまは、
娘さんが来れない為、親戚の方が明日来てくださることになり
明日病院を退院して、自宅へ戻ることになっている。
おばあちゃまは、「今日帰る!」と騒いでいるようで、
夕方病院から私のところへ連絡が来た。
娘さんにこの状況と、夜間一人で動き出した時の危険性をつたえておきたいとのこと。
しかし、連絡が取れないので困っているそうで、
私からも連絡をとり、病院へ連絡をしてもらうようにすると伝えた。
その際に、本人と娘さんが電話で話をできるようにして、
娘さんから本人に説得してもらえるようにしてほしいと依頼した。
「これから夕食の対応や夜間勤務であることは承知の上で頼んでいる
 でも、娘さんから話してもらうことが一番納得するはず」と伝え、
出来る限りの対応しますとの返答を頂いた。
すぐに、娘さんと連絡をとり、
今ならお母様と電話でお話ができるかもしれないと伝えたら
すぐに病院にかけるとのこと。
その後、私に何も連絡がないということは、
どうにか落ち着いたのだろう。
退院のことは、その親類のかたにお任せすればいいので、
こちらも、とり急ぎのことはなくなった。
娘さんが、本人のところへ近々来るそうなので、
その時に根本的にプランの見直しをしなければいけないし、
娘さんの、『ケアマネと介護保険の間違いすぎた認識』を改めてもらう為に、
説明を一からしなければならない。

母子そろって、頑固者なので、考えるだけでも『恐ろしい』。

とにかく、今日も、父の面談中も何件も電話がかかってきて、
その後も何件も電話がかかってきた。
平日だから仕方がないが、
父の面談で結構神経を使っていたので、かなり疲れた。



父の面談自体はとてもスムーズに進んだ。
すでに、今通院している病院から情報が届いているとのことで、
あまりの速さに正直驚いた。
ソーシャルワーカーさんも感じの良い方なので、何かと相談しやすそうだ。

訪問診療になった際の説明を聴いた両親は、
緊急時も24時間病院と連絡が取れる状態で、
何らかの形で対応してくれることを知り、とても安心したようだ。
一応事前に私からも緊急時対応のことは両親に説明はしたが、
病院側から説明を受けたほうが、両親も安心できたのだろう。
主治医も決まったので、いつでも受診できる体制になった。
午前中のみの外来なので、
父の受診の付き添い後に出勤できる距離のクリニックなので、
仕事も、午後から訪問を安心していれられる。
ここのクリニックの受診に関しては、
休日の振替出勤はしなくても済みそうだ。
あまり、毎週土曜日出勤を続けすぎるのは、やはり良くないだろう。
会社が、本当に労基署に指導を受けてしまうことになるのは、私も本意ではない。
だから、そろそろ、土曜日出勤をしなくてもいい方法を見つけなければいけない。
少なくとも、父が『本当の終末期』に入るまでは・・・。


とにかく、仕事の電話対応と、父の諸対応で、
家で腰を据えてとりかかろうとした『事務仕事』は、
ほとんどできませんでした(T T)
どうやって、たまりすぎた事務処理を追い上げたらいいのか、頭を抱えています。


とりあえす、明日の仕事の段取りを練りたいと思います。


先ほどから、左手の薬指と小指が痺れています。
あまり整形外科の受診にいけないので、
首からきているのかもしれません。
父の事を優先して、自分のことを後回しにしている部分があるので、
自分の病院受診がなかなかできません。
こうやって、キーパーソンのかたは、体調を崩してくのだな・・・と、
自分がその『立場』になってみて、少しだけわかりました。



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『理想』と『現実』

正月用に買ったお酒『久保田』。

先ほどの夕食の時にようやく父と呑めました。

父は『旨い』と言って呑んでくれていました。

思い切って奮発して『碧寿の久保田』を買ってよかったです。

明日は、父の病理検査の結果を両親と一緒に聴きに行きます。

たぶん、具体的な治療の話も出るかと思います。

その前に、父とお酒が呑めて良かったです。





話は本題にはいります。


昨日、ウチの社長が怒って帰ってきました。

話を聴くと、クレームによるケアマネ交代の依頼があって受けた新規の方のことでした。

今まで担当していたケアマネに会って、今までどのような支援をしていたのか訊いてきたそうです。

計画書を見せてもらったら、普通じゃ考えられない内容でした。

日中ははびっしり支援が入っており、しかも自費ヘルパーがてんこ盛り。

これだけ自費サービスを使っていたら、有料老人ホームに入居できるのでは???と、思うくらいの内容でした。

でも、夜間帯は何の支援も入っていないのです。

ちなみに、独居でほぼ寝たきりの方だそうです。


で、社長と話していたのは、前任ケアマネだけではなく、そのうえの総括のかたも同席していて、いろいろ言っていたそうですが、社長は「あの人(総括の人)は、介護保険を知らない人だ」と言っていました。


社長は、「ケアマネなのだから、専門職として、会社や統括している人に、意見を言って、公正中立なプランを立てるべきだ」等の、発言を私にしていました。

社長の言うことは、確かに『正論』です。

でも、それだけでは、やっていけないのが『世の中』でもあります。

私は社長に、
「確かに社長の言う通りです。でも、ケアマネといえど、『雇われ』の身。上の人に意見を言って、自分のケアマネとしての正論を通すのは、とてもエネルギーがいることです。それに、上に反論したら、『じゃあ、お前(事業所を)辞めろ』と言われるだけですよ。現実的には難しい部分がありますよ。」
と、言ってみました。

しかし、社長は
「専門職なんだから、それはするべき。それをしないから、ケアマネは専門職としての地位が確立できない。」
と、言ってました。


ケアマネだって、自身の生活がかかっています。
幾ら正論を通そうとしても、職場を退職に追い込まれてしまっては、その後の生活ができません。

『理想』を通したくても、自分の生活も守らないといけない。
家族がいればなおさらです。

私だって、父のことがあるので、もうこれからは安易に転職はできません。
親元にいる利点はもうありません。
今後は徐々に私の給料が我が家の生活費にまわっていくことになるでしょう。

社長のように起業できる条件がそろう人は、ひと握りです。

少なくとも、もう私にはそれはできません。
自分には、もう両親の生活と人生がかかっています。


ケアマネとしてあるべき『姿』や『理念』。
それを目指すべきなのは、当たり前ではある。

しかし、事業所(会社)は赤字のままでは潰れます。
株式会社であれば、利益をある程度出さないと、何かあった時の余力が持てません。
差し引きゼロでいいという、経営者は少数でしょう。
そのため、介護支援事業所のあるべき姿からかけ離れてしまう事業所も出てくるのは、今の制度では防げないと思います。

ケアマネは、自分が所属している事業所(会社)の『思惑』で、
自身の『理想』と自分が置かれている『現実』の現実で板挟みになり、
苦しんでいる人は多いのではないか・・・そう思いました。


私も、社長に、『そのやり方ではいけない』といろいろ言われています。
たとえば、『モニタリング訪問は1時間以内』とか。
でも、私としては、1時間では、
ご利用者様やご家族の『本音』は聴くことは出来ないと思っています。


自分が『理想』とする『ケアマネ』を目指せるかどうかは、
所属している事業所次第なのかもしれません。


ふと、そんなことを思いました。




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『M様へ』ご質問への私なりの返答

M様へ

コメントの質問文、拝見いたしました。

お母様のご逝去、謹んでお悔やみ申し上げます。


お返事を、このようにブロクに載せる形でご返答させていただくこと、
どうかお許しください。
そのため、お名前をアルファベット表示とさせていただきました。
たぶん、同じようなお悩みをお持ちのご家族もおいでだろうと思い、
ブログでの返答をさせて頂きました。

もし、ご不快でしたら、質問時のお名前で
またご連絡を頂ければ、すぐに削除いたします。


M様の立場として、ケアマネージャーに連絡をするとしたら、
電話で「今までありがとうございました」と、
お礼の電話というかたちで区切りを付けるのが良いのでは・・・と、
私は思っております。
事務所まで行く必要もないし、菓子折りなどの贈り物も不要です。




ちなみに、私が、担当させていただいた方がなくなったときは
ケアマネージャとして、かたつむり個人として
次のように行動しました。


亡くなった旨の連絡を頂いたときに、お悔やみのお言葉を伝えたうえで、
『最後の事務処理等の有無を確認の上、
 落ち着いたころにご連絡をさせて頂きます』
と、ご返答しました。


私としては、お通夜に行きたいという気持ちがありました。
でも、それがご遺族ににとって、良いのかどうかわかりませんでした。
ご家族の最後の時間を、ケアマネージャーが行ってもよいのか・・・と。
(私の地域は、家族葬が多くなっているので)
 ですから、社長に相談をしました。


社長の返答は、「最後のお別れに、お通夜等に来てほしい」と
連絡があれば参列するべき。
そうでなければ、
もし、お線香をあげたいという気持ちがあるのなら、
初七日などが終わり、落ち着いたころに、ご遺族に連絡をして
「お線香をあげさせていただきたい」お願いをして
了解を頂いたうえで、伺う方がいよいだろう・・・と。


ですから、私は、葬儀が終わって落ち着いただろうとおもわれる頃
亡くなって2週間くらいしてからだと思います。
ご遺族にご連絡をして、お線香をあげさせていただく機会を頂きました。
最後のごあいさつも兼てお線香をあげさせていただき、
そのうえで、ご遺族と故人の話をしながら、
各事業所の支払いはまだ残っているので、
もし口座が使えなくて(亡くなると口座が使えなくなりますから)
利用料金の支払いが上手くできなかったなど、
何かあればご連絡くださいとお伝えし、
ケアマネージャーの最後の訪問とお別れをしてきました。


私としては、担当させていただいた方がなくなったときは
最後のお別れのご挨拶に伺うのは、当たり前のことだと思いますし、
心情として、『お線香をあげてさせて頂きたい』という
気持ちになるのが普通だと思います。

ですから、私は自分から最後の挨拶に伺いました。

ご支援いただいた、各事業所にも
ケアマネージャーのとしてお礼の電話をしました。


冒頭に申し上げましたように、
もし、ケアマネージャーさんから、何も連絡がなければ、
ご家族の気持ちの区切りとして
電話で「今までありがとうございました」と、
『お礼の電話』というかたちで最後に電話をして
区切りをつけてみてはどうでしょうか?


参考にしていただければ幸いです。


かたつむり



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『面接技術』についての持論

ご無沙汰しております。


父の一件で、少し動揺してましたが、どうにか覚悟はできました。
万が一、『癌』と言われたときに、すぐに次の行動ができるように、
今できることは、やったつもりです。
後は、来週の検査を受けて、26日に結果を聴くのみです。


このところ、仕事がかなりドタバタしていまして、
『twitter』では、騒いでいましたが、ブログを書く余裕がりませんでした。
プライベートのメールの返事さえもなかなか書けない状態です。
今、少し小休止状態ですが、
14日から、また怒涛の毎日が仕事納めまで続きます。
考えると恐ろしいです。



最近、職場の事務所会議の時間に『面接技術』の勉強をしてます。
『アイコンタクト』『あいづち』『うなづき』などなど・・・。
これを身につけて、効果的に行なうと、
クライアントが話やすくなるとか、
大学のスクーリングでも説明があったような気がしますが、
『これだけ(面接技術)をやっても意味ないでしょう』と
斜めにものをみている私がいます。
 
 
例えば、時々『視線をはずす』と書いてますが、
私は、親に『話をするときは相手の目を見て話せ』
をしつけられました。
そういう価値観を持っている人に、
視線をはずすのは果たしてよいのでしょうか?


『アイコンタクト』『あいづち』『うなづき』などなどを
ただ、効果的にやろうとしても、
クライアントからしたら
『わざとらしい』『本当に私の話を聴いてる?』と、
逆に不信感を持たれると思います。
表面上の聴く姿勢だけだと、
クライアントはしっかり見抜きます。
『この人は私の話を聴いていない』と。


やはり、面接場面においては、
クライアントの話を一生懸命聴くことが(傾聴ではないです)
一番大切だと、私は思っています。
そうすれば、『アイコンタクト』『あいづち』『うなづき』等も
自然に出てくると思うのです。


『アイコンタクト』『あいづち』『うなづき』等を
意識することに神経を使うならば、
私はクライアントの話を必死に聴くことに神経を使いたいです。


教科書通りに動かない私としては。
面接技術の『基本』は、クライアントの話を
ひたすら一生懸命に聴く姿勢だと私は思っています。


クライアントが話したくない時は、
あえて聴こうとしない。
緊急性がない限りは。
話してくれるまで待つことも大切だと思います。
ケアマネージャーだから、
なんでも聴いていいわけではなく、聞き出す権利もないのです。
話してくれるまで『待つ』という姿勢も大切だと思います。
『モニタリング』や『アセスメント』『その他の支援』を通して、
クライアントが、ケアマネージャーを受け入ててくれるまで
待つことも大切だと思います。


面接技術についてのことの話を聴いていると、
『技術』という『かたち』ばかりにこだわると、
大切なことを見落としそうな気がしました。


クライアントの話を一生懸命にきき
話しづらいことは、話したくなるまで待つという
私なりの『我流』を通したいと思います。


ひねくれ者だな・・・私・・・と、改めて思いました。




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原点に戻って。

先週の月曜日、社長と話し合いをしました。


私が、謝罪しようとしたら、
社長は「その話は、もういいよ」と言いました。

社長が水に流してくれたのですから、
社員である私は、『引くべきだ』と、思いました。


具体的な話は、私のこれからのステップアップについて、
未処理な事務仕事の山、私の体調のこと。
そして会社のこれからのこと・・・でした。

社長からは「これからもかたつむりさんの意見を言ってほしい」
とのことでしたので、今後も自分なりの意見は言い続けます。

ただし、『社員としての立場』を忘れずに。


この会社は、社長が起こした会社であり、
私はあくまでも、雇用されている身。
だから、会社の中では、
会社の経営者である社長の言うことが『正しい』のだ。
たとえそれが、間違っていても。


それに耐えれなければ、辞めるしかない。


ただし、どのような時でも、忘れてはいけないのは、
自分が、ケアマネージャーとして仕事をしているかぎり、
第一優先は『利用者様とそのご家族』である。
自分の言動で、ご迷惑や、余計な心労をかけてはいけない。
ケアマネージャが交代するということは
『利用者様とご家族』には、とても不安なことなのだから。


それを、肝に銘じて、
ケアマネージャーとしての仕事に精進していきたいと
改めて思いました。



社長は、従業員を増やしていきたいと話していた。
以前に私が社長に、
『経営者』の仕事と『管理者』の仕事を兼任するのは
むずかしのではないか、と社長に言ったことがある。


社長として会社の経営のしていくことと
管理者として従業員のケアマネを指導してまとめること
この二つを兼任するのは容易ではないと、常々思っていた。
私みたいに『勝手に動く』従業員は少数派だ。
これを他の人に期待してはいけないと、社長に言ったことがある。
「社長、私が『変わり者』なのですよ、こんな奴は少数派です」と。


このことを社長が、わかってくれたのかはわからないが、
『管理者』として、知人の主任ケアマネを採用するといっている。
その人に会ったことがあるが、
ケアマネとしては仕事が出来る人だとは思った。
でも、『管理者』の力量は、ケアマネ経験とは関係ない。


これでも私は、学歴社会のなかで、当時は高卒だった私は、
20歳代の時は、経理事務のスキルをひたすら身につけて、
一般企業のなかで
高学歴の人達に対等に渡り合えるように努力して仕事をしてきた。
だから『色々な人』を見てきた。


『ケアマネの仕事』が出来る能力と
『人を束ねる』能力は、
全く『違う』のだ。


『きついこと』を言わせてもらえば、
『主任ケアマネ』だかといって、
後輩を指導する能力や
人の束ねる力があるわけではない。


少なくとも、私は、
『スーパービジョン』を受けたいと思った
主任ケアマネに一度も会ったことがない。


これから、職員が増えていって、
職場がどうなるのかは、
正直私にはわからない。
意見の合わないひとや
表裏のある人も入ってくるでしょう。
まあ、何千人もの従業員がいる
一部上場企業で働いていた時のことを思い出せば、
人間関係はどうにかやっていけるかも・・・と、
思ってはいます。


だた、私はこれからも
『利用者様とご家族』をまず第一考えて
ケアマネとして信念をもって仕事をしていきたい・・・。

改めて、思いました。



この土日も、家で事務処理をしています。
仕事の山がなかなか減りません。


現在の担当は35件。
入社当時に課せらえれた件数は持てました。
社長に「かたつむりさんは39件まで行けるよ」と、
言われましたが、
「体調を落ちつかせるのと、書類の山を片付けるのが先です、
 件数を増やすのはそのあとですっ!!」
と、きっぱりと断りました。


皆さまはどうやって、
事務処理と格闘していんだろうか???
そんなことを、時々思います。


では、仕事に戻ります。




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謝罪

先ほど、管理者(=社長)にメールを入れました。


今までの社長の言動に傷ついたし
社長に対して言った言葉も会社のことを考えていってました。
でもその時の発言は、社員の立場での発言であり、
経営者としての社長の立場までは考えていなかったのです。
このことを伝えたうえで、
自分が社長に対して発言するときに
自分が社長から言動を受けたと時に
経営者としての社長の立場や気持ちを
考えることができていなかったこと、
社長の立場を考えることができていなかったことを
謝罪しました。


本来ならば、直接会って頭を下げるのが筋です。

でも、早く謝罪したかったので、
メールをしました。
社長は事務所にいることがほとんどなく、
いても電話対応でドタバタしてます。
だから、普段は時間をとって話をすることができないのです。
そのため、メール謝罪させてもらいました。


社長は、話し合いのときは、
『かたつむりさんの体調のことと、それに合わせた仕事の進め方を話し合いたい』
と返信がきました。



社長としては、たぶん私に言いたいこともあったと思います。
でも、私に対して追及はしませんでした。


社長は譲歩してくれたのだと思います。


私は『ありがとうございます』と返信しました。


生まれた年代も違えば、
育った環境も全く違う。


そのうえ、社長と私は、ある意味で正反対の人生を送ってます。


だから、どうしても個人の価値観が違いすぎるのです。


そのこともあり、そして、互いの性格から、
きつい言葉のやり取りは完全にはなくならないと思います。
それでも、これからは、
社長の立場を考えることを忘れないで、
言葉を選んで自分の考えを言うようにしたいと思います。




明日は、整形外科へ行き、身体のメンテナンスをして、
眼鏡屋さんに行きます。

2日ほど前に、頭がふらついて足がもつれて転倒しました。
事務所の前で。

ひと月前に自転車ごと転倒したばかりだというのに。

頬から出血し、メガネはレンズが外れてしまいました。
(幸いレンズは割れてませんでした)
額を打ちましたが、その前に両手をつくことができたので
頭部の直撃は避けることができました。
社長と新入社員さんに驚かれ、
母親に怒られました、気を付けろと。


このところ食欲がなく、固形物をほとんど食べていないので、
かなりふらついてます。

春先からずっと体調を崩しっぱなしなので、
目標の35件担当を今月達成できたので、
書類の追い上げと体調を戻すことを
どうにかしなければならないと思ってます。


今度こそ、この週末は事務仕事を追い上げたいと思います。



拍手やコメントをくださったかた、
ありがとうございました。
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張り詰めていた『糸』切れた

今月に入ってから、体調が悪い。

はたから見れば体調管理が悪いと思われているだろう。
特に管理者(=社長)には。

でも、体調不良には理由がある。


酒の席での○○さんのことば。


「かたつむりさんは、いろいろ言ってくれるから助かっている。
 聞き流すことも多いけれどね。」

これを、新入社員に言っていた、3回も。


私の聴こえるところで。


私は、○○さんに対して、色々
苦言を言い続けてきた。
個人的感情ではなく、
会社の為・そのひと自身の為に。
感情論で言ったことはないし、
自分の言った言葉は間違っていると思っていない。

そんな思いで言い続けてきた言葉を、
こういわれたのだ。

酒の席の言葉は『本音』だと私は思っている。

自分の本音を隠すことができないからである。



しかも、貴方の言葉がショックで体調を崩したと
メールで送ったら、逆切れされた。



「相手に不快な思いをさせたのか?」
と、言う発想がないのだ。



もう、意見を言う気も、反論する気も失せた。


ご利用者様と家族の為に
不快な思いをしながらも踏ん張ってきた。
ご利用者様とご家族の
「いつもありがとう」
「かたつむりさんがウチのケアマネでよかったわ」
そう言ってもらえる言葉だけを支えに
今の職場で頑張ってきた。


ただ、利用者様とご家族の為だけに。


でも、人の意見をこのようにに扱い、
聴こえるところでこのような言葉をいう人の
心理状況が理解できないし、したくない。



とうとう張り詰めていた、最後の一本の糸が切れました。


21日に話し合いをすると言われましたが、
その気力も今はもうありません。


利用者様のことを思って踏ん張ろうと思いましたが、
さすがの私もここまでやられると、身体に力が入りません。


疲れました。



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死ぬまで抱えていく『後悔』(長文です)

昨日、ある利用者様のお宅へモニタリングへ行った。

   ※専門職以外のかたへ:モニタリング=定期訪問を思っていただければと思います。

私は、利用者様やそのご家族にに合わせて、
モニタリングの時間をかえている。

短いお宅は20分。
長いお宅は2時間以上。

管理者(=社長)には、
「かたつむりさん、『モニタリングは1時間以内にして!』」と、
いつも注意されているが、
私は先方からクレームが来ない限りは、
このスタンスは変えるつもりはない。

モニタリングにながい時間をかけるお宅には
それなりの理由がある。


『自分たちの辛さを聴いてほしい』と、
心のどこかに抱えている利用者様やそのご家族には
時間を惜しまず話を聴いている。
「おしゃべり」というかたちをとって。

身体の疲れは寝れば取れる。
でも、心の疲れは寝てもとれないのだ。
どこかで吐き出さないと、心が壊れる。
私は吐き出す場所がなかったから『うつ病』になった。
だからこそ、私が話を聴くことで、
少しでも心が楽になってくれるのなら、
私は自分の時間は惜しまない。
心が壊れたら、戻るのが大変なことは
自分の経験で良くわかってる。


だから、私は、書類が溜まるのだろう。
けれど、
利用者様やそのご家族と向き合う時間を削ったら、
ケアマネの仕事をしている意味がない。


話を戻しますが、昨日伺った利用者様は
軽度の認知症はあるが、
ひとりで生活をしているし
i今は医師とのやりとりも自分一人でしている。
ある意味ウチの親よりしっかりしている。
この方は、管理者より引き継いだ方で、
ご主人を亡くされたことでうつ病になったと聴いている。

私がウチの事務所に就職したばかりのころは
かなり精神状態が不安定で
事務所に頻回に電話がかかってきた。
かかりつけ医以外のいろんな病院に駆け込み
当時担当していた管理者は対応が大変だった。
そして、事務所に頻繁に電話をしてくるこの方と
最低でも30分電話で話をするのが
入社したての私の日課となった。
やがて、この利用者様も私のことを覚えてくださり
私が話を聴いてくれる相手と思ってくれたようで
だんだんと口調が穏やかになっていった。

 
私に担当変更をした時も、
私に対して拒否もなく受け入れてくださった。

『うつ病』であるため、常に精神状態が不安定になっていないかを
細心の注意を払いながら接している。

うつ病に対しての不安に関しては、
私自身の経験を話すようにしている。
『私の友人の経験』というかたちで。
 
 
4か月ほど前から、
ご主人が亡くなる数日前から葬儀までのことを
頻繁に私に話すようになった。

詳細は控えますが、ご主人は余命いくばくもない状態だったのに、
それを知っていたのはお子様方だけで、
奥様であるご利用者様には伝えられていなかったそうです。

ご家族は、色々と考えた末、伝えなかったのだろうと思います。
「母は知ったら、ショックで受けとめきれない」と。


妻であるご利用者様は、『夫は必ず元気なる』と
信じていたそうです。
だから、突然亡くなったので、ショックだったそうです。
余命が短いと知ったのは、ご主人が亡くなった後だったようです。


「なんで、こどもたちは、本当のことを教えてくれなかったのか・・・」
利用者さんは、毎回私に、何度もこの言葉をいいます。

だから、私は、いつこう言わせてもらってます。
「ご主人の命が短いと知っていたら、
 奥さんとしてしてあげたかったことがいっぱいあったんですよね」と。
そして、
「最後まで、ご主人のそばを離れずにいたかったんですよね。
 ご主人に最後に言いたかった言葉もいっぱいあったんですよね」と。


ご利用者様はかならず。
「命が短いと知っていたら、夫のそばから離れなかった」
「『いままで、大切にしてくれてありがとう』って伝えたかった」
と、繰り返し言います。


私は、精神科医ではありません。
だから医学的見地でいうことは出来ません。


でも、この方は、
ご主人が亡くなったからうつ病になったのではなく、
本当のことを知らされなかったとはいえ、
人生の最後を迎えようとしていたご主人に
妻として『するべきことができなかった』ことが
妻として『感謝の言葉を伝えられなかった』ことが
大きな後悔として残り、
それが『うつ病』というかたちになって
自身を苦しめているような気がするのです。


大切なひとを見送るとき、
必ず後悔は残ります。
たとえ一生懸命にやったとしても。

私は、10代の時に祖父を送った時、
大叔母の一言で
祖父母に可愛がってもらっていたことを
忘れてしまっていたことに気がつき、
そういう年齢だったとはいえ
祖父に距離を置いて何もしなかったことを
とても後悔しました。
その後悔は今も引きずっています。

4年前に亡くなった叔父に対しても
その時できるだけのことはしたつもりでも、
今だったもっといろいろなことができたのにと
悔しくてたまりません。


私は、結婚していないので『夫婦の絆』は
正直わかりません。想像するしかありません。

でも、祖父母や叔父に対してもこうなのですから、
永年一緒に生きてきた『夫』の最後のときに
後悔を残してしまったら、なおさら辛いはずです。

ある方に言われたそうです。
「貴方の気持ちは、ご主人には伝わっているし、
 ご主人は今でも貴方のそばにいますよ」と。
でも、その言葉がとても辛い・・・と、おっしゃってます。



安易な言葉は言えません。



私は言えるのはやはりこの言葉だけです。
 「ご主人の命が短いと知っていたら、
 奥さんとしてしてあげたかったことがいっぱいあったんですよね」
「最後まで、ご主人のそばを離れずにいたかったんですよね。」
 ご主人に最後に言いたかった言葉もいっぱいあったんですよね」と。



生きているからこそ、伝えられる。


しかし、逝ってしまった人には、
自分の想いを伝える術はもうないのです。


前任者のはこの話は知らないと思います。
知っていたとしても、たぶん
このことについては、重きは置かないでしょう。

でも、私はあえて、
毎回この話をご利用者様が繰り返し話すのを聴くために、
訪問時間を2時間で予定を組んで伺っているのです。


ご利用者様が死ぬまで抱えて生きてく『後悔』。
その『苦しんでいる姿』から目を離さずに
これからも、今の私が出来る限りの支援を
していきたいと思っています。


では、持ち帰った仕事をしますっ!!
 
 
 
拍手やコメントをくださったかた、
ありがとうございました。
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ケアマネの『仕事』とは?(毒舌辛口注意!)

先日、新入社員の歓迎会をやった。

正直、私は楽しくなかった。

管理者=社長が、やたら新入社員をほめるのだ。

『あなたは仕事が出来る』と。

たったひと月でその人の何がわかるのだろうか。

 
 
 
社長はやたら懇切丁寧に、彼女に仕事を教えている。

4月に入った人の時もそうだった。

私の時と全然違う。



私は、初めの1年は社長の『誉められた』ことはない。

いつも注意ばかりだった。

まともに仕事も教えてもらえなかった。

先日のブロクにも書いたが、

「半年で30件持つのが当たり前!!」

と批評されて、減給となった、5万円も。

誰にも教えてもらえない状態で、必死で仕事していることは、努力を認めるどころか、全く理解していなかったし、見る気もなかったのだろう。

本気で仕事を、ケアマネをやめようと思った。

でも、『利用者様とそのご家族を裏切りたくない』という思いだけが、私を踏みとどまらせ、立ちなおることができた。



社長は、歓迎会で、私のことも『誉めて』いたが、一番苦しい時に、批評しかされなかった私にとっては、しらじらしく聴こえた。

まったくもって、アホらしい。




新人さんが『初回訪問の時に緊張する』という話をしていた時に、私は、初めて利用者様やその家族に、挨拶するときは、『精一杯務めさせていただきます』と挨拶している。と、話した。

私は、『経験も知識もまだまだ足りないケアマネだけれども、それでも一生懸命やります』という気持ちを、その言葉にのせて最初に伝えるようにしている。


そうしたら、新人さんに反論された。

『そんな無責任なことは言えない』と。


彼女いわく、「ケアマネは介護保険上のことしかできない、それ以外のことは出来ない」とのことだった。

まあ、ある意味正論かもしれない。

しかし、私は、この言葉を聴いて、違和感を感じた。
 
 
 
 
クライアント(←あえてこの言葉を使います)がケアマネに求めていることは、介護保険上のことだけだろうか?

私は違うと思う。

クライアントは、とにかく『助けて』ほしいのだ。

介護保険だとか、そんなくくりは関係ないのだ。

    ※専門職以外の方への補足:クライアント=『利用者様とその家族』と、
                  解釈していただければと思います。

 
 
彼女が言っていることは、追い詰められたクライアントに、『それは介護保険のことではないので、私の担当外ですので、そのことはかかわれません』と言っているのと同じだとおもうのです。

そんなケアマネを誰が信じるだろうか?




ケアマネは、『ケアマネ』である前に『福祉専門職』として、クライアントの生活を守ることが仕事であると、私は思っている。


私は、なぜかよく、お葬式やお墓の話の相談を受ける。

確かにこれは、ケアマネの仕事ではない。

でも、私が葬儀やお墓の話の相談を、あえて受けているのは、それがクライアントやその家族にとって、『不安なこと・心配なこと』だからである。

私が、自分が持っている葬儀やお墓の情報を伝えると『これで一つ心配事が解決したわ』と言われる。

自身の葬儀やお墓に関することは、クライアントや家族にとって大きなニーズなのである。

身内の死と葬儀・納骨にかかわった人(立ち会ったとか参列という意味ではない)なら、わかるはずです。



それが介護保険上のことであろうと、その範疇外のことであろうと、『ニーズ』である以上、解決するために、行動しなければならない。

ケアマネが『福祉専門職』であるのなら。


『ケアマネ』という立場上、出来ないこともたくさんある。

その時は、『責任をもって』対応できる機関につながなければならない。


不安なことがあれば、ひたすら話を聴き、少しでも、クライアントの不安を理解して、受けとめようと努力する。(あえて安易に『傾聴』という言葉は使いません)


必要なことであれば、厳しいことでも、あえて苦言する。

苦言が言えないのは、信頼関係ができていないからであるか、自分の言葉に責任を持とうとしないからである。


介護の方法や工夫の仕方など、自分が専門職として持っている知識や情報は、必要であれば、説明して伝える。

例えば、転倒した利用者を立ち上がらせる家族に、その利用者と家族に合った身体に負担がかからない方法などである。


その家の事情に合わせた、ケアプランを立てる。

クライアントとその家族それぞれ、介護保険にかけられるお金の限度は違う。

また、クライアントの家族が置かれている立場も違うし、家族歴も違うから、家族ができる範囲もそれぞれ違う。

その範囲の中で、より『ベター』なプランをどう立てるかが、ケアマネの腕の見せどころの一つである。

『ベスト』なプランをたてられるのは、お金を気にしないで立てられる場合だけである。



ケアマネがやるべきことはたくさんある。

介護保険上のことだけをやっていたら、仕事にならない。



以前にも書いているが、私はケアマネは、『利用者様とその家族の生活と人生を守り支えること』が仕事だと思っている。

それは、ケアマネが『福祉専門職』だからである。


たぶん、私の考えに異論を唱えるひとは、多いだろう。

でも、私はこの考えを変えるつもりはない。

なぜなら、子どもながらに、『家族が介護をすることはどういうことか』をこの眼で見てきた。

その光景が、私の支援者としての原点である。

だからこそ、ケアマネは『利用者様とその家族の生活と人生を守り支えること』が仕事だといいきれる。



ケアマネは、逃げようと思えば、いつでも逃げられる。

でも、クライアントとその家族は逃げられないのだ。

最初から自ら逃げ道をつくるケママネを、クライアントがその家族が、信じるわけがない。



だからこそ、『精一杯務めさせていただきます』と私は、言い切るのです。
 
 
『腹をくくって、あなた方を全力で支援させていただきます』という思いを込めて。
 
 
 
新入社員さんのような考えのケアマネが多数派で、

私のような考え方のケアマネが少数派なのだろう。

だから、ケママネの『専門職』としての社会的地位が上がらないのかもしれない。

酒を飲みながら、そんなことを思いました。



かなり毒舌辛口ですが、すべて本音です。
訂正する気は全くありません。



では、これから溜まりにたまった、山のような事務仕事に取り掛かります。

年内には何とかしたいっ!!



拍手やコメントをくださったかた、
ありがとうございました。
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